東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

村井章介,『海から見た戦国日本』,ちくま新書,1997 その2

2007-02-11 09:42:56 | 移動するモノ・ヒト・アイディア
1月26日にレヴューした時忘れていたこと。
いや、最初このことを書くために、レヴューするつもりだったのに、書いていく途中で忘れた。ぼけている。

鉄砲伝来のこと。
著者は、日本列島への鉄砲の伝来を、「アジア域内の事件」として扱うことを否定している。
つまり、鉄砲を伝えたのは、倭寇であって、伝えられた鉄砲もアジアで制作されたものである、という最近の考証である。
たしかに、現存する史料だけを考証すれば、こういう結論、つまり、鉄砲伝来は、アジア域内における技術の伝播である、という見方もうなずける。

しかし、著者は、そういうこまかい字面ではなく、鉄砲伝来の歴史的意義を考えるなら、やはり、ヨーロッパ人のインパクトの一環として、日本列島まで鉄砲がやってきた、と考えるべきだと主張している。

たいへん常識的で、説得力がある。

それから、本書の記述を離れて、もうひとつ「ポルトガル人」という言葉について。
これは、漢文史料や日本語史料の中の「南蛮人」を翻訳したものである。
それで、この「南蛮人」は、イベリア半島から来たキリスト教徒である、と説明されることが多い。
それも間違いではないが、今あつかっている、鉄砲伝来など、ジャンクに乗って来た南蛮人という状況を考える場合、必ずしもキリスト教徒ではないし、イベリア半島出身者というわけではない。

インド洋、東南アジア方面からきた、海上勢力を漠然と示す言葉と考えてよいだろう。
とすると、実は、「倭寇」と重なる要素が多いのである。
後期倭寇=中国人とする大雑把なとらえかたがあるが、あれも正確ではない。
「倭寇」のジャンク船が鉄砲を伝えたのだから、チャイニーズが鉄砲を伝えたという、解釈があるが、倭寇=チャイニーズではない。

つまりだ、東シナ海・南シナ海の海上勢力は、九州の人々から見ると「南蛮人」であったり、華南沿岸の人々から見ると「倭寇」であったしたわけだ。さらに、マレー世界に行けば「ポルトガル人」とか「チャイニーズ」あるいは「日本人」と認識されたわけだ。もちろん、個々の人間が、九州生まれか華南生まれか朝鮮半島生まれかイベリア半島生まれかはわからない。

ポルトガル人≒倭寇≒華人≒日本人

なのである。(むちゃくちゃな意見と思う人もいるかもしれないが、歴史分野ではほぼ常識として受け入れられている考えですよね。)