東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

W.H.マクニール,佐々木昭夫訳,『疫病と世界史』,新潮社,1985

2006-09-16 23:18:30 | 自然・生態・風土
原書 William H. McNeill, Plagues and People, 1976.

アルフレッド・W.クロスビー, 佐々木 昭夫 訳,『 ヨーロッパ帝国主義の謎―エコロジーから見た10~20世紀 』,岩波書店、1998.
ジャレド・ダイアモンド, 倉骨 彰 訳,『銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎』,上下2冊,草思社,2000.

以上も読んでいるが、まず、マクニールの本書からレヴューしよう。クロスビーは最近インフルエンザについての本が翻訳されたし、ダイアモンドのほうは、『文明の崩壊』が訳された。どちらもマクニールに影響を受けたひとたちであろう。(マクニールはクロスビーから未出版のインフルエンザの情報を得ている。)

ヒトが移動すると商品も情報も遺伝子も移動するが、もっと速く移動するのがヒトに寄生する微生物だ。
本書は伝染病が人類におよぼした影響を軸に、歴史をとらえなおした画期的一冊である。

まず、熱帯アフリカ。ここは類人猿の時代から微生物・ウィルスが人類とともに進化した地域である。そのため、人類はこれら病原体と共生する進化をたどった。

その後人類はユーラシアの乾燥地帯に進出する。この時点で、ヒトは強力な狩猟動物として、防御を進化させなかったユーラシアの大型動物を絶滅させ、その結果、農耕・牧畜に依存する文化をあみだす。
この農耕・牧畜文化がある種の病原体にとって、あたらしいニッチ、繁殖に好都合な環境をもたらす。ちょうど、雑草にとって耕地がかっこうの繁殖地になったように、農耕・牧畜、ヒトの集団は、寄生動物・微生物の繁殖地になる。

マクニールはうまいたとえを使っているが、マクロ寄生とミクロ寄生という言葉だ。
マクロ寄生が官僚・軍隊による農民の生産物への寄生、ミクロ寄生というのは微生物による農民のからだへの寄生である。
マクロ寄生とミクロ寄生、両方の寄生がほどほどであった地域、なんとかつりあいがとれていた地域が文明の地となったのである。

BC500年からAD1200年まで。
この段階で、ユーラシアの乾燥地帯・サバンナに文明が成立し、文明間の交流がはじまる。
ここでの病気は、天然痘とはしか。
代表的なこどもの病気であるが、初期には成人男女が罹患し、生命をうしなう病気だった。それが、AD1000ごろには、ユーラシアの大部分で、病気に対する免疫と遺伝的進化が完了する。
といっても、病原菌を絶滅させるわけではなく、感受性のあるこどもだけが死んでいく、という形でヒトと寄生生物が共生していく。
天然痘とはしかに対する対応が旧世界で一番おそかったのが日本とブリテン島だそうだ。

本書は病原体・寄生生物を歴史を動かす動因ととらえて歴史を描いたものであるが、もうひとつ、著者の主張でおもしろいのは、疫病が宗教を規定した、ということ。
第一段階の文明の交流による疫病がうみだしたのが、キリスト教、仏教である、というのだ。
ふ~む。
宗教=疫病という考え方もあるが、疫病が宗教を生みだすのか……。
著者のインド文明についての考え(カースト制と疫病予防、統一国家が脆弱なこと、常に北西から侵略者がはいること、など)あるいはシナ文明についての考え(とくに儒教を国家宗教として捉えること、農民支配がうまく機能したこと、統一した国家が地球上で最長・最高度に続いたこと、など)、ほんとに、こんなに大雑把でいいんだろうか?という疑問も、当然おきてくる。
しかし、こまかいことをいってもつまらない。こういう本は、えい!と言い切ってしまうところがおもしろいのだ。
次の段階はますますおもしろくなる。

AD1200~1500
モンゴル帝国の勃興による疫病バランスの激変

ここで、ちょっと無駄話。
東アジア、東南アジアのくにぐには、モンゴル帝国の来襲にさまざまな対応をした。
日本は自然の恩恵でモンゴル軍(実は華南と朝鮮の軍?)を撃退、ひたすらラッキーな結果であった。
朝鮮は自国を占領されたうえに、遠征に駆りだされた。
ジャワはモンゴルの使者に刺青をほっておっぱらう。大軍がきたときは、「あれは前の王様がやったことで……」とごまかす。
ベトナムはひたすら軍事力で対抗する。そして、ほんとに勝ってしまった。
さて、雲南の地はどうであったか。
ここはモンゴル軍に制圧され、モンゴルが撤退した後も漢民族の領域になってしまう。そして、ここがユーラシアを席捲した黒死病の原生地らしいのだ(厳密には特定不可能だが、ほぼ確実らしい)。
わお!やったぞ、雲南、みごとユーラシア全域に、すばらしい寄生物を輸出したわけだ。
それまで人口が希薄で、散在する民族がそれぞれ土着の対応(迷信とかタブーとか呼ばれることもある)で黒死病とおりあっていたのが、ワールドワイドな交易に組みこまれて風土病を世界的な疫病にしたわけだ。

この、エーヤワディー川の西側、ビルマ・雲南・チベットが交差する地域が、ペストの輸出元とされるのは、20世紀初頭の流行の時、近代医学者の調査の結果に基づく。
20世紀の流行は、汽船航路の発達にともない、香港を皮切りに、ボンベイ・シドニー・ブエノスアイレス・サンフランシスコなどに疫病を伝播させた。
清朝の軍隊が雲南の反乱鎮圧の際、この地の環境や慣習をかきみだし、全世界に菌を運ぶ役割を担ったらしい。
20世紀の流行の調査の結果、モンゴル時代の流行の起源地も、この雲南と仮定されるようになった。

黒死病の流行により、ヨーロッパや西アジアは、人口を低くおさえていたわけだが、いろんな生態的要素により、ヨーロッパは一足早く黒死病を克服した。
これが、ヨーロッパの人口圧を強め、海外進出の原因ともなる。

新大陸到着~ユーラシアの疫病の伝播~新大陸住民人口の激減、については、クロスビーやダイアモンドの本にも詳しいので省略。

次に1700年代からの、ヨーロッパの医療と疾病対策と、新しい疫病環境について述べよう。

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以上、途中までで、とりあえずアップ、続きを書こうとおもっているうちに、内容を忘れてしまった。