東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

坪内良博 編,『講座東南アジア学3 東南アジアの社会』,弘文堂,1990

2006-09-18 23:58:47 | 多様性 ?
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下書きを書いたことさえ忘れそうなので、いちおう、書いたところまでアップする。以下、未完成です。

坪内良博 編,『講座東南アジア学3 東南アジアの社会』,弘文堂,1990.
坪内良博 著,第1部 伝統社会の構造
北原 淳 著,「開拓社会の成立」
口羽益生 著,「対人社会のダイナミズム」

以上を参考にして、東南アジア社会研究の概観をまとめる。
といっても、ようはこの講座を読んでもらえればわかることだから、わたし自身のための要約である。

「タイ国 ひとつのルースな構造をもつ社会体系」という論文風エッセイが1950年に発表された。
書いたのは、エンブリーというUSAの人類学者で、戦前日本にも滞在したことがある人物である。
そのなかで、エンブリーは日本の村落と比較し、タイの村落社会は、個人の行動のかなりの変異が許される、"ルースな"社会と規定した。
このエッセイは日本の学者の一部にかなりのショックをあたえたらしい。

というのは、それまで日本社会を外国と比較する場合、ブリテン島かフランス、ドイツ、それに漢民族くらいしか日本と比較するものがなかったからである。
今でこそ、日本とタイを比較するのはあたりまえだが、この当時、日本の村落とタイの村落を比較しようという発想がなかったのである。
さらに、個人主義的な自由、集団への帰属意識がうすいこと、共同体的親族集団がない、村にたいする忠誠心がない、同一化がない、という対人関係は、"個人主義的な"ヨーロッパ社会の特質で、アジアとは無縁だと考えられていた。
というより、タイトな家族、村の掟というのは、おくれたアジアの人間関係で、一刻もはやく棄ててしまいたい、と考えられるものだった。

21世紀になってみれば、日本村落社会のタイトな人間関係は、工業化や産業化がすすんでも消えるものではなく、また、けっこうみんな、タイトで同一化の圧力が大きい、忠誠心があつい社会が好きなんだってことが、あきらかになってきた。
それでは、50年以上前の、エンブリーの規定は正しかったのか?
タイの村落はほんとうにルースな社会だったのか?

日本の学者たちが、タイにでかけて調査できるようになると、やはり、ルースな社会という見方に同意した。
そして、さらに、その構造、基盤が模索された。
また、タイ人社会ばかりでなく、マレー人社会もルースで個人的行動が許される度合が大きい社会であり、ジャワも、マレーやタイはほどではないが、ルースな社会であるようだ、ということがわかってきた。

そのなかで日本の学者、水野浩一は、「屋敷地共住集団」という概念を提出した。