「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

花の詩「桔梗」(ききょう)

2023年02月18日 23時50分48秒 | 花の詩

                「廬山寺の桔梗」
 京都の古刹を巡っていると庭に咲く花たちに癒されることがおおくある。
 特に盆地特有の酷暑の夏に、涼やかさを与えてくれる花が桔梗、爽やかな青紫色は清涼感にあふれる。源氏物語で知られる紫式部の邸宅跡として知られ、皇室とのゆかりが深い「廬山寺」の源氏の庭には日本画を描いたように見事に植栽された桔梗が楚々として心を癒してくれる。七条の「智積院」や東福寺塔頭の「天得院」などの桔梗も美しい。 
 花言葉は、「永遠の愛」「気品」、白の桔梗は「清楚」等があり、「永遠の愛」という花言葉がつけられたのは、戦争から帰らぬ夫を10年も待ち続けた若い娘の名前が「桔梗」だったためといわれているほか、その娘の家紋が「桔梗」だったからという説がある。また、平将門とそのお気に入りのめかけであった「桔梗姫」の伝説もある。桔梗姫が敵に平将門の秘密を漏らしたために平将門は殺され、後に自身も悲劇の死を遂げるというミステリーな言い伝えも。

 桔梗は秋の季語で秋の七草の一つでもある。開花時期は6月中旬の梅雨頃から始まり、夏を通じて初秋の9月頃までで、つぼみが徐々に緑から青紫にかわり裂けて星型の花を咲かせる。
 つぼみが風船のような形状であるため英名で "balloon flower" と称されており、花開く前、たしかにふっくらとした膨らみが可愛い。
 「万葉集」で、山上憶良が詠んだ「萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 姫部志 また藤袴 朝貌の花」のうちの「朝貌の花」は本種を指しているという。俳句では秋の季語となっている。

 「この紋どころが目に入らぬか!」という台詞は水戸黄門だが、「桔梗の紋」といえば真っ先に本能寺の変をおこし三日天下と称された明智光秀は土岐氏一族で「桔梗紋」として広く知られているほか、美濃の山県一族も桔梗紋を紋所にしている。江戸城には「ききょうの間」や「桔梗門」というのがある。
 また、陰陽師として名高い安倍晴明が使用した五芒星を「桔梗印」と呼び、現在の晴明神社では神紋とされていて晴明神社には桔梗が植えられている。

 「桔梗」の語源は、薬草としての漢名「桔梗」を音読みした「キチコウ」が変化した語で、また桔梗に当てられた漢字は、根が結実して硬直していることから名づけられたといわれ、根はサポニン(オレアナン型トリテルペンサポニン)を多く含むことから古くから生薬として利用されている。鎮咳、去痰、排膿作用があるとされ、代表的な漢方処方に桔梗湯(キキョウカンゾウ)があり、炎症が強い場合には石膏と桔梗の組み合わせがよいとされ、処方例として小柴胡湯加桔梗石膏がある。また、薬用成分のサポニンが昆虫にとっては有毒なため駆除薬としても使われている。

             「天得院の桔梗」
【俳句】
◇「若狭路や 桔梗にそゝぐ 雨細く」(鈴鹿野風呂)
◇「せわしなや 桔梗に来 り菊に去る」(正岡子規)
◇「桔梗活けて しばらく仮の 書斎哉」(正岡子規)
◇「銅瓶に 白き桔梗を さゝれけり」(正岡子規)
◇「八ヶ岳 雲にうかべる 野の桔梗」(水原秋櫻子)
◇「桔梗の しまひの花を 剪りて挿す」(高濱虚子)
◇「好きな 人同じ桔梗に立ち止まる」(岩田由美)
◇「霧ごめに 咲くきちかうは 地の星」(栗生純夫)
◇「桔梗の花 咲時ポンと 言そうな」(加賀千代女)
◇「日のかげり そめしおもほゆ 桔梗かな」(久保田万太郎)
◇「霧の香に 桔梗すがるゝ 山路かな」(飯田蛇笏)
◇「むつとして 口を開かぬ 桔梗かな」(夏目漱石)
◇「山茶花を 旅人に見する 伏見かな」(井原西鶴)
◇「また逢へた 山茶花も咲いてゐる」(種田山頭火)
◇「山茶花の 木の間見せけり 後の月」(与謝蕪村)

【和歌】
◇「朝顔は 朝露負(お)ひて 咲くといへど 夕影にこそ 咲きまさりけれ」(万葉集/作者不詳)
◇「萩の花 尾花葛花 なでしこの花 をみなへし また藤袴 朝貌(あさがほ)の花」(万葉集/山上憶良)
◇「臥(こ)いまろび 恋ひは死ぬとも いちしろく 色には出(い)でじ 朝顔の花」(万葉集/作者未詳)
◇「白木槿 咲きしばかりの 清しきを 手に取り持ちて 部屋に帰り来」(斎藤茂吉)

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花の詩「都わすれ」

2021年11月07日 23時39分20秒 | 花の詩


 この花の咲く頃、私は山野を駆け回って小さな花々をカメラに収めるのに夢中になっている。
 すみれ、たんぽぽ、ほとけの座、それに時節は過ぎているが土筆も探して夢中だ。そんななか「都忘れ」を見つけると恋人に出合ったようにワクワクするのは何故なのだろう。
「都忘れ紫にほふ花かげに恋ふる人さへ淡くなりつる」(岩波香代子)の一句が切なく頭をよぎる。

 都忘れの花言葉は「しばしの慰め」「別れ」。
 春、4月から6月に咲く菊科の学名「savatieri」の由来は、フランスの医師・植物学者で日本植物を採集し『日本植物目録』を発表した「ルドヴィク・サバティエ」の名前からとったといわれている。
 一方、和名の「都忘れ」は、鎌倉時代の「承久の乱」で佐渡へと流された順徳天皇が、草で覆いつくされた佐渡の庭に野菊が紫色に咲いているのを見つけ、
 「紫は都に咲く美しい花の色、私はもう帰れないと諦めているけれど、花よ、いつまでも私のそばで咲いていておくれ。都のことが忘れられるかもしれない。
 お前の名を今日から 都忘れと呼ぶことにしよう」と云い、「いかにして契りおきけむ白菊を都忘れと名づくるも憂し」と傷心のなぐさめ詠んでいる。
 また、京を去るときにこの花を目にとめ、「都を忘れることにしよう」といったことからこの名前になったとの説もある。

 都忘れは、江戸時代から茶花などに用いるため栽培されてなじみ深い山野草。本州、四国、九州の山地に自生する「ミヤマヨメナ」の園芸品種につけられた和名で、ミヤマヨメナは淡青色だが、江戸時代から改良されてきた「都忘れ」には淡青色のほか、青やピンク、白がある。花後は株元に短縮茎をつくり、ロゼット状になって夏を越す。日当たりと水はけのよい場所を好み、場所が合えば、植えっぱなしで毎年よく咲く多年草。

《和歌》
*「この花のしろきをみれば都をも世をも忘るとめでし君はも」(「村荘詠草」会津八一)
*「通りゆく猫とどまりて都忘れの花嗅ぎたるは何故なりし」(「独石馬」宮柊二)
《俳句》
*「菊さえや都わすれの名に咲きぬ」(斎藤空華)
*「此処にして都忘れとはかなし」(藤岡筑邨)
*「蕾はや人恋ふ都忘れかな」(倉田紘文)
*「雲のなか都忘れや都なし」(赤尾兜子)
*「母の忌よ都忘れの咲けば来る」(高田風人子)
*「母の日を都忘れも忘れざる」(百合山羽公)
*「灯に淋し都忘れの色失せて」(稲畑汀子)
*「都忘れの 菊は咲きけり」(宇喜多秀家)

 また、都忘れを歌ったうたも多くみられるが、心に留まった歌を挙げてみました。

■「都忘れ」作詞・作曲:TAKURO
 もう二人はお互いの過去に戻れない
 君がつぶやいて歩いた帰り道
 ねぇこのまま世界の果てまで行けるかな?
 不意に傷つけた人達を思った

 春に芽生えた恋心 計画を練る夏の午後
 終わらない秋を過ぎ 手ぶらだった二人には
 ゆずれない愛がある

 誰にも見せない願い事を 今夜解き放とう
 いつかは消えゆく魔法でもいいよ
 共に今を生きてる

 Ah この世はまるで意思のある生き物のように
 満たされぬ運命を呪うよ
 Ah 時代が僕等の背中を押した事さえも
 シナリオの一部だと笑った

 階段を昇る時も 降りるその日が来たとしても
 変わらない優しさを 胸に秘めて 胸に秘めて

■谷村新司のソロ・アルバムの中に、「都忘れ」という歌がある。
(その一部の歌詞)
 女の幸福は 心を捧げた 恋しいお方の たった一言
 世間も親も 何もかも 振り捨て 生きると心に誓う
 神よ心あらば 二人の行く先を せめてそっと照らして 守って遅れ
 都忘れの花のように ひそかに かくれて 生きていきたい

■また、因幡晃が「都忘れ」という曲をシングルで発表している。

 この道とおるのも 二度目になったのね
 今度はしあわせに なれると思ったのに
 都忘れの 花が咲く
 悲しい女が とおる道に
 生きてゆけるわ ひとりだけでも
 もう終ったの あさい夢は
 
 この足で歩けたなら

 夢中で伸ばした指の先に 触れるものは何?
 どこまでも澄んだ君の瞳 降り注ぐ雪が舞う

 誰にも見せない願い事を 今夜解き放とう
 いつかは消えゆく魔法でもいいよ
 共に今を生きてる
 ICAN'T FEEL LOVE
 ICAN'T FEEL LOVE
 ICAN'T FEEL LOVE WITHOUT YOU



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花の詩「すみれ」

2021年08月14日 18時53分06秒 | 花の詩
5月に掲載して以来、久しぶりに花の詩を。今回は季節的には過ぎたが「すみれ」を採り上げて見た。



 [花言葉]は小さな愛。温順・謙虚・謙譲・謙遜・うつしみ深さ・控え目・無邪気な恋・愛・思い・純潔・誠実・小さな幸せ・つつましい幸福・貞節、慎み深さ・ひかえめなど多岐にわたる。
◇紫:「貞節」「誠実」
◇白:「誠実」「謙遜」「あどけない恋」「無邪気な恋」
◇黄:「牧歌的な喜び」「慎ましい喜び」

 開花時期は、3月初旬から5月上旬で、花の形が大工道具の「墨入れ」に似ていることに由来する説があり、「すみいれ」が「すみれ」へと変化したという。
 花はラッパのような形の花を横向きかやや斜め下向きにつける。5枚の花びらは大きさが同じではなく、下側の1枚が大きい。花茎は根際から出て立ち上がり、上からうつむき加減に下を向いて花を開いている。
 昔から山菜としても重宝され、葉は天ぷらにしたり、茹でておひたしや和え物になり、花の部分は酢の物や吸い物に。

 すみれと言えば、自然とこんな歌が口からこぼれ出す。
「春 すみれ咲き春を告げる
春 何ゆえ人は汝を待つ
たのし悩ましき
春の夢甘き恋
人の心酔わす
それは汝すみれの咲く春
  
すみれの花咲くころ
はじめて君を知りぬ
君を想い日ごと夜ごと
悩みしあの日のころ
すみれの花咲くころ
今も心ふるう
忘れな君われらの恋
すみれの花咲くころ
忘れな君われらの恋
すみれの花咲くころ」
(作詞 Fritz Rotter 白井鐵造、作曲 Franz Doelle)

 宝塚歌劇団のシンボル曲というかテーマソングとなっているこの曲、甘く切ない歌である。
 “すみれ”ってそんな抒情的な香りを醸し出す可憐な花。野に群生するすみれも良いが、小さな花鉢に一輪という“すみれ”も愛おしい。
 宝塚歌劇団創立100年を越えた、いろんな記念行事が繰り広げられたが、そこに流れるこの「すみれの花」の歌は人々の心を虜にしまた癒してくれた。
 ギリシャ神話にこんな話が残っている。
「美しい娘イオには羊飼いのアティスという許婚がいた。しかし、太陽神アポロンがイオに恋し追いかけまわしていた。すると、女神ディアナがアポロンから守るためイオの姿をスミレに変えた」という。

 すみれは古来から愛されていた花で、万葉集にもみられる。
「春の野に菫つみにと来(こ)し我そ 
  野をなつかしみ 一夜寝にける」(山部赤人)
 
 和歌や俳句にもすみれは多く登場している。
「しばしとて出こし處もあれにけり 蓬のかれ葉董まじりに」(藤原定家)
「古郷の昔の庭を思出でて すみれつみにとくる人もがな」(西行)
「こよひ寝て摘みて帰らむ菫さく 小野の芝生は露しげくとも」(中納言国信)
「故郷の志賀の都のすみれ草 つむ人なしに花やさくらん」(綱吉)
「春の野にさけるすみれをてに摘みて わがふるさとをおもほゆるかな」(良寛)
「山路(やまじ)きてなにやらゆかし 菫草(すみれぐさ)」(松尾芭蕉)
「玉透のガラスうつはの水清み 香ひ菫の花よみがえる」(正岡子規) 
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花の詩「卯の花」

2021年05月29日 21時17分17秒 | 花の詩
「花の詩」を前回綴ったのは昨年の6月だった。ほぼ一年ぶりの掲載となる。
 ようやく一年の中でシンドイ保険会社の決算記事の編集を終えて本日本社へ出稿したので「花の詩」を一気に整理した。
 暇な時間を見計らいながら、資料集めから裏どりまでかなりの月日を要してしまう「花の詩」だけに半年、一年とかかるときもある。
 今朝、本社送りしてから、集めた「花の詩」の資料を整理し書き上げた。

「花の詩」
 わがマンションの各棟の窓辺の地上に卯の花や紫陽花、イヌツゲなどが植えられその周りは芝生となっている。
マンション上階からの落下による衝撃を緩和する目的なのだが。
 若葉の頃になると歌にあるように、「卯の花の、匂う垣根に・・・」と香りが漂ってくる、そう、「夏はきぬ・・・」だ。
 花言葉は「古風」「風情」「秘密」。誕生花は6月3日、6月30日。
 卯の花はウツギ(空木)と称され、学名では「Deutzia zrenata」というようで、アジサイ科ウツギ属の落葉低木でユキノシタ科で分類される場合もあるとのこと。花弁は5枚で細長いが八重咲きなどもある。
 樹高は2~4mほどで、新しい枝は赤褐色を帯び星状毛が生える。
 和名のウツギの名は「空木」の意味で、茎が中空であることからそう名付けられたとされる。
 花は卯月(旧暦4月)に咲くことから「卯(う)の花」とも呼ばれ、古くから初夏の風物詩とされ、清少納言の随筆「枕草子」に、時鳥(ホトトギス)の鳴き声を聴きに行った清少納言一行が卯の花の枝を折って車に飾って帰京する話がある。
 また「卯月」の語源になっとされる『神まつる 卯月に咲ける 卯花は 白くもきねが しらげたる哉』(凡河内躬恒/おおしこうちのみつね)に詠まれ、「神祭の卯月に花開く卯の花の白さは、巫女が杵で搗(つ)いたようだ」と解説されていて「卯月」の語源とも。
 ウツギの木は丈夫で小木であることから、田畑や家など境界となる境木として植えられ、そのことから昔から境界をあらわす「クネ」という名がウツギの方言として使われたとある。
 そのため、花期が田植えの時期と重なるため、ウツギには田植えに関わる「タウエバナ」「ソートメ」(早乙女)といった方言もあり、収穫を願って田の水を引く水口に、ウツギの枝を手折って立てるといった習俗も知られている。
【和歌】
◇「卯の花の過ぎば惜しみか霍公鳥雨間も置かずこゆ鳴きわたる」
 (大伴家持)
◇「卯の花もいまだ咲かねば霍公鳥佐保の山辺に来鳴き響もす」
 (大伴家持)
◇卯の花を腐す長雨の始水に寄る木屑なす寄らむ子もがも」
 (大伴家持)
◇「ほととぎす我とはなしに卯の花のうき世の中になきわたるらむ」
 (凡河内躬恒)
◇「夕月夜ほのめく影も卯の花のさけるわたりはさやけかりけり」
 (藤原実房)
◇「霍公鳥鳴く峰の上の卯の花の憂きことあれや君が来まさぬ」
 (小治田広耳)
◇「鴬の、通ふ垣根の卯の花の憂きことあれや、君が来まさぬ」
 (作者不明)
◇「卯の花の咲くとはなしにある人に恋ひやわたらむ片思にして」
 (作者不明)
◇「時ならず玉をぞ貫ける卯の花の五月を待たば久しくあるべみ」
 作者不明)
【俳句】
◇「卯の花も白し夜なかの天の川」(言水)
◇「梅恋ひて卯の花拝む涙かな」(芭蕉)
◇「卯花も母なき宿ぞ冷じき」(芭蕉)
◇「卯の花やくらき柳の及びごし」(芭蕉)
◇「卯の花をかざしに関の晴着かな」(會良)
◇「卯の花は日をもちながら曇りけり」(千代女)
◇「卯の花や茶俵作る宇治の里」(召波)
◇「卯の花や盆に奉捨をのせて出る」(夏目漱石)

 そして誰しもが知っている、耳にしたことがある唱歌「夏は来ぬ」を最後に綴って閉じよう。
佐々木信綱作詞、小山作之助作曲。1896年5月、『新編教育唱歌集(第五集)』で発表。
2007年に日本の歌百選に選出。
*『卯の花の、匂う垣根に 時鳥(ほととぎす)、早も来鳴きて 忍音(しのびね)もらす、夏は来ぬ
*さみだれのそそぐ山田に 早乙女(さおとめ)が 裳裾(もすそ)ぬらして 玉苗(たまなえ)植うる夏は来ぬ
*橘(たちばな)のかおる軒場(のきば)の 窓近く蛍(ほたる)飛びかい おこたり諌(いさ)むる夏は来ぬ
*棟(おうち)ちる 川べの宿の 門(かど)遠く水鶏(くいな)声して 夕月(ゆうづき)すずしき 夏は来ぬ
*五月(さつき)やみ 螢飛びかい 水鶏(くいな)なき 卯の花咲きて早苗(さなえ)植えわたす 夏は来ぬ』

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「花の詩」 芥子(ポピー)の花

2020年06月13日 17時49分42秒 | 花の詩
ようやく「花の詩」が完成しました。

 

幼いころ病弱だった私はベット生活が長く、母や姉が気遣って花瓶に四季折々の花を摘んで飾ってくれていた影響だろうか、花になじみ好きになっていた。中学生になり丈夫な身体になってからは一転アウトドア派になり色黒く駆け周り、高校生になると山男だった。
 いろんな花に囲まれて育った私だが豪華なバラや百合という花よりもコスモス、芥子、撫子のような草花的な可憐な花を好んでいた。
 新婚早々のころ、千葉勤務から秋田へと転勤した。そしてあてがわれた社宅の前は広々とした砂浜に面した庭。初秋だったこともあり一面にコスモスの花と月見草が咲き乱れていた。家の近くには飛行場(今は自衛隊基地)へと続き日本海が広がっていた。雄物川を隔てた対岸の町に人気アイドル歌手となった桜田淳子さん宅があった。

 今回の「花の詩」、そんな思いでが浮かび「芥子」の花をテーマに選んでみた。
 芥子の花の全般の花言葉は「いたわり」「思いやり」「恋の予感」「陽気で優しい」だが、赤い芥子「慰め」「感謝」、白は「眠り」「忘却」、黄色は「富」「成功」。「慰め」はギリシア神話で豊穣の神デメテルがこの花を摘んで自らの心をなぐさめたことに由来するといわれ、「眠り」「感謝」の花言葉は、眠りの神ソムアヌがデメテルの苦しみを軽くするために芥子の花で彼女を眠らせたという伝説に因んでいるようだ。
 芥子というよりポピーという方が馴染んでいるだろうが属名(ケシ属:Papaver)は、ラテン語の「papa(粥)」が語源となり、幼児を眠らせるため、お粥(おかゆ)に催眠作用のあるケシ属の乳汁を加えていたことに由来している。
 また、中国では芥子を「虞美人草」とも云うが、古代中国の伝説に由来する。三国志に登場する項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)の最期の戦いのとき、項羽は愛する虞妃(ぐき)とともに劉邦の大軍にまわりを包囲された。項羽は別れの宴を開いてから最後の出撃をし、虞妃も自刃して果てたが、彼女の墓にヒナゲシの美しい花が咲いた。そのため人々はこの花を 「虞美人草(ぐびじんそう)」と呼んだ。
 芥子という呼び名は本来「カラシナ」を指す言葉だったようで、ケシの種子とカラシナの種子がよく似ていることから、室町時代中期に誤用されて定着したものであるとされる。室町時代に南蛮貿易によって芥子の種がインドから津軽地方(現在の青森県)にもたらされ、それが「ツガル」というケシの俗称となったという伝承がある。その後現在の山梨県、和歌山県、大阪府付近などで少量が産出されがいずれも少量で高価で用途も医療用に限られていた。
 芥子からアヘンが採れるということで、危険な植物と言われ実際に植栽が禁じられている種類もあるが、「オニゲシ(オリエンタルポピー)」「ヒナゲシ」などはアヘン成分はほとんどないものとなっていて安全。

【俳句】
 芥子を詠んだ句はかなり多く、いくつか紹介しておこう。
◇「けしの花とめどもなしにこぼれけり」(子規)
◇「けしの花大きな蝶のとまりけり」(子規)
◇「音もなし覗いて見ればけしが散る」(子規)
◇「午後の日の暈に僧院は罌粟咲けり」(秋櫻子)
◇「清姫といふ邑すぎて芥子紅し」(秋櫻子)
◇「甕の罌粟くだけ梅雨空窓にみつ」(青邨)
◇「音もなし覗いて見ればけしが散る」(子規)
◇「海士の顔先見らるるやけしの花」(芭蕉)
◇「白げしにはねもぐ蝶の形見哉」(芭蕉)
◇「けしの花我身わすれし月日哉」(千代女)
◇「けしの花籬すべくもあらぬ哉」(蕪村)
◇「芥子の花がうぎに雨の一当り」(一茶)
◇「生て居るばかりぞ我とけしの花」(一茶)
◇「僧になる子のうつくしやけしの花」(一茶)
◇「ちり際は風もたのまずけしの花」(其角)
◇「罌粟の花さやうに散るは慮外なり」(漱石)
◇「八重にして芥子の赤きぞ恨みなる」(漱石)
◇「馬頭初めて見るや宍道の芥子の花」(龍之介)
◇「雲遠し穂麦にまぢる芥子の花」(龍之介)
◇「芥子あかしうつむきて食ふシウマイ」(龍之介)

【短歌】
◇「くれなゐの唐くれなゐのけしの花夕日を受けて燃ゆるが如し」(伊藤左千夫)
◇「臥処よりおきいでくればくれなゐの罌粟の花ちる庭の隈みに」(斎藤茂吉)
◇「のびあがりあかき罌粟咲く、身をせめて切なきことをわれは歌はぬ」(石川不二子)
◇[ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟 われも雛罌粟」(与謝野晶子)

 また「地唄」にも芥子を歌ったものがあり、わずか4行唄を15分ほどかけて歌っている。
『芥子の花』(本調子半雲井)
菊岡検校作曲・松崎検校箏手付・後楽園四明居作詞
「手に取りて 見ればうるわし 芥子の花 しおりしおれば ただならぬ
匂い芳ばし 花びらの 散りしく姿 あわれそう (手ごと)
悋気する気は 夏の花 雨には脆き 風情あり
誰に気兼ねを なんにも言わず じっとしている 奈良人形」

 ポピーを占いにして「帰ってくる、来ない」と花びらをちぎりながら切なく歌ったものがある。
 ご存じ紅白歌合戦に出場したアグネス・チャンのデビュー曲「ひなげしの花」(1972年)はご存知だろう。
作詞 山上路夫 作曲 森田公一
「丘の上 ひなげしの花で
うらなうの あの人の心
今日もひとり
来る来ない 帰らない帰る
あの人はいないのよ 遠い
街に行ったの
愛の想いは 胸にあふれそうよ
愛のなみだは 今日もこぼれそうよ
手をはなれ ひなげしの花は
風の中 さみしげに舞うの
どこへゆくの
愛してる愛してない あなた
さよならを この胸にのこし
街に出かけた
愛の想いは 胸にあふれそうよ
愛のなみだは 今日もこぼれそうよ
愛の想いは 胸にあふれそうよ
愛のなみだは 今日もこぼれそうよ」

もう一つの名曲、ムルージが歌った「小さなひなげしのように」(1951年、作詞 レイモン・アッソ、作曲 クロード・ヴァレリー)(訳詞 宇藤カザン) 
「確かに君の言う通りかもしれない
でも僕が話せば君もその理由が分かるだろうよ
最初に彼女を見たとき
彼女は夏の光の小麦畑の中で
肌けた姿で眠っていた
そして彼女の鼓動が波打つ
白いブラウスの胸元の
優しげな陽の中に
一輪の花が息づいていた
小さなひなげしのように、愛しい人
小さなひなげしのように」






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花の詩「たんぽぽ」

2020年02月10日 10時11分07秒 | 花の詩

 春ともなるとそこかしこの木々の枝の冬芽が目覚め、野山の花が一斉に咲き始める。東北に住んでいた頃は根雪をスコップで取り除くと、その下から芽吹いた雑草の青々しさが眩く感じ「やったー春ダ」と感嘆したものだった。
古くから伝わる言葉に「踏まれても踏まれても、なお咲く たんぽぽの笑顔かな」というのがあります、たんぽぽの花は日本人に心に寄り添うものがあるようです。
 たんぽぽとは、キク科タンポポ族の多年草の総称で全世界に広く分布している。日本には「エゾタンポポ」や「シロバナタンポポ」、また、帰化植物の「セイヨウタンポポ」など10種類以上あり、江戸時代にはもう存在していて「鼓草」(つづみぐさ)と呼ばれていた。その後、日本伝統の楽器である鼓を叩く音の「タン」と「ポポ」という擬音が語源となりタンポポと呼ばれるようになったというのが通説です。
 英語では「ダンデライオン」といいますが、これは「ライオンの歯」という意味で、葉のギザギザがライオンの歯に似ているところからきたそうです。

【花言葉】
 古くからヨーロッパでは、たんぽぽの綿毛で恋占いをしていたことから、「愛の神託」や「神託」といった花言葉になったとされて、また、綿毛が風に吹かれて飛んでいく際に、ばらばらに離れていくことから「別離」の花言葉もあります。色々あるので並べると「愛の神託」「神託」「真心の愛」「別離」「幸福」「思わせぶり」「実直」「誠実」「神のお告げ」とたくさんあります。

【たんぽぽについて】
 「日本たんぽぽ」(在来種)は、ガクのように見えるところ、総苞片(そうほうへん)が、しっかりしぼんでいて、上を向いていますが、外側に反って下を向いているのが「西洋たんぽぽ」で、横に反っているのは在来種と外来種の雑種の可能性が高いようです。現在では、日本たんぽぽをみつけるのは難しく、ほとんどが西洋たんぽぽです。
 さて、「たんぽぽ茶」というのが昔むかしからありますが調べてみると、健康茶に興味がある人、カフェインが苦手な人などには参考になるかもしれません。妊婦にも良いとされ、また便秘、ダイエット効果もあるようです。
調べるていくと「たんぽぽコーヒー」という名前が多く出てきます。「たんぽぽ茶」は、お茶というよりはコーヒーに近い飲み物ということでしょうね。「たんぽぽ茶」の発祥はアメリカで、1830年代のニューヨークアルビオンに、たんぽぽ茶の作り方の紹介の記事が掲載されたのが、たんぽぽ茶の始まりとされていますが、起源については諸説あり、ポーランドで誕生したという説もあります。ポーランドでは貴族の人しか飲むことができない味を、国民にも味わってもらいたいと、国王の考えによりたんぽぽコーヒーができ、ヨーロッパに広まったと言われています。

 さて、「たんぽぽ」の親しみ深さからか、伊丹十三監督のラーメン屋を描いた「たんぽぽ」や、目立たないが希望を捨てず強く生きていく姿を歌ったシャンソン歌手のくみこさんの歌に「たんぽぽだけの花屋」というのがあります。
 また古くは、古典落語に「鼓ヶ滝」という興味深い噺(はなし)があります。
『若き日の西行が摂津国の『鼓ヶ滝』を訪れ、
「伝え聞く 鼓ヶ滝に来て見れば 沢辺に咲きし たんぽぽの花」
という和歌を詠んだ。
その夜、西行は近くの民家に、一夜の宿を借りた。
民家には、年老いた夫婦と十五・六の孫娘の三人が住んでいました。
西行は、その三人に請われるままに、昼間詠んだ和歌を披露します。
「伝え聞く 鼓ヶ滝に来て見れば 沢辺に咲きし たんぽぽの花」
ところが、歌を聞いた三人は、
「鼓なのだから、『伝え聞く』よりも、『音に聞く』にすべきだ」とか
「『来て見れば』も鼓を打つの縁語で『うち見れば』にすべきだ」とか
よってたかって、西行の自信作を直してしまった。
「音に聞く 鼓ヶ滝をうち見れば 川辺に咲きし たんぽぽの花」
口に出してみれば、自分の作より確かに優れていた。
そこで、西行は自慢の鼻をへし折られ、自分の修行の足りなさを実感した。
ところが、夜が明けてみれば、そこに民家はなく、自分が小さな祠の前に眠っていたことに気が付きます。
その祠を見ると、祭られていたのは「和歌三神」と言われる神様で、西行の慢心を戒める為に、老夫婦と孫娘の姿で現れたことを知るのでした。その後、西行はいよいよ歌道に精進をして、優れた歌詠みとなった。』という話・・・。

[俳句]
「山門に うなゐら遊ぶ たんぽぽもち」(山口青邨)
「しあはせに 短かたんぽぽ 晝になる」(細見綾子)
「蒲公英に 春光蒸すが 如きかな」(高浜虚子)
「たんぽゝの 黄が目に残り 障子に黄」(高浜虚子)
「たんぽゝに 城出て遊ぶ 女達」(長谷川かな女)
「乳吐いて 蒲公英の茎 折れにけり」(室生犀星)
「蒲公英に 飛くらしたる 小川哉」(小林一茶)
「犬去つて むつくと起る 蒲公英が」(夏目漱石)
「たんぽぽや 折々さます 蝶の夢」(加賀千代女)

[和歌]
「いとけなき 心葬りの かなしさに 蒲公英を掘る さとの岡べに」(齋藤茂吉)
「仄かにも 吾に親しき 豫言を いはまくすらしき 黄いろ玉はな」(齋藤茂吉)
「廃れたる 園に踏み入り たんぽぽの 白きを踏めば 春たけにける」(北原白秋)
「ふはふはと たんぽぽの飛び あかあかと 夕日の光り 人の歩める」(北原白秋)
「鋸の 齒なす諸葉の 眞中ゆも つら抽きたてる たむぽゝの花」(長塚 節)
「かたすみの 杉の木立の うす赤み 枯草原に たんぽぽの萌ゆ」(若山牧水)

[詩]
『タンポポの呪詛』(江間章子)[「夏の思い出」の作者]

 タンポポは魔女ではない
 けれどタンポポはヴイナスを殺した
 子供たちよ
 酔った女に近寄るものではありません
 やさしい聲がわたしの命を奪ったのだ
 あれはヴイナスではありません

[詩]「たんぽぽ」(川崎洋)[教科書]
 たんぽぽが
 たくさん とんで いく
 ひとつ ひとつ
 みんな 名まえが あるんだ
 おーい たぽんぽ
 おーい ぽぽんた
 おーい ぽんたぽ
 おーい ぽたぽん
 川に おちるな


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花の詩「カタクリの花」

2020年01月02日 11時01分51秒 | 花の詩
花の詩「カタクリ」
 早春ひそやかに咲くカタクリの花を撮影したいと機会を狙っていたが、昨年、何年振りになるだろうか大阪府交野市私市にある大阪市立大学理学部附属植物園の山野草エリアで撮影することが出来た。
1輪ずつ花をつけるカタクリには、「初恋」「寂しさに耐える」という花言葉があり、「初恋」は下向きにつく、つぼみの様子から、初恋のようなせつなさをイメージしてつけられたという説があり、また、「寂しさに耐える」という花言葉は、1株に1輪ずつしか花をつけず、まだ肌寒さも残る季節に、すっと佇んでいるイメージからつけられたという説があります。
 ユリ科カタクリ属に属する多年草で、古語では「堅香子(かたかご)」と呼ばれていた。
早春に10cm程の花茎を伸ばし、薄紫から桃色の花を先端に一つ下向きに咲かせ芽が地上に出てから10日程で開花する。花茎の下部に通常2枚の葉があり幅約3~6cm程の長楕円形の葉には暗紫色の模様がある(地域によっては模様がないものも)。開花時期は3月下旬~6月で葯は暗紫色。地上に葉を広げると同時に開花する。日中に花に日が当たると、花被片が開き反り返る。日差しがない日は終日花が閉じたままで、開花後は3室からなる果実が出来、各室には数個から20程の胚珠が出来る。地上に姿を現す期間は4~5週間程度で、群落での開花期間は2週間程と短い。このため、二輪草など同様に「スプリング・エフェメラル」(春の妖精)と呼ばれている。
 かつてはこの鱗茎から抽出したデンプンを片栗粉として調理に使われていた。近年は片栗粉にはジャガイモやサツマイモから抽出したデンプン粉が用いられている。若葉を茹でて、山菜とし食べられることがある。鑑賞用の山野草として、カタクリの球根が販売されているが、日本各地の群生地では、春の開花時期に合わせて「カタクリ祭り」などが開催される。
 カタクリは、かつては里山であれば簡単に見つけることが出来たが、現在はその姿を見る場所は少なく、森林の荒廃で笹などの別の草木に生息域を奪われた。場所によっては絶滅危惧種の指定を受けていて、植生地を整備することで守られている場所も少なくない。
 私の知るところでは、大和葛城山(大阪府・奈良県)は、カタクリの群生地として知られ、ツツジの咲く直前の4月中旬~下旬に自然研究路周辺に多くの花を咲かせる。周辺は多くの登山コースが整備されているので、ロープウェイを使ってのんびり登山するも良し、ダイヤモンドトレイルを使って、ロングトレイルを楽しむこともできる。

「カタクリの花」にこのような歌がある。
作詞 笠木 透、 作曲 安達元彦
1.遠く山並みに 雪は残れど
  やがて芽吹きの 山すその林
  春になるたび きっと思い出す
  嫁いでいった 君のことを
  赤紫の カタクリの花
  君に似ているね
  やさしい花だね
2.山の畑には 誰もいない
  野焼きの煙が 流れただよう
  春が来たのに 別れだなんて
  忘れはしない 君のことを
  赤紫の……
3.近くハルゼミの 声が聞こえる
陽射しあたたか 萌えるかげろう
 春だ 春なんだ それでも春だ
さびしくなるな 君がいなけりゃ
   赤紫の……

【俳句】
◇「片栗の 花の紫 うすかりき」高浜虚子
◇「かたかごの 咲くや万葉の おもかげを」 山口青邨
◇「かたかごの 山の斜面の 日ざしかな」細見綾子
◇「かたかごの 花に入江の 汐騒ぐ」山口青邨
◇「日洽し 片栗の葉に 花に葉に」石井露月
◇「かたかごの 花や越後に ひとり客」森澄雄
◇「片栗の 花を咲かせて 山しづか」長谷川 櫂
◇「かたくりの 花に夕日の 端とどく」井上あい
◇「片栗の 一つの花の 花盛り」高野素十

【和歌】
◇「もののふの やそをとめらが 汲みまがふ 寺井の上の 堅香子の花」大伴家持
◇「をさなくて わがふるさとの 山に見し 片栗咲けり みちのくの山に」三ヶ島霞子
◇「妹がくむ てらゐの上の かたかしの 花咲くほどに 春ぞなりぬる」藤原家良
◇「かたくりの 若芽摘まむと はだら雪 片岡野辺に けふ児等ぞ見ゆ」若山牧水
◇「春雨の ふりつぐ中に みづみづしく 一日閉じたる かたくりの花」土屋文明 
◇「日中(にっちゅう)を 通りつつ時折に むらさきそよぐ 堅香子の花」宮 柊二



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木蓮

2018年04月24日 11時12分04秒 | 花の詩
 花言葉 「自然への愛」「持続性」、白木蓮は「高潔な心」「気高さ」。
 イギリスの王宮植物園園長だったジョセフ・バンクス卿が中国からモクレンを取り寄せたときに、「枝先にユリの花が
ついている木」と評したから花言葉が「気高い」と云われるようになったもいう。

 木蓮は紫色の花が主流だが、私は白木蓮のほうが好きだ。青空に向かって手を包むように祈りを捧げるように花開き、
光に透けて眩い神々しさに惹かれる。
 私が生まれた九州の片田舎にたたずむ家の庭にも木蓮があった。紫と白の2本の花木が並んでいた。百日紅や桜、グミ、
枇杷、柿の木などもあったが花木は3種類だった。

 古き時代は「木蘭(もくらん)」と呼ばれていたこともあるようで、花が蘭(ラン)に似ているからのようだ。
今日では、蘭よりも蓮の花に似ているとして「木蓮(もくれん)」と呼ばれるようになったという。
 3~4月頃が開花期で、白木蓮の性質の1つが開花期に葉をつけないうちに桜の様に花を咲かせ、また、花は完全に開ききらず、斜め上向きに白い花を咲かせるのが特徴。
 白木蓮とよく似た花を咲かせる「辛夷(こぶし)」があるが、同じモクレン科のモクレン属で、白い花を咲かせるので、
見間違うことがあるが、花の花びらは8枚あり、花が咲き始めると葉が出てくる。葉は花を隠してしまうくらい大きいです。樹丈は5m前後位まで生長し、横に広がりやすい。 生長が早いので、植付けをしてから数年でも4~5m位まで樹丈が伸びる。寒さや暑さに強いので育てやすい樹木のようだ。

 さて木蓮は、地球上で最古の花木といわれており、1億年以上も前からすでに今のような姿であったようで、香水の材料としても使われている。白亜紀、第三紀の地層から化石が発掘されるそうだ。また、木蓮の仲間(コブシ、タムシバなど)は、「方向指標植物(コンパス・プラント)」と呼ばれているが、それは、つぼみの先端が「必ず北を向くから」なんだそうだ。日当たりのよい南側の方が早く成長し、バナナのように曲がって先端が北を向くからだ。
 こんな話もあり、山歩きのハイカーなどに、方向を把握する目印とされているという。つまり、「夜の北極星(ポラリス)「昼のモクレン属」といって磁石がないとき方角の目印になったとも・・・。

 中国が原産で、平安時代以前に日本に渡来。平安時代に編纂された和名類聚抄にはすでに木蓮があったことが書かれている。当初、漢方薬として渡来していて、渡来する前には辛夷の代用品として、日本原産の辛夷が使用されていたことから、現在、辛夷をコブシに当てて表記している。
 千昌夫の「北国の春」で歌われることから知らない人はいないようだ。木蓮も辛夷も寒さに強く、北海道でもどちらも育つので、辛夷の方が格別寒さに強いってことはないです。コブシの名前の由来は種子がボコボコして「拳」のようだからとも、蕾が「拳」のようだからともいう。

 では、木蓮にまつわる伝説をいくつか紹介しておこう。
[白木蓮と紫木蓮]
 昔、玉皇上帝のきれいな娘は他の青年には興味がなく、ただ北の国の王を愛していた。玉皇上帝の娘は北の国の王が結婚したことも知らず、父の政略的な結婚に嫌気がさし、家出して彼を探し出したが、娘がそこに辿り着いた後で、彼が結婚したという事実を知り、ショックを受けて自殺をしてしまったが、北の国の王は、玉皇上帝の娘が自分を愛して死んだことを知って悲しみ葬儀を出した後、自分の妻である王妃を毒殺した。この話を聞いた玉皇上帝は彼らを哀れんだ。すると、二人の墓からそれぞれ花が咲き、姫の墓では白木蓮、王妃の墓には紫木蓮が咲いた。その後、二つの木蓮の花のつぼみは北を向けており、同じ場所で咲くことはなかったといわれている。

[中国の民話]
 秦(チン)という姓の挙人(科挙の郷試に合格した人)がいた。或る時、秦挙人は鼻の病気に罹り、臭い膿のような鼻汁が流れ出るようになり、妻子も近付くのをいやがるようになった。医者も薬も全く効かなかったので、秦挙人は自殺も考えたが、友人の勧めで旅に出ることにした。
 数ヶ月後、秦挙人は遠い南の地方の異民族の村に鼻の病気を治せる医者がいると聞き、その医者を訪ねた。異民族の医者は山に咲くある花の萼を煎じて秦挙人に飲ませた。秦挙人の病気は煎じ薬を飲み始めて半月程で治った。秦挙人家に戻ることにしたが、再発を心配して医者に薬をくれるように頼んだ。すると、医者は庭に植えるための種を持たせてくれた。
 秦挙人は庭に種を蒔き、数年後には木々は大きくなって庭中に枝葉を茂らせた。秦挙人は鼻の病気の人には萼を摘んで煎じて飲ませて上げた。秦挙人は花の名前を医者から聞いてこなかったので、「辛亥(シンハイ。1911年)」の年に「夷族(イーヅー。異民族の意)」の医者から種をもらったという意味をこめて辛夷と名付けたという。

[九龍戯水]伝説
 中国の桂林にある観光地に「九龍戯水」がある。岩肌から龍の頭や爪のような岩がせり出していて、龍が水と戯れているように見える。その龍は、玉帝に派遣されて木蘭の花をとりにきた神龍だという伝説がある。

 花「モクレン」といえば、スターダスト・レビューの「木蘭の涙」という名曲がある。
《木蘭の涙》
歌:中村舞子 作詞:山田ひろし 作曲:柿沼清史
「逢いたくて 逢いたくて この胸のささやきが
 あなたを探している あなたを呼んでいる
 いとしさの花籠抱えては 微笑んだあなたを見つめてた遠い春の日々
 やさしさを紡いで織りあげた 恋の羽根緑の風が吹く丘によりそって
 やがて 時はゆき過ぎ幾度目かの春の日 あなたは眠る様に空へと旅立った
 いつまでも いつまでも側にいると 言ってたあなたは嘘つきだねわたしを置き去りに
 木蘭のつぼみが開くのを見るたびにあふれだす涙は夢のあとさきに・・・(略)

《俳句》
「木蓮の花許りなる空を瞻る」漱石
「木蓮に夢の様なる小雨哉」漱石
「子と遊ぶうらら木蓮数へては」山頭火
「絵本見てある子も睡げ木蓮ほろろ散る」山頭火
《短歌》
「春はただ盃にこそ注ぐべけれ智慧あり顔の木蓮の花」晶子
「木蓮の落花ひろひてみほとけの指とおもひぬ十二の智円」晶子
「白木蓮の花の木の間に飛ぶ雀遠くは行かね声の寂しさ」白秋
「玉蘭は空すがすがし光發す一朝にしてひらき満ちたる」白秋

《詩》
詩人 立原 純
(2018年3月10日)
[薄紫の首筋](木蓮の花)
木蓮の白き色艶が輝きを放つ時
季節は移り変わりゆき鮮やかに

薄紫に染まりし、君の首筋が
仄かに想ひの色艶を秘めて
凛と咲きほこる

光を受ける白き色艶の花顔は
何ぞを想ふか、風の声を受けて

振り返る人々の視線を集めども
知らぬふりして、君は首筋の色艶を
光に見せては仄かさの匂ひに染まる

移り変わる季節時計は
あまりの色艶に
振り向きざまに感嘆の声を
あげることだろう

君の白き色艶と、その薄紫の首筋に
何処ぞから引き寄せられる
蝶の姿でさへも
その匂ひに惹きつけられるけれど
凛とした色艶は、光の風を見つめる

いつしか、その風の中からも
何処ぞの花びらは飛びゆきて
その薄紫の首筋に花唇を寄せて
いくことだろう

光の中で染まる花顔よ

薄紫に染まりし、君の首筋が
仄かに色艶を秘めて咲きほこる

その輝く白き花顔と、仄かな首筋は
風の中の、誰に想ひを寄せるかや

(参考:ウィキペディア、その他ブログ等)
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【花の詩】「百日紅(サルスベリ)」

2017年07月14日 15時51分06秒 | 花の詩


  花言葉は、「雄弁」「愛敬」「活動」「世話好き」

 中国南部を原産とする夏を代表する花木の一つで、冬は落葉します。日本にやってきた正確な時代は不明ですが、大和本草(1708年)に載っているところから、それ以前だと考えられます。
 春に伸びた枝の先端に夏から秋にかけて花を咲かせます。花色は白、ピンク、紅、紅紫などがあります。花びらは6枚でフチが強く波打ちます。満開時期の姿はよく目立ちます。花後に球形や楕円形の果実をつけ、熟すとはじけてタネが散ります。
タネには薄い羽のような翼(よく)が付いています。樹皮は褐色で所々はがれて白い肌があらわれ、縞模様になります。樹皮のはがれた部分はつるつるしているところから、「猿も滑って落ちる」というイメージから「猿滑り」というのが由来とされている。漢字では
「百日紅」という漢字を当てますが、これは開花期間が長いところにちなんでいる。
 愛らしいお花には古くから様々な伝説があるもので、中でも悲恋のお話は大変多く、この百日紅にも朝鮮半島に一つの伝説がある。
『旅の王子が、竜神の生贄にされていた生娘を救うため、勇敢に闘って竜神を退治したのち、その娘と恋に落ちるが、使命を終えるまでは暫しの別れと、百日後の再会を約束して旅を続けることになった。
 ところが、待ちわびた約束の日を目前に、あろうことか娘は亡くなってしまい、帰還した王子は嘆き悲しみにふける。
やがて娘のお墓からは一本の木が生えて紅色の可憐な花を咲かせ、いつまでも咲き続けたため、百日もの間恋人を待ち続けた娘の生まれ変わりに違いないと、村人達はこの花を百日紅と名づけました。』
 私が生まれた家の庭の池のたもとに百日紅の木が1本あった。幹も枝もしっかりしており、兄が太い枝と枝に間に床板を何枚か置いてその上にムシロを敷き「ターザンの家」を作ってくれた。
まだ幼児の頃で毎日ターザンの家で遊んでいた。幸い猿でなかったので滑らずにすんだのだろうか。懐かしく思い出される。
[俳句](正岡子規)
◇「青天に咲きひろげゝり百日紅」
◇「てらてらと小鳥も鳴かず百日紅」
◇「きらきらと照るや野寺の百日紅」
◇「小祭の獅子舞はせけり百日紅」
◇「百日紅咲くや小村の駄菓子店」
◇「酒好の昼から飲むや百日紅」
◇「散れば咲き散れば咲きして百日紅」(加賀千代女)

[和歌]
◇「はつはつに咲きふふみつつあしびきの暴風(あらし)にゆるる百日紅(さるすべり)のはな」
(斎藤茂吉第二歌集『あらたま』)
◇「足引の山のかけぢのさるなめりすべらかにても世をわたらばや」
(『夫木和歌抄』 (猿滑) 藤原為家)

[漢詩]
「看百日紅」(玄齋(上平聲一東韻))
「人間少看百年翁 籬畔孤高百日紅
病客求君移枕簟 紫微宮女覘叢中」
《現代語訳》
題「サルスベリの花を見る」
「人間の世界では百年も生きるおじいさんを見ることはまれにしかないのですが、垣根のそばで一人で百日紅(さるすべり)がその名の通り、百日もの長い間、その紅い花を咲かせているのです。病気の身の私は、そんなあなた(百日紅の花)を求めて枕とむしろの寝具の位置を移すと、紫微宮(しびきゅう)、つまり王宮に仕えている美しい当時の女の人の姿を草むらの中にうかがい見ることができるのです。」

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花の詩「アザミ(薊)」

2014年10月17日 10時02分12秒 | 花の詩

[花言葉]:独立、厳格、復讐、満足、触れないで、安心。

『薊の花も一盛り』(あざみのはなも ひとさかり)という言葉がある。
 これは、「器量のよくない女性であっても、年頃になるとそれなりの魅力や色気が出るものだ」という喩えとして使われた言葉のようだ。
こんな言葉はもう死語となっているだろうし、現代ではもはやセクハラの疑いを受ける言葉でもあろう。
 アザミはその喩えのごとく愛される美しい花として受け止められていなかったということなのだろうが、数年前、乗鞍岳へ写真撮影旅行に出向いたとき、白樺林を背にした一輪のアザミが目に留まった。それは楚々としてまた凛とした姿が鮮烈に目に焼き付いた。その魅力、魔力に魅せられ引き寄せられるかのように私はカメラのシャッターを切った。

 こんな切ない歌がある。読者の方々もよくご存じだろう。
「山には山の愁いあり
海には海のかなしみや
ましてこころの花園に
咲きしあざみの花ならば
高嶺(たかね)の百合のそれよりも
秘めたる夢をひとすじに
くれない燃ゆるその姿
あざみに深きわが想い
いとしき花よ 汝(な)はあざみ
こころの花よ 汝はあざみ
さだめの径(みち)は果てなくも
香れよ せめてわが胸に」
 そう、「あざみの歌」である。この歌、私は大好きで若かりし頃の十八番の歌で、歌手気取りで朗々と歌っていたものだ。

 あざみを直接挿入した詩ではないが、建築家・立原道造氏がうたったものがある。
『薊の花のすきな子に』
「風は 或るとき流れて行った 
絵のやうな うすい緑のなかを
ひとつのたつたひとつの人の言葉を
はこんで行くと 人は誰でもうけとつた
ありがたうと ほほゑみながら
開きかけた花のあひだに
色をかへない青い空に
鐘の歌に溢れ 風は澄んでゐた
気づかはしげな恥らひが
そのまはりを かろい翼で
にほひながら 羽ばたいてゐた… 
何もかも あやまちはなかつた
みな 猟人も盗人もゐなかつた
ひろい風と光の万物の世界であつた」

 薊は葉や総苞にトゲが多く、頭状花序は管状花のみで作られていて、花からは雄蘂や雌蘂が棒状に突き出し、これも針山のような状態となる。花色は赤紫色や紫色をしている。
 芽吹き育ちはじめたころは根出葉があり、次第に背が高くなり、茎葉を持つが、最後まで根出葉の残る種もある。草原や乾燥地、海岸などに出るが、森林内ではあまり見かけない。別名刺草。名前の由来は、アザム(傷つける、驚きあきれる意)がもとで、花を折ろうとするととげに刺されて驚くからという説がある。
 それ裏付けとなる一説が、沖縄の八重山地方で、とげを「あざ」と呼ぶことから「あざぎ」(とげの多い木)と呼ばれ、それが転じて「あざみ」になったとか。

[俳句]
「富士に在る花と思えばあざみかな」(高浜虚子)
「花は賎のめにもみえけり鬼薊 芭蕉(詞林金玉集)
「石原やくねりしまゝの花あざみ」(白雄「白雄句集)

[和歌]
「口をもて 霧吹くよりも こまかなる 雨に薊の 花はぬれけり」(長塚 節)
「あざみ草 その身の針を 知らずして 花とおもいし 今日の今まで」(作者未詳/続鳩翁道話)
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