東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

小野耕世,『アジアのマンガ』,大修館書店,1993

2006-09-05 22:31:16 | コスモポリス
初出は月刊『しにか』,1990年4月から2年間連載。

ウェブで"小野耕世"をサーチしたら、2005年度の手塚治虫賞を受賞なさったそうで、おまけに大賞は吾妻ひでお『失踪日記』(去年のわたしのオールジャンルベスト1)だということで、びっくり。
世の中のニュースにとりのこされている。

前項からの続きになるが、
受賞の談話のなかで、お父上の小野佐世男氏のことも語られたそうだ。
さらにサーチすると、20世紀メディア研究所という組織から刊行されている雑誌『Intelligence (インテリジェンス)』第7号(2005年11月)に、

小野佐世男はインドネシアでなにをしていたのか/小野耕世

という論文があることも発見。(未見)

小野耕世さんは、アメリカン・コミックやヨーロッパ・アジアのマンガの紹介で有名だが、同時に在日朝鮮人についても鋭い関心をもっていた方である。(ATG映画『キャロル』1972、制作者ではないが、中心人物で、「脚本」(?)担当)
だから、ジャワに派遣された第十六軍報道班のなかで、日夏英太郎と行動していた小野佐世男について、なにか情報をもっていた、とおもわれるが……(ただし、小野佐世男は1950年代に死亡している。)
『ドナルド・ダックの世界像』のような植民地主義とメディアの問題を扱った著作もあるし……

以上、日夏英太郎~小野佐世男の関連はおいておく。

本書は掲載誌『しにか』の守備範囲と同じく、韓・中・台湾・香港からマレーシア・シンガポール・フィリピンのマンガの紹介、さらにインドやパリの話題もある。
ただし、もはや、内容が古すぎて、こんな時代もあったか……という感じ。

最後に、本書に何度も登場するラット(マレーシアの漫画家)の盗作問題がとりあげられている。
日本の出版社、金の星社から、ラット作『カンポン・ボーイ』の構図によくにた絵をつかった絵本が出版された事件である。
まあ、たんなる構図や絵の盗作なら、よくあることで、ラット氏はあんまり気にしていないようだ。
ところが、内容が、マレーシアのサラワクの住民生活をまったく誤解したものだった。
絵本の作者は、ラットという漫画家など、知らないと、言っている。(たぶん、本当だろう。知ってたら、こんなに堂々と盗作しないだろうし、内容を誤解することもなかっただろう。絵本の作者はサラワクも知らないようだ)
金の星社は、盗作を認めないけれども、その絵本を絶版にするという、よくある玉虫色の解決策をとる。

まあ、よくある話ですが。

さらに、この事件でおもしろいのは、『天声人語』が、この絵本を、環境問題をあつかったよい絵本だと、紹介してしまったことである。
その後で、朝日新聞の記者が、盗作疑惑に気づき、小野耕世さんに取材したのだ。(その結果、小野耕世さんは、こんな絵本が存在することを知ったわけだ。)

まあ、よくある話ですが。

内海愛子・村井吉敬,『シネアスト許泳の「昭和」』,凱風社,1987 その3

2006-09-05 21:54:57 | コスモポリス
さて、日本の敗戦時の混乱の中でも一番ややこしいジャワ島。
なにしろ、日本軍は無傷で武装したまま。独立派は四分五裂、俘虜は多国籍・多民族、連合軍も多国籍。旧オランダ派、キリスト教徒、華人、貴族層などの住民。とてもややこしいし、本書の主題でもないので略す。

その中で、朝鮮人軍属、慰安婦、軍夫、学徒兵、民間人が、「在ジャワ朝鮮人民会」を組織する。
日夏も朝鮮人・許泳として活動に参加し、日本軍との交渉、連合軍との交渉につとめる。(ここでも、いたばさみになる仕事をすることになるが、詳細略す。)

許泳が朝鮮人として生きたのは、しかし、たったの四か月。
朝鮮人の仲間と行動するうちに、過去の負い目、対日協力が無視できない状況になってくる。
「親日の仕事をした者を全員罰したら、朝鮮の未来を作る人材がどこにいますか?」
といってくれる仲間もいた。
しかし、ここで許泳は、身をひき、インドネシアで生きる決心をした(と、著者たちは考える。実際、そういう結果になった)。

こうして、フユンは、インドネシア演劇・映画関係者の人脈をつのり、半公的な機関であるキノ・ドラマ・アトリエで、教育・創作活動をおこなう。

独立インドネシアで生きた最後の2,3年の間に、ドクトル・フユンは3本の映画をつくる。
なかでも『天と地のあいだで』(1951)は、民族問題をあつかった微妙な作品である。
微妙だ、というのは、映画としての評価があまりかんばしくないこと、テーマがきわどく、そうとうの検閲を受けたこと、原作者のアルメイン・パネが、検閲・改作に抗議し、原作者のクレジットをひきあげ、タイトルも変更になったことである。
変更後のタイトルは『フリエダ』。

本書の中で、『天と地のあいだで』のシナリオが抄録されている。
シナリオであるから、監督フユンの創作というより、原作者アルメイン・パネのものに近いのだろうが、内容は、フユンの過去を象徴するようなものだ。
混血の主人公が、独立戦争の中でスパイに協力したり、裏切ったりしたあと、インドネシア独立に協力する道を選ぶという、内容だ。

しかし、このシナリオも(そしてたぶん完成した映画も)あんまりおもしろそうな感じはしない。
過去の親日国策映画と同じく、あまりにも頭でっかちな作品ではなかろうか?
(これ以外の2本の映画『レストランの花』『スポーツする女』は、さらにつまらなそうだ。)
日夏英太郎=許泳=ドクトル・フユンの悲劇は、親日国策映画をつくったことでも、防諜協力映画をつくったことでもなく、あまりにも理屈が先走った映画しか作らなかった、作れなかったことではないだろうか。

著者たちはなにげなく引用している演劇学校時代のスマルジョノ氏の発言、とくに悪気はない発言であるが、ぐさりとくる、残酷な真実をいいあてている、とわたしには思われる。

「良い先生だったことは確かですが、結局、彼はジョクジャカルタの社会と、うまく溶け込んで、人々と付き合ったり、指導することはできなかったように思います。多分、朝鮮人ないし日本人としての規律を持ち続けていたからでしょう。」

******

さて、Googleで「日夏英太郎」を検索すると、トップに衝撃のサイトがくる。

www.k5.dion.ne.jp/~moeko/index.html

なんと、日夏英太郎の日本でご息女、つまり実子・日夏もえ子さんのサイトである。
2000年12月まで、娘さんはこの本の存在を知らなかったそうだ。
当然、著者たちは接触していない。
父・日夏英太郎はジャワで死んだとばかり聞かされていた、実子・日夏もえ子さんが、戦後の消息を知り、ジャワに墓参りに行った話が掲載されている。
母・花子さんの思い出も記されている。

この中で(そして本書でも少々触れられていることだが)、日夏英太郎は朝鮮語を話せなかったのではないか、という推測が記されている。
かなり重要なことで、彼・日夏英太郎の母語は何語だったのだろうか?
インドネシア独立前まで、終始日本人として生きようとしたのは、単なる親日あるいは皇民化政策のためだろうか?

なお、1997年10月に山形国際ドキュメンタリー映画祭と釜山国際映画祭が、ほぼ同時期に『天と地の間に』(本書の訳題とは「で」と「に」がことなる)を上映している、という情報もあり。

わたしは未見です。