東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

可児弘明,『シンガポール 海峡都市の風景』,岩波書店,1985

2007-02-15 23:01:26 | コスモポリス
前項『ハイドゥナン』に描かれるムヌチの祈りがとてもチャイナっぽかったので、そのへんのことを書いた本をさがして拾い読みしようと思ったのだが……。

著者(かに・ひろあき)は、香港在住が長い、香港および広東文化圏研究者。
本書は短期間の滞在でとらえたシンガポールの印象であり、旅行記である。

とはいうものの、バックグラウンドが広く教養が深い人の旅行記とはこういうものか、思わずひきこまれ、通読した。
ものすごい鋭い観察と深い分析である。

1980年代前半のシンガポール社会を考察しているわけだが、著者のホームグラウンドである香港との比較、華人文化の違いが鮮明だ。
本書が書かれた当時、香港は雑然としたエネルギッシュな経済都市、シンガポールはクリーンで管理された退屈な都市、という一般的イメージが、すでに確立していたらしい。
著者は、そういうステレオタイプのイメージからはいり、ディープで複雑な都市生活を読者の前に提示する。

植民地政策の分割統治によってつくられた複合社会をくずそうとする人民党リー・クアン・ユー。
大中華の飛び地ではなく、マレー人、イスラーム、インド人と共存する小国として、バランスをとって生きのびる方策を採らざるをえない。
そうした、苦しい国づくりの中での、管理社会、罰金社会、言語政策、住宅政策である。

しかし、そういう国家主導の舵取りからはみだした、あるいは管理社会からこぼれ落ちたさまざまな要素を、著者は拾いあげる。

サシミ文化、タンキー(童乩、降霊術者)、通勝の暦など、シンガポールをクリーンで能率的なショッピング・ゾーンと見るものには気づかない、宗教・精神生活が紹介される。
とくに、第5章「中元会フィーバー」がおもしろい、おかしい。
旧暦7月中に行われる、盂蘭勝会、死霊を迎えて宥める年中行事であるが、これが、陽気でパワフルなお祭り騒ぎなのだ。
お祭り騒ぎの喧騒とともに、これを支える組織である中元会、その経理と収支、人のつながりが示される。
ちなみに、昨今の靖国神社論争に興味のあるかた、一読を。
日本と海洋チャイナの意外な共通点と相違を知ることができる。(そして、ヤスクニも意外とチャイナっぽいってこともわかります、ふふふ。)

というふうに、琉球、八重山の民俗と共通する点も、そこかしこにあるものの、やっぱり、パワーと金儲けと合理性が違う。

さて、本書の内容もりだくさんであるが、著者の眼力がすごいと思ったのは、香港とシンガポールの人口政策、家族計画推進のことである。
当時、シンガポールは他の政策と同様、人口抑制に関しても、強権発動のおせっかい政策を強引にすすめていた。
一方、香港は一応人口抑制を勧めるものの、政府主導のプランはほとんどなかった。

それで、結果として、この両都市は、世界で最低の出産率を記録するようになった。
日本が出産率の低下であたふたしているが、香港とシンガポールはこの点では、最先進地域なのだ(実はマカオもそうなのであって、この三都市が世界の人口低下のトップ3である。)。
それで、この1980年半ばの時点では、まだ出産を奨励しなければならないなんて事態が深刻になるなんて、誰も想像していなかったみたいだ。(シンガポールはその後、出産奨励策でもやっぱりおせっかいな管理政策を前面に出す)

という具合に、今読んでこそ著者の鋭い観察力と問題意識がわかる一冊。
香港とバンコクの本ばかりで、シンガポールのおもしろい本がない、と思っている方におすすめ。
しかし、このレベルの本があと5,6冊欲しいもんだ。