「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

山茶花

2013年01月24日 10時06分33秒 | 花の詩
 
 『山眠る 比叡の麓の 詩仙堂
      たれを偲ぶや 白き山茶花』(HIDE)

 石川丈山は武人の人であったが、33歳の時、比叡山の麓、一乗村に庵を造り隠居の身となった。この庵が詩仙堂である。
一乗寺下り松の辻からなだらかな坂を登っていくと、やがて山茶花の木の茂みに簡素な門が現れる。冬の初めになると、この山茶花が白い花をつけ雪をかぶったように竹門を覆う。『花まれに 白山茶花の 月夜かな』この句は、原 石鼎(せきてい)の作で、月の照らす山茶花の木に一輪二輪、白い花が見える。白い花びらにさす冬の月の光が清らかな様を詠んだ。
 
 丈山は、この山茶花の風情をこよなく愛し、90歳で亡くなるまで、この木を見ながら暮らしたという。

 『山茶花の 散りしばかりや 石の上』 
  小寺敬子(よしこ)

 『山茶花は 漱石の花 一枝折る』
  草間時彦
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花の詩「おみなえし」

2013年01月18日 09時11分24秒 | 花の詩
おみなえし(女郎花)】

『女郎花 咲きたる野辺を 行きめぐり 
   君を思ひ出 徘徊(たもとほ)り来ぬ』 
                   大伴池主

 「藻塩草」によれば、平城天皇(806-809)の頃、京都の男山に住む小野頼風と将来を約束した都の女性が、訪れの絶えた頼風を訪ねていくと、頼風はすでに他の女性に心を寄せていた。女性は頼風を恨みに思い、山吹重ねの衣を男山八幡の川のほとりに投げすてて入水自殺をする。山吹色の衣はやがて朽ち果て、黄色に匂うオミナエシの花が咲き乱れたという。この物語は脚色され謡曲の「女郎花」となって哀れをさそう。
今も物語の発祥の地として、京都府八幡市にある「松花堂」(松花堂弁当の発祥の地)庭園の片隅に、「女郎花塚」が立てられている。
 オミナエシのオミナに当てている漢字のルーツをたどっていくと、「佳人」「美人」「姫」「娘」などがあり、情趣ふかい「佳」の字が用いられていた。

 万葉の頃、平城京北方の佐紀のあたりには女郎花が咲き乱れていたのか、女郎花はこの地「佐紀」にかかる枕詞などに使われている。『をみなへし 佐紀沢に生ふる 花かつみ かつても知らぬ 恋もするかも』と歌われている。今も平城京の一角に秋になれば女郎花の群生が咲き乱れる。



  古都逍遥が完結しましたので、新たな企画として[花の詩]を掲載します。
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