京都府の北部若狭湾に面した舞鶴市の東部、志楽川支流・鹿原川の奥にある「関西花の寺 第三番霊場」となっている鹿原山「金剛院」(慈恩寺)は、三島由紀夫の小説「金閣寺」に紅葉と境内の状況が描かれているほど、丹後の紅葉の名刹としても知られている。
平城天皇の皇子、嵯峨天皇の皇太子であった高岳(たかおか)親王が平安前期の天長6(829)に創建したがその後衰退し、永保2年(1082)白川院が再興、その後、美福門院が再建したと伝えられている。
親王は弘仁1年(810)の薬子の乱で連座、地位を失って出家し、空海の元で真言密教を学び、10大弟子の1人となり真如法親王と呼ばれた。金剛院を創建したのち836年に入唐し、印度に向かう途中で死去した。
本尊はもと阿弥陀如来であったが、白河天皇勅願の永保2年(1082)以後「波切不動尊」となったという。海難、水難などすべての災害を除くとされることから海軍の信仰も篤かったという秘仏で、節分の日だけご開帳される。
三重塔(重要文化財)ほか、絵画の絹本著色薬師十二神像、仏像の木造阿弥陀如来坐像・木造増長天立像・木造多聞天立像(平安後期)・木造金剛力士立像(鎌倉初期)など多くの寺宝があり、中でも快慶作「の執金剛神立像」と、三蔵法師がインド取経の旅中に沙漠で感得した守護神という「深沙大将立像」は日本でも数少ない(福井県の明通寺、岐阜県の横蔵寺ほか)仏像として重要文化財となっている。
三重塔から本堂に至る山腹の紅葉は、田辺城主、細川幽斎の植樹といわれているが、江戸時代以前より植樹が続けられてきたことから全山で約1万本ともいわれ、近畿でも屈指の紅葉を誇っている。特に、春の新緑の「青もみじ」の清冽さは格別なものがある。
方丈の前庭(小池庭)は細川幽斎の作庭と伝えられ、熊本県水前寺成趣園の雛型という。夏には白い姥百合が咲き、夏の終わりにはピンクの秋海棠(しゅうかいどう)が境内中に咲きみだれる。冬は雪で覆われ、静かな境内がいっそう静けさを増すという。また、凛とそそり立つカヤの木(千年榧)は市天然記念物に指定されている。
所在地:京都府舞鶴市鹿原595。
交通:東舞鶴から京都交通バスで鹿原下車、徒歩10分、または小浜線松尾寺駅下車徒歩20分。東舞鶴駅からはタクシーで片道2000円余り。 車の場合、舞鶴若狭自動車道、舞鶴東ICから北東へ約5km。
平城天皇の皇子、嵯峨天皇の皇太子であった高岳(たかおか)親王が平安前期の天長6(829)に創建したがその後衰退し、永保2年(1082)白川院が再興、その後、美福門院が再建したと伝えられている。
親王は弘仁1年(810)の薬子の乱で連座、地位を失って出家し、空海の元で真言密教を学び、10大弟子の1人となり真如法親王と呼ばれた。金剛院を創建したのち836年に入唐し、印度に向かう途中で死去した。
本尊はもと阿弥陀如来であったが、白河天皇勅願の永保2年(1082)以後「波切不動尊」となったという。海難、水難などすべての災害を除くとされることから海軍の信仰も篤かったという秘仏で、節分の日だけご開帳される。
三重塔(重要文化財)ほか、絵画の絹本著色薬師十二神像、仏像の木造阿弥陀如来坐像・木造増長天立像・木造多聞天立像(平安後期)・木造金剛力士立像(鎌倉初期)など多くの寺宝があり、中でも快慶作「の執金剛神立像」と、三蔵法師がインド取経の旅中に沙漠で感得した守護神という「深沙大将立像」は日本でも数少ない(福井県の明通寺、岐阜県の横蔵寺ほか)仏像として重要文化財となっている。
三重塔から本堂に至る山腹の紅葉は、田辺城主、細川幽斎の植樹といわれているが、江戸時代以前より植樹が続けられてきたことから全山で約1万本ともいわれ、近畿でも屈指の紅葉を誇っている。特に、春の新緑の「青もみじ」の清冽さは格別なものがある。
方丈の前庭(小池庭)は細川幽斎の作庭と伝えられ、熊本県水前寺成趣園の雛型という。夏には白い姥百合が咲き、夏の終わりにはピンクの秋海棠(しゅうかいどう)が境内中に咲きみだれる。冬は雪で覆われ、静かな境内がいっそう静けさを増すという。また、凛とそそり立つカヤの木(千年榧)は市天然記念物に指定されている。
所在地:京都府舞鶴市鹿原595。
交通:東舞鶴から京都交通バスで鹿原下車、徒歩10分、または小浜線松尾寺駅下車徒歩20分。東舞鶴駅からはタクシーで片道2000円余り。 車の場合、舞鶴若狭自動車道、舞鶴東ICから北東へ約5km。