『思想の科学』1995年11月号 特集 アジア像の現在形 所収。
著者に関しては、まったく知らない。1965年生まれらしいが、どういう人なんだろう?
内容は、全文引用したいぐらい、鋭い指摘をすばらしい文章でつづったものである。
アジア大好き人間の、ステレオ・タイプなアジア観と、「アジア側」の日本オタクの平行現象を論じたもので、1995年の文章ながら、まるでインターネット時代を予測したような内容である。
著者のあげる文切型を引用する。
「アジアはカオスだ。夢・希望・興奮・貧困・腐敗・絶望……すべてがそこにある」
「アジア人としての自分に気づく」
「少年たちのつぶらな黒い瞳がキラキラと輝いて」
「初めてなのに、なぜか懐かしい」
「まるで水墨画の世界が」
「母なるガンジス川には、生・死・生活……」
「どこまでも続く田舎の田園風景に、いつしか私の心は、遠い幼いころの」
「悠久のインドに集う若者は何を求めて」
「南大門市場はキムチパワーでみなぎっている」
「近くて遠い国、北朝鮮」
ははは、こういうせりふ(というかキャッチ・コピー)を20歳前後のワカモノが言っていたんですよ。さらに引用する。
「古き良き日本の原風景に出会」ったり、
「バリの男の子は魂がきれいで、日本人のなくした純粋さを持ってい」たり
天安門広場では、今風のOLも「ふと、たたずんでしまう」し
板門店では、卒業旅行の女子大生も「自分たちと立たされている場のちがいを、ただただ再認識してしまう」し
ホーチミンに行けば「あのアメリカをやぶったベトナム人にたくましさや、ねばりを感じ」てしまう。
まだまだあるぞ。
アジア人はたいてい「くったくのない笑いを返す」し、
女たちは、例外なく「恥ずかしそうに顔をかくす」し、
子どもは「人なつっこく、自分のあとをついてくる」し、
「村の長老はだまってあたたかく、私をむかえて、くれる」し、
マーケットでは、「怒号と喧騒が飛びかい、中でもおばさんたちがいちばん元気」だし、
海の男は「まっ黒に日焼けしていて、やけに歯の白さだけがまぶしく見え」るし、
民主化を求める学生は必ず「『彼らの死をムダにはしない』と言ったあと私の手を強く握りかえしてくれる」し、
そのあとで、「その日がきたらまた会いましょう再見」なんていうしね。
いつまでたっても「味の素は日本の経済進出の先兵」だし、
元慰安婦だったハルモニの話をきけば「いき場のない怒りに胸がふるえ、日本人であることを恥ずかしく」どんなオタクでも思って_。
ははは、いまでも以上の文をくくって検索すると、たくさんヒットしますね。
著者は、これらの文切型、詠嘆調のせりふに対して、
純粋や無垢性やキラキラした目や、熱いハートを感じるのは、きっと彼らに、複雑な内面を持っていいない=単純=賢くないと感じてることの著われだろうし、アジア各地の複雑な諸問題(戦争・戦後責任も含めて)を知るとき、「ガク然とさせられる」のは、きっと自分が他人より進歩的でありたいだからだろうし、「いつまでもこの農村風景でいてくれ」と願うのは、私たちニッポン人は、パソ通だ、コードレスだ、ファミコンだと機械情報消費先進国だけど、そっちはせめて、古き良きアジアの田舎っぺーの後進国のままでいてくれ、という自分勝手なわがままの押しつけだし……。
オタク世代が、もし、ほんとうに教科書問題の例のように「歴史観が欠如」しているなら、それをあえて逆手にとってまっさらな感性のままに自由に表現をしてくれたらいいのに。
と著者はいっている。
世代があたらしくなったのに、前の世代のパターンを律儀にひきついでいる。
引用する。
かっての右翼志向派がPKOとかUNTACとか右派系NGOで、剣道とかカラテをラオスなんかで教えるオタクになり、左派志向の人は、「草の根NGO」で、原地に井戸を掘ったりする。大陸商人・浪人志向の人は、ちょっとヤバイ系のブローカーして国際ビジネスマンを気取ったりと、少し路線がソフトになっただけで、オタク世代に右も左もないとはいいながらも、前世代の思考回路をきれいに踏襲している。
一方で、アジア各地には、日本のマンガ、アニメ、ゲーム、ロリコンものなど、オタク文化が根をおろしている。著者は、
「きっとこれからはニッポンのオタク世代を中心に発信される千のアジアオタク文化圏が形成され、その一方で薄っぺらな、たったひとつしかないニッポン人・アジア人のお互いのステレオタイプなイメージだけが残るのである。」
とまとめている。
やれやれ、この文章は、オウム真理教の事件や爆発的オタクカルチャーの進出以前に書かれた文章であるが、現在のインターネット世界を予見しているではありませんか!(パソ通というのが、当時、最高にススンダ情報伝達だったんだね。)
他人を笑ってはいられない。
わたしも、こんな、薄っぺらなイメージにおちこまないようにきをつけなくちゃ。
著者に関しては、まったく知らない。1965年生まれらしいが、どういう人なんだろう?
内容は、全文引用したいぐらい、鋭い指摘をすばらしい文章でつづったものである。
アジア大好き人間の、ステレオ・タイプなアジア観と、「アジア側」の日本オタクの平行現象を論じたもので、1995年の文章ながら、まるでインターネット時代を予測したような内容である。
著者のあげる文切型を引用する。
「アジアはカオスだ。夢・希望・興奮・貧困・腐敗・絶望……すべてがそこにある」
「アジア人としての自分に気づく」
「少年たちのつぶらな黒い瞳がキラキラと輝いて」
「初めてなのに、なぜか懐かしい」
「まるで水墨画の世界が」
「母なるガンジス川には、生・死・生活……」
「どこまでも続く田舎の田園風景に、いつしか私の心は、遠い幼いころの」
「悠久のインドに集う若者は何を求めて」
「南大門市場はキムチパワーでみなぎっている」
「近くて遠い国、北朝鮮」
ははは、こういうせりふ(というかキャッチ・コピー)を20歳前後のワカモノが言っていたんですよ。さらに引用する。
「古き良き日本の原風景に出会」ったり、
「バリの男の子は魂がきれいで、日本人のなくした純粋さを持ってい」たり
天安門広場では、今風のOLも「ふと、たたずんでしまう」し
板門店では、卒業旅行の女子大生も「自分たちと立たされている場のちがいを、ただただ再認識してしまう」し
ホーチミンに行けば「あのアメリカをやぶったベトナム人にたくましさや、ねばりを感じ」てしまう。
まだまだあるぞ。
アジア人はたいてい「くったくのない笑いを返す」し、
女たちは、例外なく「恥ずかしそうに顔をかくす」し、
子どもは「人なつっこく、自分のあとをついてくる」し、
「村の長老はだまってあたたかく、私をむかえて、くれる」し、
マーケットでは、「怒号と喧騒が飛びかい、中でもおばさんたちがいちばん元気」だし、
海の男は「まっ黒に日焼けしていて、やけに歯の白さだけがまぶしく見え」るし、
民主化を求める学生は必ず「『彼らの死をムダにはしない』と言ったあと私の手を強く握りかえしてくれる」し、
そのあとで、「その日がきたらまた会いましょう再見」なんていうしね。
いつまでたっても「味の素は日本の経済進出の先兵」だし、
元慰安婦だったハルモニの話をきけば「いき場のない怒りに胸がふるえ、日本人であることを恥ずかしく」どんなオタクでも思って_。
ははは、いまでも以上の文をくくって検索すると、たくさんヒットしますね。
著者は、これらの文切型、詠嘆調のせりふに対して、
純粋や無垢性やキラキラした目や、熱いハートを感じるのは、きっと彼らに、複雑な内面を持っていいない=単純=賢くないと感じてることの著われだろうし、アジア各地の複雑な諸問題(戦争・戦後責任も含めて)を知るとき、「ガク然とさせられる」のは、きっと自分が他人より進歩的でありたいだからだろうし、「いつまでもこの農村風景でいてくれ」と願うのは、私たちニッポン人は、パソ通だ、コードレスだ、ファミコンだと機械情報消費先進国だけど、そっちはせめて、古き良きアジアの田舎っぺーの後進国のままでいてくれ、という自分勝手なわがままの押しつけだし……。
オタク世代が、もし、ほんとうに教科書問題の例のように「歴史観が欠如」しているなら、それをあえて逆手にとってまっさらな感性のままに自由に表現をしてくれたらいいのに。
と著者はいっている。
世代があたらしくなったのに、前の世代のパターンを律儀にひきついでいる。
引用する。
かっての右翼志向派がPKOとかUNTACとか右派系NGOで、剣道とかカラテをラオスなんかで教えるオタクになり、左派志向の人は、「草の根NGO」で、原地に井戸を掘ったりする。大陸商人・浪人志向の人は、ちょっとヤバイ系のブローカーして国際ビジネスマンを気取ったりと、少し路線がソフトになっただけで、オタク世代に右も左もないとはいいながらも、前世代の思考回路をきれいに踏襲している。
一方で、アジア各地には、日本のマンガ、アニメ、ゲーム、ロリコンものなど、オタク文化が根をおろしている。著者は、
「きっとこれからはニッポンのオタク世代を中心に発信される千のアジアオタク文化圏が形成され、その一方で薄っぺらな、たったひとつしかないニッポン人・アジア人のお互いのステレオタイプなイメージだけが残るのである。」
とまとめている。
やれやれ、この文章は、オウム真理教の事件や爆発的オタクカルチャーの進出以前に書かれた文章であるが、現在のインターネット世界を予見しているではありませんか!(パソ通というのが、当時、最高にススンダ情報伝達だったんだね。)
他人を笑ってはいられない。
わたしも、こんな、薄っぺらなイメージにおちこまないようにきをつけなくちゃ。