「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

花の詩「ばら」

2013年09月11日 23時48分10秒 | 花の詩
 「花言葉」赤…愛情. ピンク…わが心、君のみが知る・温かい心・満足. 白…尊敬・私はあなたにふさわしい. 黄…君のすべてが可憐・嫉妬・薄れ行く愛・美. 帯紅…私を射止めて。

「花を描いたリボンに添えて」
 ちいさな花を ちいさい葉を 若々しい春の神々が
 うすもののリボンの上に たわむれながら蒔き散らしてくれます。

 そよ風よ、そのリボンをおまえの翼にかけて運んで
 わたしのだいじなひとの着物にからんでおくれ。
 するとそのひとは飛びたって 鏡の前へ走っていく。

 薔薇の花につつまれて 自分も咲きかけた薔薇のよう。
 うれしそうな笑顔、愛するひとよ、それでわたしは充分に
 酬いられたのです。

 この心の鼓動を感じてください、そのお手を取らせてください、
 そしてわたしたちをむすび絆が、
 かよわい薔薇のリボンではないように。(ゲーテ:手塚富雄訳)

 薔薇にはことのほか思いいれがある。物ごころがついた児童の頃、九州の地で最後に住んだ佐賀県多久市北多久町古賀山の家で、無骨者だった父が、何を思ったのか薔薇の魅力に取り付かれたのだ。
 その頃、ご近所でも庭に花壇を作るのが流行りだしていた。ダリアだけを集めたダリア園、チューリップを好んで集めていた家、いろんな花々を栽培して花園を作っていた家。父は、春、秋と2度楽しめる薔薇に目をつけたのかもしれない。関西にあるタキイ種苗から薔薇の苗木を取り寄せて庭に植え始めた。庭は100坪を超えていた、それまでは母が野菜を栽培し日々の食材としていた。1本2本と薔薇の苗木が増え、もともと凝り性だった父、とうとう野菜畑のほとんどを潰し、広大な薔薇園を造成した。休日には、朝から、造園にかかりつけだった。
 その薔薇、いつしか100種類を超え、挿し木、接木でさらに増えていった。ヨーロッパ風の庭にしつらえ、薔薇の門まで作りつる薔薇を這わせた。
 そして、春、秋に花が咲くと、近所の人や勤め先の人たちを家に招いては花見をするのだ。私も成長するに従い、父を手伝って薔薇の栽培をするようになり、薔薇作りには一つの心得もできた。
 父は、この地を離れ大阪に転居するまで、13年ほど薔薇を愛し続けていた。
 昨年、講演の仕事で佐賀に出向いた。そして、その家を40年ぶりに訪ねてみると、住処は潰され、家と庭だった跡地に2軒の洋風の家が建っていた。哀れ薔薇は、どこに行ってしまったのだろう・・・。

 「はち切るるごとき精力を身に持ちたし
  と呼吸をぞとむる 薔薇のくれなゐ 
                 (若山牧水)

 「薔薇は薔薇の悲しみのために花となり
   青き枝葉のかげに悩める
              
 「咲き切って薔薇の容を超えけるも」(中村草田男)
  「薔薇ひらききって芯まで風およぶ」(矢部栄子)
「番傘の軽さ明るさ薔薇の雨」(中村汀女)
コメント
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