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がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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古代ロマン

2013年04月04日 | ・琉球史散策/神話・近代

夢でも会議・研修してる日々。

目が覚めたらもう1日終わってる気分なんだけど…

やらなきゃいけないことがたくさんあって
正直、脳内酸素不足&知恵熱状態だけど
これまでよりは会議も研修も「ふむふむ」ってちゃんと入ってくる感じ。

3年目の強みかな(笑)

「楽しい」っていうのとはちょいと違うけど、
「よし、ガンバロウ」っては思えるかな。

歴史記事も史跡紹介記事もいっぱいネタはあるんですが、
今日は手っとり早く前に写真編集してたコレで。

久高島なんですが。

久高島には先史時代(貝塚時代)の貝塚もあるんです。

2000年前のとか!

こんな昔からこの島にも人がいたんですね!

…あっ、アマミキヨ一族か!?(笑)

貝塚っていっても整備されて見学できるようになっている訳ではなく
そのまま自然の状態?っぽいみたいなんですが。
(案内板とかがあるわけでもない)

今回偶然にも、ある場所でその貝塚跡地(ポイント)を発見
(もちろん新発見ではないだろうけど)

辺りに貝や土器のカケラも(!)ごーろごろ。

…ワタシが見ても全くわからなかったのですが
確かにそうなんだって

2000年前の久高島の人たちの痕跡を
実際に今、触れているという古代ロマン

 

…あ、もちろん貝やカケラは元通りにしておきましたヨ。

 


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霊験あらたかな、

2013年03月30日 | ・琉球史散策/神話・近代

前記事のカ―繋がりで。

今度は伊計島の犬名河(いんながー)。

名前の由来は、

農夫が畑仕事をしていると
ずぶ濡れになった犬が海岸から上がってきた。
不思議に思ってついていってみると
泉を発見した

というもの。

このパターンの伝説は他にもありますね。

アカインコもそうだし。

海岸沿いの急な階段を降りて行きます。

この日はすごく風が強かったので
ちょいと大変でした

雨の日や雨の日の後は
摩耗した石が滑るので危険かも。

下まで降りきるとここが犬名河。

セメントやブロックでしっかり囲われたカー。

昭和57年まで何かと使われていたようです☆

中は広く、水もきれいでした。

お風呂場くらい。

 

しかし犬名河がすごいのは
実はコレだった…!?

 

 

 

 

霊験あらたか!?

位置的にもベストポジションすぎる!(笑)

写真のハレーション現象やゴースト現象は
珍しいことではありませんが
これはできすぎだ(笑)

すぐ向いは海。

水平線の向こう側は沖縄本島です。

 


今日は裏のオシゴトday!
溜めちゃってたからガンバロ(^^;
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イシキ浜

2013年03月21日 | ・琉球史散策/神話・近代

久高島の東側にあるイシキ(伊敷)浜。

ニライカナイからの神様が来る時に
船が停泊する場所、とのことです。

琉球国王も訪れていたそうですよ。

また、

まだ人々が食物と言えば貝と木の実しか知らなかった頃、
麦や粟など7つの種子が入った黄金の壺が流れ着い場所

という伝説も。

 白い砂浜には、これまた白くて丸くてすべすべした大小の石が
たくさんあって、なんだか不思議でした。

珊瑚の造形が好きです

この記事の写真もイシキ浜。

浜に出る手前には御嶽もありました。

ポップでかわいい案内表示。

スポットそれぞれでデザインが違います。

…きっと久高(小)中の子どもたちが
美術の授業で作ったモノだはずね

久高島にはイシキ浜以外にも所々に立ち寄れる浜があります。

(↑と↓の写真はイシキ浜とは別の場所)

全部行ったわけじゃないけど、
星の砂がある浜もあるのだとか?

でも前も書いたけど久高島は島全体が聖地なので
いかなるものも持ち帰るのはNGですよん。

また遊泳禁止の浜もあるので御注意を

 


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*おまけ*

ひゃっほ~い!南山楽しい~♪
南山、絶賛ハマリ中。
そんでもって、首里城行きたい病、再発の兆し(笑)


はびゃーん。

2013年03月15日 | ・琉球史散策/神話・近代

今回久高島に行って絶対に訪れたかったスポットが3つ。

1つ目が前記事のクボー御嶽

2つ目が大里家(うぷらとぅ)。

そして3つ目がこちら、カベール岬。
久高島の言い方だと「はびゃーん」
(響きがカワイイ(笑))

…もっと厳密に言うと、

カベール岬に至るまでの道

かな。

まっすぐ伸びる白い道がステキです

両脇にはクボウ(クバ・ビロウ)などの群落。

クバは神が降り立つ神聖な植物とされており
神事にも使われる大事な植物です。

こちらがゴールのカベール岬。

島の最北に位置します。

浜…と言ういよりはこちらは岩場。

東(北東あたり?)を臨む。

カベール岬はアマミキヨが降り立った場所と言われています。

もっとシャキッとしたコントラストで撮りたかったケド
煙霧の影響でもやっとしてます

……また夏に再訪するか?

カベール岬に行くまでの島の5分の4に及ぶ道のりは
畑も水道も自販機もありません
(日陰もあまりナッシング)

なのでそれなりに対策して行かないとタイヘン。
(水分と日よけと覚悟(笑))

レンタサイクルで周ればあっと言う間なんだけどネ。

 今回もレンタサイクルの人たちと何組もすれ違いましたが
さすがに徒歩の人はワタシたちだけでした

でも自転車だとさーっと通り過ぎちゃいますが、
歩きだと色々気付くこともあって楽しかったですよ

モノクロバージョン。

 交流館内にある資料館で見た
カベール岬への道のりを神女さんたちがずらーっと並んで行く写真が圧巻でした。

 


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最近ずっと寝て6時間半後に目が覚める…。
それで足りてればいいんだけど昼食後に急激な眠気が…(-_-;)
前疲れてて9時に寝た時も3時半に目が覚めた。
たっぷり眠りたくても目が覚めてしまう妙。
…歳か?


クボー御嶽

2013年03月13日 | ・琉球史散策/神話・近代

さて、久高島と言えばこちらでしょう。

クボー(フボー)御嶽。

久高島の言い方だと「うぷうがみ(大御拝)」

琉球開闢の創世神アマミキヨがつくった御嶽、
“琉球七嶽”の1つです。

クボー御嶽は島の中ほどにあり、
島の最高の聖地です。

今は一切の立ち入りが禁止されています。

入口におかれた低い石積みが遥拝所。
(そばに遥拝所としての案内板あり)

これより先は何人たりとも立入禁止。

クボー御嶽はとても広く
最奥の円形広場ではイザイホーなどの
祭祀行事などが行われていた場所です。

ちなみにイザイホーとは久高島で行われていた
12年に1度の祭祀で
島生粋の30~41歳までの既婚女性が
神女としての資格を受けるための儀式。

イザイホーは600年以上の歴史があると言われていますが
1978年を最後に途絶えています。

 

 

 

それにしても、やっぱりココも高校生の時に訪れた(通った)はずなのですが
何も思い出すこともなく、やっぱり今回が初訪問気分でした

でもこれで記憶も記録もしっかり、琉球七嶽制覇です(笑)

 

*琉球七獄*

安須森御嶽


今帰仁の金比屋武
(今帰仁クバの御嶽はこちら


知念グスク
・斎場御嶽( 


藪薩の浦原(  


玉城グスク( 


クボー御嶽 

首里森御嶽真玉森御嶽(推定)

 


↑クリックで拡大

*ATTENTION*

久高島はクボー御嶽のみに限らず
島全体が聖地なので
植物や石、貝殻、砂など
島のものを持ち出しては行けません。

 


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受水走水

2013年03月06日 | ・琉球史散策/神話・近代

 この記事を準備してから早2週間以上がたってる・・・。

というわけで、以前記事にした「浜川御嶽とヤハラヅカサ」の続き。

アマミキヨ関連の遺跡、受水走水。

受水走水は、

うきんじゅはいんじゅ

と読みます。

沖縄の難解地名クイズでよく出てきます。
(これは史跡固有名詞で地名じゃないけど・・・)

かくゆうワタシも社会人なってから、
入社試験のための一般教養対策で初めて知りましたから(^^;)

沖縄人でも、地域の人かこういう類のものに関心がないと
知らないって人も多いです。

……あ、でも近年のパワースポットブームで
意外と知られてたりするのかな?

では受水走水とはなんぞや!?

一言で言うと、

沖縄の稲作発祥の地

とされているトコです。

ヤハラヅカサにアマミキヨが上陸して、
浜川御嶽で仮住まいして、
すぐ近くのこの受水走水で稲作を始めた

っていう流れ。


詳しくは現地にあった案内板をどうぞ。
(↑手抜き(笑))

東御廻(あがりうまーい)にも周る場所として
沖縄の代表的な拝所の1つです。

こちら受水。

今でも水が滔々と湧き出てます。

そしてすぐ隣にあるのが走水↓
(トップ写真も走水)

受水よりは水の流れが早く勢いがあることから、
らしいですが、
時期的なものなのか
ワタシたちが訪れた時はそんなに差は無いように見えました。

香炉。

すぐそばにある「親田」

苗がスタンバイされています。

訪れた日は旧正月の翌日(2/11)だったのですが、
2/22には親田御願が行われました。

琉球新報記事(動画も見れます)→ 

受水走水全体図。

左が受水、右が走水、右手前が親田です。

 


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浜川御嶽とヤハラヅカサ

2013年02月17日 | ・琉球史散策/神話・近代

昨日ちょこっと触れた浜川御嶽。

独立記事書いてなかったので改めてご紹介。

浜川御嶽があるのは聖地が集中している南城市。

琉球創世神アマミキヨがニライカナイ(ギライカナイ)からやってきて
最初の居を構えた場所とされています。

よって琉球屈指の聖地であり、
東御廻い(あがりうまーい)の1つにもなっています。

浜川御嶽は大きな岩とガジュマルに囲まれた
とても雰囲気のある空間ですが、
浜に向かって降りて行くと…

大きく広がる太平洋。

この浜全体が、これまた聖地のヤハラヅカサ。
(聖地なのでここの砂とか貝とか持って帰っちゃダメなのです☆)

アマミキヨが上陸したとされる場所です。

中央にあるのがヤハラヅカサの碑。

この日はあいにくの天気で雨がポツポツ…
(スカッと晴れた日にまた行きたい♪)

海の向こうには久高島があります。

斎場御嶽チックな三角岩。

南部にはこういう三角岩、てーげーあるよ(笑)

もちろん、斎場御嶽ほどのモノではないですが。

↑これは小さいけど人ひとりは入れそう。

穴があったら入りたい…って、違うか(笑)

ヤハラヅカサの浜から浜川御嶽に登る道。

ちなみに、ここからちょっと行った先には
これまたアマミキヨ関係の聖地「受水走水」があります。
(次記事で☆)

アマミキヨの上陸した浜、ヤハラヅカサ
最初の居住地、浜川御嶽
稲作の発祥地、受水走水
居を移した先の、ミントングスク

これら約1キロ範囲内ある聖地全てを総称して
藪薩の浦原(やぶさつのうらはら)と言い、
琉球七嶽の1つになっています。


「受水走水」、沖縄の人でも読める人は少ない。
さて、何と読むか分かるかな?

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ガジュマルの根

2013年02月16日 | ・琉球史散策/神話・近代

複雑に絡み合って大地や岩にへばりつく
ガジュマルの樹のしたたさと力強さが好き。

まぁ、違った見方をすれば浸食…なのだけど。

↑このガジュマルは浜川御嶽の向い。
以前も載せたことあるのですが)

平田大一さんと桑村ヒロシさんの本
「シマとの対話」(ボーダーインク)の表紙にもなってる。

確か、お2人のトークショーで聞いたんだったか、
何かで読んだんだったか、

桑村さんは広く知られている浜川御嶽ではなく
不思議とココに惹かれて撮影し、本の表紙に選んだのだけど
実は浜川御嶽よりもここのほうが重要らしい、
ということを後から聞いて
不思議な縁を感じたとかそういう意味のことを聞きました。

雨にぬれて、こう見て見るとなんだか生きもののよう。

H.R.ギーガーの世界みたい…。

と思ってしまった

 

ワタシがガジュマル好きなのは
ブログタイトルからもわかると思いますが、

ブログタイトルはひらがなの「がじゅまる」で
樹木としてはカタカナの「ガジュマル」と
ちゃんと使い分けてるんですよー

ちなみに語尾に「。」がついてるのもこだわりです。

 

photo in 藪薩の浦原


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シルミチュー

2013年01月25日 | ・琉球史散策/神話・近代

アマミキヨ関連で、今日は浜比嘉島のもう一つの史跡、
「シルミチュー」のご紹介。

こちらは「お墓」ではなく、「霊場」として知られています。

勝連“町”時代のままの案内板↓

ここでのシルミチュー(シネリク)、アマミチュー(アマミキヨ)は一男一女の人。

天から降臨した中山世鑑のアマミキヨ伝説とは
ちょっとニュアンスが違う。

ではちょっと中山世譜の冒頭をご紹介。

 

未生のはじめを対極と名付ける。

その時は混沌としていて、陰陽清濁の区別がなかった。

やがて、おのずから両義に分かれ、
清いものは昇って陽となり、濁ったものは降りて陰となった。

これから天地の位置が定まり、人物が生じた。

 

はじめ、一男一女が大荒の際に生まれた。

男性はたくましくて女をなつかせ、
女性はすなおで男にしたがった。

月日がたち、おのずと夫婦の道がひらかれ、
人倫が始まった。

 

参/「蔡鐸本 中山世譜」(原田禹雄訳注)

 

この一男一女が、シルミチューとアマミチュー。

神と言うよりは人間っぽいね。

そもそも「アマミチューの“墓”」というのも
人間っぽいしね。

人から神に昇華したパターンかしら。

そしてこの二人から三男二女が生まれ…
というのは中山世鑑と一緒。

まぁ、神話の世界は諸説あるもので、
『沖縄琉球王国ぶらぶらぁ散歩』によると
アマミキヨは独りではなく集団で海を渡ってきたというのが定説
とも。

ってことは、
アマミキヨとは個人名ではなく団体名だった(!)
という解釈もアリ…!?

東洲斎写楽のように。

↑石段を登った先には洞窟。

柵がされていましたが御願などの時は入れるようです。

洞窟の入り口には大正6年の石碑。

デザインからして大正っぽい。

近代の史跡としても観れる。

すぐそばは海なんだけど、
緑深い空気に包まれた独特な空間の
シルミチューでした。

 

 


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アマミキヨのこと

2013年01月20日 | ・琉球史散策/神話・近代

1週間後の1/27(日)は、
琉球幻想絵巻「AMAMIKIYO~ニライカナイ伝説」の舞台
ということで関連史跡。

先日行った浜比嘉島にある
アマミチュー(アマミキヨ・アマミク)のお墓、遠景。

以前も記事にしたことあるので
近景についてはそちらをどうぞ→ 

 

アマミキヨ、一言で言うと琉球創世神ってところでしょうか。

ちなみに女神です。

天帝に使命を与えられ、天界から降臨し
琉球の国造り(そして人造り)をしたという神話です。

その神話の細かな内容などについては
色々あるようですが…。

「中山世鑑」にあるアマミキヨについての記述は


島(国土)造り

1’
御嶽造り琉球七嶽


人造り
三男二女の誕生。
長男→天孫氏の始めとなる
次男→諸侯(按司)の始めとなる
三男→百姓の始めとなる
長女→君々(高級神女)の始めとなる
二女→祝々(地方神女)の始めとなる

※アマミキヨが生んだというより
アマミキヨが天帝に乞い、
天帝の子(男女)が降臨し、三男二女を出産。



人々の繁盛、
他の神々の登場
(キンマモン・オボツカグラ・ギライカナイ・キミテズリetc)


五穀の発祥

です。

「中山世譜」になると、また微妙に記述が変わるのですが…。

琉球史に比べるとちょっと馴染みの薄い琉球神話ですが
(スピリチュアルな人は別として…)
読んでみるとなかなか面白いですよ

 

*参*
「沖縄琉球王国ぶらぶらぁ散歩」(おおきゆうこう 田名真之著)

「訳注 中山世鑑」(諸見友重訳注)

というわけで、TAO Factoryの藏當さんが手がける新作舞台
琉球幻想絵巻「AMAMIKIYO~ニライカナイ伝説」の詳細は
こちらから

45分の短い舞台のようです。

なお、当ブログの「現代版組踊スケジュール一覧」には載せてません。
現代版組踊から派生した舞台などが増えてきたので
公演・団体が「現代版組踊」と冠しているものだけに絞ることにしました。

……が、TAO Factoryのサイトでも
公演情報更新早くなってきてるし
TAO Factoryに関する舞台は全て紹介されてるし
もうワタシがまとめる必要はないかなぁ…と思う今日この頃… (´-`)

 

ついでに…琉球トライアウトさんのサイトにある公演スケジュールページ、
あの情報は全て去年度のものですが、
「年」が書かれていないので今年のものと勘違いしている人がいました。
(本土の人のようです。スケジュールが合わなと旅行計画は立てずに済んだようなのですが…)
もちろん日付と曜日が今年とは違うので注意すれば気付くのですが、
サイトのつくりが上等なのでだまされちゃうかも。
チケット購入ボタンもまだ機能してるみたいだし。

情報消すか年表記したほうがいいのでは
はないかと思うのですが…。
一応老婆心まで。

 


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2/17のDynamic Asia Symphonyも申し込み完了。
(TAO Factoryの手掛けたウチナー文化未来塾が出演)
完全抽選だから当たるかは分からないけど…。


戻る道

2013年01月19日 | ・琉球史散策/神話・近代

 ちょっくら一息入れて、本島最北巡りの時の歴史記事。

国頭村の茅打バンタのすぐそばにある
通称「戻る道」

なんでもこの道は、人がひとりしか通れないほどのとても狭い道で、
向こう側から人がきたら誰かが戻らないといけない
ということから、こう呼ばれていたのだとか。

そのまんまネーミングです(笑)

そこで、大正時代にこの道幅を広くする工事が行われて
ようやく人や馬などが通れるようになった

という近代の歴史の道。

見上げるほどの切りたった崖を
地道に掘削していった当時の人たちの苦労が感じられます。

 ↑は「戻る道」の拡張作業を起こした
校時、辺戸尋常小学校の校長だった当山正堅(とうやませいけん)先生の碑。

一応道沿いにあるんだけど
草むらに見え隠れしてて見落しがちなので
戻る道を通る時は注意してチェックしてみてください☆

 

参/「琉球古道」(上里隆史著)

 


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琉球開闢第一の地、安須森御嶽

2012年12月30日 | ・琉球史散策/神話・近代

 先日行った本島最北巡り。

最大の目的はココ!
琉球七嶽の1つ、「安須森御嶽(あすむいうたき)」に登ること!

安須森御嶽は辺戸(へど)にある辺戸岳のことで、
鋭く切りたった岩山全体が聖地なのです。

安須森は琉球開闢(かいびゃく)の第一のポイントで、
天から降りたアマミキヨ(アマミク・阿摩美久)が最初に作った聖地。

(ちなみに以降、今帰仁の金比屋武知念グスク・斎場御嶽( )→藪薩の浦原→玉城グスク( )→クボウ御嶽→首里森御嶽・真玉森御嶽と続く)
クボウ御嶽も訪れたことはありますが、高校生の時なんで写真はなし。

そのワイルドさと壮大さに惹かれ、
いつか行ってみたいと思いつつ約2年、やっと訪れることができました!

2年も待ったのは、
さすがにひとりでは行かないほうがいい場所だからです。

特に標高が高いとか樹海があるというわけではありませんが、
ご覧の通り、安須森は急斜面の崖があちらこちらにある岩山。

登山のためのロープや鎖はあるものの、
足場は決して良いとは言えず、
雨天時はもちろん、雨上がりなど湿気の多い日でも足元が滑り、非常に危険です。

気軽に観光・ハイキング気分で行くような場所ではありませんので、
経験者と一緒に行くことをおススメします。

↑写真で撮った登山道。

でもコレ、まだ写真撮る余裕があったトコです。

本気でギャー!ってなったトコはとにかく必死で
写真撮る余裕なんてないですからね。

高所恐怖症なワタシ……がんばりました!

ロープの状態や足元を確認しつつ、
(ゆるんだり切れてたり、岩がぐらぐらしてる場所もあり)
ゆっくり登って約20分。

頂上に近づいて来たころにぽっかりと開いた洞窟が。
黄金洞(くがにがま)です。

歪曲した岩の層が太古浪漫を駆り立てます。

さあ、頂上まであとわずか。
(ってか、ここからが1番怖かった…ので写真なし

 

そしてそして・・・

 

やっとたどり着いた頂上360度パノラマ!

ひゃ~!

しかも、下界(笑)ではどんより曇り空だったのが
みるみる青空に!

頂上にあった祠たち。

…一体どうやってこれらの石材やコンクリを運んだんだろう…。

恐るべし信仰心。

 

これでもなだらかな方の崖です。
(反対方向の崖は90度。今思い返しても脚がすくむ…

柵はありません。

座り込んで高さと足場に気持ちを慣らすことしばし…(笑)

 

さあ、アマミキヨが見た雄大な景色を味わおう


↑クリックすると拡大します

北西…くらいかな?


↑クリックすると拡大します

北東あたり。

本島最北端、辺戸岬が見えます。

(なお、トップ写真は辺戸岬からみた安須森御嶽)

 辺戸岬アップ。

安須森御嶽は今回登った場所だけじゃなくて
連なっている所も含めて安須森。

今回登った場所は宜野久瀬(シヌクシ)嶽。

右から「シヌクシ嶽」「アフリ嶽」「シチャラ嶽」、「イヘヤ」
(…たぶんあってるはず)

ただしこの「イヘヤ」だけは安須森には入らないらしく、
今は観光地になってます(→大石林山)。

ちなみに、アフリとは「涼傘(りゃんさん)」のことで、
アフリ嶽にキンマモン(キミテズリ)が降臨(!)した時、
涼傘が山を覆った(笠雲)という記録もあるそうです(「琉球神道記」)。

神秘的ですね~

琉球第一の聖地、安須森御嶽。

いい経験させていただきました
(めっちゃ充実感と達成感

 

実際に登った時はもう十分って思ったけど、
今度はもっと緑がいっぱいの時にとか、
アフリまで行きたいかもとか、
さらに思ってしまうワタシなのでした

ええ、筋肉痛抜けるのに2日かかろうとも!(笑)

 

*参*
『琉球古道』(上里隆史著)
『琉球王国ぶらぶらぁ散歩』(おおきゆうこう・田名真之著)

 


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アマミチューの墓

2012年11月03日 | ・琉球史散策/神話・近代

阿麻和利ネタが続いていたので(実はまだまだあるあるのですが…)

今日は時代をぐーっと遡って、

琉球開闢まで。

琉球開闢についてはいくつか伝説があるのですが(場所も様々)
そのそのゆかりの地の1つがこちら。

うるま市の浜比嘉島。

海に突き出たアマンジと呼ばれる岩の裏手に、
琉球開闢も女神、アマミチュー(アマミキヨ・アマミク)のお墓があります。

海が荒れている時、満潮時などは水没の危険があるようなので
ご注意を☆

ちなみに男の神様、シルミチューのお墓も
同じ浜比嘉島にあります。

この日は行けなかったけど…。

撮影は去年の10月。

写真が暗いのは夕方だったせいです。


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沖縄そばの日

2012年10月17日 | ・琉球史散策/神話・近代

今日は沖縄県民のソウルフード、沖縄そばの日!

そばじょーぐぅ~なワタシとしては
1年の中でも外せない記念日です。

 

…でも、ブログではちゃんと取り上げてないみたいですね(あれっ?

 

なぜ10月17日が沖縄そばの日なのか?

 

沖縄そばはご存知のように「そば粉」を使用していません。

そのため、本土復帰したばかりの沖縄は公正取引委員会に
「沖縄‘そば’」を名乗るのを禁止されてしまいます。

「沖縄そば」名称消滅の危機!!

そこで沖縄生麺協同組合が交渉・奮闘し、

特殊名称として「沖縄そば」が認められたのが
1978年の10月17日なのです。

 

詳しくは→沖縄生麺協同組合サイト

 

沖縄の人たちの気概に敬意と表すると共に
沖縄の食文化の歴史に残る1ページとして大切にしたい記念日なのです。

 

 
というわけで、写真は全部今週(っていうかここ4日で)食べた沖縄そば(笑)

今週はMY沖縄そば週間ということで
3店舗食べ歩きました。

 

最近のお気に入りはこちら↓

「おおしろそば」

つやつやのレタスが食欲をそそります

 

ちなみにワタシは七味よりもコーレーグース派。
泡盛の香りがたまりません

あと、どちらかと言えば平麺よりは細麺が好み。

肉はソーキも三枚肉もいいけど、
最近ハマっているのは軟骨ソーキです

 

 

発売したばかりのモモトvol.12も沖縄そば!

ふーちばーそばもいいよね~

 


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今日の沖縄タイムスに、先日行われた「北山の風」(IN本部町)の記事が掲載されていました
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-10-17_40288