東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

小松邦康,『インドネシア全二十七州の旅』,めこん,1995

2006-09-20 20:40:47 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
めこんのサイトでインドネシア事情を公開している小松さんの旅行記。
ジャワ中部地震にしろ、アチェの津波にしろ、はたまた東チモールの事情にしろ、膨大なインターネットのクズ情報をかきわけてたどりつくのは、結局著作を通じて知っている人物による情報なんだなあ……。

本書の内容は、もはや古すぎて使い物にならないが(なにしろ、州の数がこのあとどんどんふえて、今は33くらいある?)、著者の観察眼を知ることができれば、インターネット上の情報も信頼(この場合の、信頼というのは、どういう立場からものを見て、どのように発信する人なのか、こちらにわかっている、ということ)できるものになる、というわけである。

いや、別にどうでもいいのだが、きっと、いまごろ(2006年9月20日)、バンコクの事情について、陳腐な情報がインターネットにあふれているんだろうなあ……、と思って、本書を思いだしたわけです。

上田信,『海と帝国 明清時代』,講談社,2005

2006-09-20 14:59:49 | 移動するモノ・ヒト・アイディア
「中国の歴史」シリーズ全12巻(そのうち最終巻は「日本にとって中国とは何か」というタイトルのテーマ別エッセイ集なので、通史は全11巻とみてよいでしょう。)の第9巻。
1350年ごろから1850年ごろまでを扱う。

ということは、ですね、日本、ヨーロッパ、ロシア、東南アジア、朝鮮などの場合、近現代以前の歴史が、ほぼこの14世紀半ばから19世紀半ばにおさまるわけであるが、本シリーズ中国の歴史では、なんと!全11冊の通史のなかで、8巻分が、これ以前の歴史なのだ!!
う~む、さすが歴史の国。

と、感心しているようにみせかけ、実は、ばかにしてるんですね、わたしは。
日本だろうと朝鮮だろうと東南アジアだろうとロシアだろうとスペインだろうとメキシコだろうと、歴史の知識は、この1350年あたりからはじめればいいのです。
それ以前は、全部古代史でけっこう、ローマ帝国も三国志も興味ないもんね。

というわけで、全1冊の中国史として読めるのが、本書である。
が、これがなんと、中国を中心にしない、東ユーラシアの歴史なんですね。
見返しの地図が、なんと雲南の昆明を中心とした世界地図。
陸にむかう帝国の統治と、海へむかう移民・開拓のモーメントを対比し、ユーラシアの中の中国を描いていく。
このような本書の見方、上田信さんのとらえかたが標準かというと、おそらく、研究者の間では、もはや標準なのだろう。
わが朝(この場合の「わが朝」というのはチャイニーズ・ダイナスティのこと)を東南アジアやヨーロッパのような歴史の浅い地域と同列に扱っては困る、などといまどき思っている研究者はいないだろうが、一般人では、中国を特殊な文明として捉えるイメージが残っていますからね。

でも、中国ってなんだ?
シナとちがうのか?
漢民族とちがうのか?

う~む、シナともいえるが、微妙にズレる。漢民族ではない。「帝国」も「中華帝国」とはいえない。
なにか、ニュートラルな呼び方があればいいのだが。
ニュートラルな名称が生まれないのも、中国(Chaina)とは、なにか、という共通のイメージ、共通の了解が無いためであろう。

その、イメージを考える、見直すためにも、本書は有効であるとおもわれる。

それにしても、本書からスタートできる若い読者はラッキーである。
過去50年、いやたぶん、啓蒙思想家から江戸時代の漢学者まで、中国のイメージは歪み、その歪みを中国の研究者や政治家が積極的に評価してきたのが、中国史だろう。

家族制度、身分制度、税制、土地制度など、本書からスタートして理解していける(とおもう)。(ただし、研究者にとっての常識は素通りしているので、読み落とす部分も多いかも、わたし自身も、気になる部分はチェックできるが、よくわからない部分は、やっぱりわからない。)

わたし自身が興味もあり、前提知識もある「鄭和の航海」についても、鋭い(あたりまえ?)指摘があった。
やっぱり、あの航海はインパクトが少ない、(つまり、歴史的事件として小さい)できごとだったんだ。
東南アジア側からみると、鈍重な船に腐った宝物をのせてよたよた動く明帝国の勘違い軍隊、というイメージだが、本書でも、あまりちがわないイメージであった。(宮廷の家内事業なんだな)中国史研究者の見方でも、やはり、たいしたことない事件なんだ。