東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

内海愛子・村井吉敬,『シネアスト許泳の「昭和」』,凱風社,1987 その1

2006-09-03 22:10:37 | コスモポリス
ペンネーム日夏英太郎、「戸籍」上の名は許泳。
彼はドラキュラ伯爵のように日本本土の港に密入国した。そして、吸血鬼のように日本人の中で生きる運命を予感し、ペンネームを浪漫派作家・日夏耿之介からとり、自身を日夏英太郎と称した。……というのはウソです。

内海愛子さんも村井吉敬さんも、日夏耿之介については、ぜんぜんふれていない。どうして、許泳という男が、日夏耿之介からペンネームをとったのだろう?

ペンネームの由来はともかく、では、「本名」は?
これが、むずかしい問題なんだな。
本書の中でも、(そしてこれは現在追跡できる資料の限界)、この人物の「戸籍」として記録に残っているのは、俗にいう「姫路城「ろ」の丸爆破事件」の被告として、大阪控訴院1938(昭和13)年7月26日の判決文だけである。
それによれば
本籍 朝鮮咸鏡南道咸鏡府黄金町三丁目四十五番地
映画会社助監督日夏英太郎事 許泳

となっている。
創氏改名以前のことである。その後、「日夏」姓にかえた可能性もある。じっさい、彼の日本での妻子は、日夏姓をなのっているので、日本本土内に戸籍をもったのかもしれない。
だとすれば、彼の「本名」は「日夏英太郎」ということになる。
しかし、朝鮮名として、許泳(この場合、ホ・ヨンとよむのだろう、本書でもホ・ヨンとふりがなをふっている。)を名のっている。

では、彼は、「朝鮮人」だったのか?
ここで、「朝鮮人」の定義が問題になる。
「内鮮一体」を字句どおりにうけとれば、彼は日本人である。
日本軍軍属として、蘭領東インド(以下、めんどくさいので、混乱がないかぎり、インドネシアとする。)に赴任(というより、この場合も文字どおり上陸だ。重油の浮かぶ海から泳いで陸にあがったのだから)し、日本本土にも朝鮮半島にも帰らなかった。
そして、ジャカルタで1952年9月9日没。
墓碑には、

ドクトル・フユン 1908年9月29日満州生まれ

と刻まれている。
???
なぜ、満州(本書の表記のママ)生まれ?

そして、なまえは、「ドクトル・フユン」。インドネシア人として死す。
この時点で、日本の家族は、死亡したものと考えていたようだ。(本書で、日本の家族への取材、面会はない。)
朝鮮人軍属として、敗戦後に所属を離脱し行方不明になったことが、当時およびその後の日本の法律に、どのようにかかわるのか、本書では説明されていないし、わたしもよくわからない。

というように、植民地下朝鮮、日本本土(京都など関西)、日本軍政下インドネシア、独立後のインドネシア共和国ジャワで生きた映画監督(もしくは映画監督志望者)が、本書の中心人物である。

と、なまえのことだけでも、こんなに字数を使ってしまった。

著者たちふたりが、許泳=日夏英太郎=ドクトル・フユンの生涯の概略を知ることができたのは、1982年、国際交流基金主催の南アジア映画祭に招かれて来日したトゥグ・カルヤ監督と映画評論家・大黒東洋士さんの話を総合した結果による。

それまで、インドネシア軍政下での朝鮮人軍属の反乱、「高麗独立青年党」を調査していたふたりは、許泳を朝鮮人として、韓国人からの談話で知っていた。
それが、インドネシア側からの問い合わせがあり、日本時代(京都など)、京城(現在のソウル)時代、インドネシア独立時代の情報をあわせることができた。

さらに人脈を追い、資料をかきわけてまとめたのが、本書『シネアスト許泳の「昭和」』である。

さすがプロの学者で、取材の腕も資料の探査もみごとで、細い糸をたどり関係者を捜しだし、時代背景を描き、この人物の生涯を追っている。(たとえば、大黒東洋士氏など、わたしなどからみると、内鮮一体政策に加担した過去をもつ映画評論家というかんじなのだが、プロの学者は、こうした「内部」の人間に食い込んで情報を得る。)

ただし、そうとうに敷居の高い書物である。
著者たちふたりは、インドネシア日本関係の専門家であり、大東亜戦争期から独立戦争までの事情に通じている。
また、日本帝国主義下の朝鮮の状況もよく知られている事実として扱っている。
軍関係、軍政関係のこまかい用語や組織も専門である。
そして、昭和初期から20世紀半ばまでの映画界の背景も了解している。

これだけのバックグラウンドを必要とする書籍であるが、あんまり親切に説明してくれていない。
また、人名など固有名詞にほとんどふりがながない。

というわけで、現在入手困難なこともあり、ほとんど読まれていない本だろう。
文章や記述が読みにくいわけではない。むしろ、この種の本では(漢字がよめれば)読みやすい部類である。
ただ、一般読者に大東亜戦争、植民地支配の実際をつたえる本として、もっととっつきやすいものであってほしい、という気もする。