東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

長谷川英紀,「ジャパン・アズ・オタック・No.1」,1995

2006-06-14 23:10:49 | 20世紀;日本からの人々
『思想の科学』1995年11月号 特集 アジア像の現在形 所収。

著者に関しては、まったく知らない。1965年生まれらしいが、どういう人なんだろう?
内容は、全文引用したいぐらい、鋭い指摘をすばらしい文章でつづったものである。

アジア大好き人間の、ステレオ・タイプなアジア観と、「アジア側」の日本オタクの平行現象を論じたもので、1995年の文章ながら、まるでインターネット時代を予測したような内容である。

著者のあげる文切型を引用する。
「アジアはカオスだ。夢・希望・興奮・貧困・腐敗・絶望……すべてがそこにある」
「アジア人としての自分に気づく」
「少年たちのつぶらな黒い瞳がキラキラと輝いて」
「初めてなのに、なぜか懐かしい」
「まるで水墨画の世界が」
「母なるガンジス川には、生・死・生活……」
「どこまでも続く田舎の田園風景に、いつしか私の心は、遠い幼いころの」
「悠久のインドに集う若者は何を求めて」
「南大門市場はキムチパワーでみなぎっている」
「近くて遠い国、北朝鮮」

ははは、こういうせりふ(というかキャッチ・コピー)を20歳前後のワカモノが言っていたんですよ。さらに引用する。

「古き良き日本の原風景に出会」ったり、
「バリの男の子は魂がきれいで、日本人のなくした純粋さを持ってい」たり
天安門広場では、今風のOLも「ふと、たたずんでしまう」し
板門店では、卒業旅行の女子大生も「自分たちと立たされている場のちがいを、ただただ再認識してしまう」し
ホーチミンに行けば「あのアメリカをやぶったベトナム人にたくましさや、ねばりを感じ」てしまう。
まだまだあるぞ。
アジア人はたいてい「くったくのない笑いを返す」し、
女たちは、例外なく「恥ずかしそうに顔をかくす」し、
子どもは「人なつっこく、自分のあとをついてくる」し、
「村の長老はだまってあたたかく、私をむかえて、くれる」し、
マーケットでは、「怒号と喧騒が飛びかい、中でもおばさんたちがいちばん元気」だし、
海の男は「まっ黒に日焼けしていて、やけに歯の白さだけがまぶしく見え」るし、
民主化を求める学生は必ず「『彼らの死をムダにはしない』と言ったあと私の手を強く握りかえしてくれる」し、
そのあとで、「その日がきたらまた会いましょう再見」なんていうしね。
いつまでたっても「味の素は日本の経済進出の先兵」だし、
元慰安婦だったハルモニの話をきけば「いき場のない怒りに胸がふるえ、日本人であることを恥ずかしく」どんなオタクでも思って_。

ははは、いまでも以上の文をくくって検索すると、たくさんヒットしますね。
著者は、これらの文切型、詠嘆調のせりふに対して、

純粋や無垢性やキラキラした目や、熱いハートを感じるのは、きっと彼らに、複雑な内面を持っていいない=単純=賢くないと感じてることの著われだろうし、アジア各地の複雑な諸問題(戦争・戦後責任も含めて)を知るとき、「ガク然とさせられる」のは、きっと自分が他人より進歩的でありたいだからだろうし、「いつまでもこの農村風景でいてくれ」と願うのは、私たちニッポン人は、パソ通だ、コードレスだ、ファミコンだと機械情報消費先進国だけど、そっちはせめて、古き良きアジアの田舎っぺーの後進国のままでいてくれ、という自分勝手なわがままの押しつけだし……。

オタク世代が、もし、ほんとうに教科書問題の例のように「歴史観が欠如」しているなら、それをあえて逆手にとってまっさらな感性のままに自由に表現をしてくれたらいいのに。
と著者はいっている。
世代があたらしくなったのに、前の世代のパターンを律儀にひきついでいる。
引用する。

かっての右翼志向派がPKOとかUNTACとか右派系NGOで、剣道とかカラテをラオスなんかで教えるオタクになり、左派志向の人は、「草の根NGO」で、原地に井戸を掘ったりする。大陸商人・浪人志向の人は、ちょっとヤバイ系のブローカーして国際ビジネスマンを気取ったりと、少し路線がソフトになっただけで、オタク世代に右も左もないとはいいながらも、前世代の思考回路をきれいに踏襲している。

一方で、アジア各地には、日本のマンガ、アニメ、ゲーム、ロリコンものなど、オタク文化が根をおろしている。著者は、
「きっとこれからはニッポンのオタク世代を中心に発信される千のアジアオタク文化圏が形成され、その一方で薄っぺらな、たったひとつしかないニッポン人・アジア人のお互いのステレオタイプなイメージだけが残るのである。」
とまとめている。

やれやれ、この文章は、オウム真理教の事件や爆発的オタクカルチャーの進出以前に書かれた文章であるが、現在のインターネット世界を予見しているではありませんか!(パソ通というのが、当時、最高にススンダ情報伝達だったんだね。)

他人を笑ってはいられない。
わたしも、こんな、薄っぺらなイメージにおちこまないようにきをつけなくちゃ。

上田信,「体臭のある音 アジア感の転機点」、1995

2006-06-14 17:36:12 | フィクション・ファンタジー
『思想の科学』1995年11月号 特集 アジア像の現在形 所収。

この筆者は、『伝統中国 ― <盆地><宗族>にみる明清時代』や『トラが語る中国史 ― エコロジカル・ヒストリーの可能性』の著者と同一人物なんでしょうか?

芸能山城組論。
著者は芸能山城組の変化をふたつの世代にわけて分析する。
第1期は70年代後半から80年代前半(に20歳前後だった世代)。

この時代は簡単にいうと、まじめな模倣の時代、若い学生たちが、バリ島のケチャを一生懸命学習した成果をみせる。(とまあ、短くまとめると語弊があるが、話をすすめる。芸能山城組関係者、ファンのみなさま、許せ)

第2期は80年代後半から90年代前半。

この時期の変化を、著者は『地球の歩き方』の出版とからませて、語る。
円高の進行、航空券の値下げにより、海外旅行が大学生に身近になる。
『地球の歩き方』をつかえば、手軽にバリ島の「本物」にふれることが可能になり、そうした「本物」に比べれば、芸能山城組の音など、とてもかなわない。

ここでいう「本物」というのは、もちろん、ガイドブックに導かれ、演出された「本物」であるわけだ。
上田信さんは当時、中国に留学中であったが、『地球の歩き方』には留学している彼らよりも詳しい情報が盛り込まれてあった。
たかだか1ヶ月か2ヶ月旅行した連中に、こんなガイドブックを作らされるとは!
とはいえ、彼ら留学生の知っているような情報をもりこんだとしても、売れるガイドブックにはならなかったろう。

こういう世間の動きにたいして、芸能山城組が対抗したのは(対抗するとか、世間にアピールするという意識があったかどうか疑問だが)、コンピュータや高性能の録音技術を駆使した、ハイブリッドな音響、音楽であった。
『輪廻交響楽』がそれであり、その方向を継承したのが、大友克洋 ・原作監督の『アキラ』のサントラである。

『アキラ』の音楽への芸能山城組の参加は、大友克洋 じきじきの希望であった。
サウンドに関しては、もうしぶんなく、芸能山城組の「作品」として傑作だと、わたしは思う。

話ずれるが、アニメの『アキラ』に関しては、ちょっとなじめませんね、わたしは。
動画も音楽もいいが、せりふと声優のテンションの高さ、せりふの録音の平板な奥行きのなさ、これがひっかかった。(原作のマンガは好きです。)

というわけで、廃墟や焼け跡、架空の宗教団体の神殿、病室、といったシーンの音楽として、すばらしいものだったとおもいます。

しかし、上田信さんもいうように、ここで芸能山城組はゆきづまる。
バブル経済の波にのったハイブリッド・ミュージックが過去の遺産を食いつぶし、未来への種子を不稔にしたような現象ではないだろうか。と、著者はいいたいようだ。

わたしはこの点、ちょっとちがうが、うまくいえない。
わたしは、芸能山城組ではブルガリアの合唱が好きだ。最初から、ステージ用に編曲したものだからいいのでは?
チベット声明やバリのケチャをステージや録音で楽しむには限界がある。
それから、やっぱり、バリ島のケチャも、近代になって創造され演出されたものである、というのがわかってきたが(当時誰も知らなかったんだよう!!)、そうした、演出された伝統というものに対する対処のしかたが、まずかった、というか、誰がやってもそうだったろうが、無理があったのではなかろうか?

越智武臣,「解説」,『大航海時代叢書 第Ⅱ期 17 イギリスの航海と殖民1』

2006-06-14 02:01:32 | 翻訳史料をよむ
とても刺激的なエピソードが紹介されている。

史上3回目の世界一周航海である、イングランドのキャヴェンディッシュ隊の航海。
この途中、カリフォルニア半島先端サン・ルーカス岬沖で、キャヴェンディッシュ船団は、黄金7万ポンドを積むサンタ・アンナ号を拿捕。
マニラからアカプルコに向かっていたスペイン船である。
1587年のことである。

そして、この船にのっていたのが、二名の日本人青年である。
残念ながら、日本名は記録なし、英語の通称のみ残っている。
このふたり、日本語の読み書きができ、キャヴェンディッシュの興味をさそう。ふたりを乗り込ませたキャヴェンディッシュの船は、分捕った財宝とともに太平洋、インド洋をのりこえ翌年(1588)プリマス到着。
つまり、このふたりが、記録上、最初にイングランドに上陸した日本人である。(天正使節団はこの2年前、ただしもちろんイングランドなんぞに行くわけはない。)

ふたりの日本人は英語をおぼえ、その後、キャヴェンディッシュの最後の航海に同行する。当然、日本もしくは東アジアへの案内、通訳としての要員であったと思われる。
残念ながら、船隊は日本まで到達できなかった。大西洋のブラジル沖まで行った記録はあるが、その後は不明である。

このマニラ~アカプルコ航路も含め、当時の日本船・日本人の太平洋航海、北アメリカ太平洋岸への漂着について、カナダ・ブリティッシュ・コロンビア博物館のサイトに記事あり。

www.royalbcmuseum.bc.ca/hhistory/ japaneseshipwrecks/manila.html

ええと、それでですね、googleで"日本人" "ドレイク" "大航海時代" などで検索すると、松岡なつき著「FLESH&BLOOD」っていう、BL小説の関係が上位にくるんですね。
タイム・スリップでこのキャヴェンディッシュやドレイクの時代のイングランドにまぎれこんだ日本人の話のようです。
おもしろそうだが、全5冊、とても挑戦する気にはなりません。
ただ、この話、作者はこのふたりの日本人の実話を参考にしたのかな?
設定としては、まったく不自然ではなく、ありえる話である。
上記のことも、たまたま記録に残っただけで、そのほかにも、英語をしゃべる日本人少年(上の例も、20歳と17歳、数え歳だから、満年齢だともっと若い)がイングランドにいたなんて可能性は十分にあるわけだ。