淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「night is just around the corner」

2015年08月16日 | Weblog
 昔から、人と別れるということが、とにかく辛くて辛くてしょうがなかった。
 異常なほど、それまで親しくしていた人とか、身内の人間とか、友達とか、あるいは恋人とかと何がしかの理由で離れ離れになると分かると、もうそれだけで切なくて切なくて、精神的にどうしようもなくなるのである。

 小学校だったか幼稚園のとき、家庭の事情で東京に転校する近所の友達がいて、青森駅の長いプラットホームで見送ったのだけれど、その友人が遠くに行っちゃう事が悲しくて悲しくて、突然大声で泣き叫んだことがあった。
 そのシーンは、今でも鮮明に覚えている。

 いい歳をした男が、ひと恋しいというか、極度な淋しがりやというか、乳離れしないというか、依存症的というか、もうどうしようもない。

 祖母と祖父に溺愛されて育ったことが起因しているんだろうか。
 それとも単なる甘えん坊なんだろうか。
 
 これは別にいい意味じゃなくて、本当に呆れ返っていうんだけれど、これって、余りにも心がおかしく研ぎ澄まされていて、余りにも脆くて、余りにも壊れやすく出来ているせいだからじゃないんだろうか。

 こういうヤワ過ぎる性格って、心底、疲れる。
 毎日毎晩、へとへとになる。
 心が絶えず疲弊しているから、かなり生きること自体に難儀する。
 心がいつもヒリヒリしていて、とても苦痛だ。

 今日の日曜日も、午後あたりから心が乱れ出してきた。
 空はまだ夏の青空が残っていて、太陽も眩し過ぎるほどに眩しい、そんな残暑の日曜日。
 そうなると、そういう前向きな夏の風景と、それとは全然裏腹な暗い気分との、乖離が辛くなる。

 明日からまた仕事が始まるのかぁ・・・なんて、ふとそんなことが脳裏を掠めた。
 ここ数年は、仕事でもプライヴェートでも、大抵のことなら(もちろん、深く傷ついたり悩んだりしたことだって沢山あったけど)平気の平左だったのに、最近はちょっとしたことでも鋭利な刃物で切り付けられるみたいな感覚に襲われる。

 午前中もほんとは少しばかり落ち込んでいたのだけれど、朝、ラインで「今日も一日、はりきっていきましょう!」というラインが届いて、そこから気持ちが随分と落ち着いたというのに・・・。

 まるでポツポツと曇天の空から大粒の雨が落ちてくるみたいに、心の襞にも冷たい雫が落ちてくる。

 ああ、今日の日曜日の夜、この繊細で弱々しい心は平静を保つことが出来るんだろうか。
 また、あのスポーツジムで突然襲って来たような、どろどろしたどす黒い負の塊が、胸の辺りから這い上がってきたらどうしよう。
 不安が募る。
 夜が途轍もなく厭だ。

 それにしても、なんと弱い精神力!
 些細なことで傷つき、異常なほどメゲてしまう自分がいる。
 これって、どうにかならないんだろうか。

 夕方になる。
 宵闇が迫って来る。
 今日はランニングさえ出来る状態ではなかった。

 圧倒的な寂寥感、圧倒的な空虚感、それらがまた侵食してくる。
 脱出したい。一生人生に悩んでもいいし、一生満足しない自分がいても全然構わない。
 この圧倒的な苦しさから開放される、ただそれだけでいい。あともうほかには何もいらない。

 東京に帰るという身内を青森駅まで見送るために、一緒に夕暮れの街を歩いて向かう。
 中心市街地の新町通りは、いつもよりも通行人が多い。旅行バッグを担いでいる人たちが目立っている。

 すっかり夕風が涼しくなってきた。
 西の空が橙色に滲んでいる。
 とても美しいけれど、とても物悲しい風景だ。
 
 少し新幹線接続電車が来るまで時間があったので、青森駅前の「スターバックス」に入って珈琲を頼む。
 珈琲を飲み干し、時間が来たので、こちらも入場券を買って青森駅のプラットホームまで行って見送ることにした。

 昔、東京に転校する近所の友達を青森駅の長いプラットホームで見送った際に、遠くに行っちゃう事が悲しくて突然大声で泣き叫んだことを、ふと思い出した。

 何を見ても、何をやっても、すべてを悲しみや苦悩や虚しさに結び付けてしまう、そんな強引な自分が常にいる。
 
 俺は、ここからいつになったら立ち直れるんだろう・・・。
 もう限界に近い。









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「某文学賞、見事に惨敗で撃沈す! これまでのいい加減な生き方、その場凌ぎの人生のツケが回って来た」

2015年08月16日 | Weblog
 箸にも棒にもかからなかった。
 起死回生の一打逆転満塁ホームランを狙ったのに、かすりともしなかった。完敗である。

 ここで、もしも大手出版社の文学賞を獲れたなら、自分を鼓舞させ、全部始めから人生そのものをやり直すことが出来る、そう思って、必死で書き上げて提出した100枚の小説が、完膚無きまでに否定されてしまったのである。
 箸にも棒にもかからなかったのである。

 ショックだ。

 生まれて初めて書き上げた100枚の小説だった。自分にとって初めての自信作だった。
 これまでに賞を獲った幾つかの短編小説は、書き上げてはみたもののどれも自信がなくて、応募するたび、提出するのをやめようかといつも戸惑っていた。
 でも応募してみると、何故かどの小説もそれなりの評価を受けてきた。

 慢心していたのだろう。
 大手出版社の文学賞は、やはりそれほど甘くない。
 アホと言われるかもしれないけれど、絶対に評価されると思っていた。

 でもまったく無視された。
 そりゃ、そうだ。
 数年前、ある評論家の先生に、「ずいぶん、筆が荒い」と言われたことを今更ながらに思い出す。

 他人の小説なんて一年間で数冊読む程度で、あとは音楽評論とか自己啓発に関する本をぺらぺらと捲るだけ。
 やっと書き上げた100枚の小説だって、単に10年間寝かせていただけで、一年に一度か二度ほど数枚程度書き進むだけだった。
 ブログを読んでいるひとなら分かるだろうけど・・・。

 小説だけに限らない。
 マラソンも中途半端。
 走ったり走らなかったり。その繰り返しで一年が終わる。

 一ヶ月のうち、ジムに行くのだって4~5回行くのがやっとという体たらく。
 鍛えたいのか、鍛えたくないのか。
 口先だけで実行が伴わない・・・。

 映画と音楽の評論集を書き上げて出版するというのも、単なる宣言だけで、結局何にも進まない。
 いわんや、小説さえ、ここ何年も、やっと30枚程度をなんとか頑張って締め切り一週間で急いで書く始末。
 書く気があるのかないのか、自分でもよく分からなくなる。

 いい年して、淋しがり屋で、自己顕示欲が強く、自分が大好きで、神経質で、嫉妬深く、他人の評価がいつも気になり、ちょっとでも批判めいた噂を聞くと、徹底的に落ち込み、立ち直れなくなる。

 小心者で、気持ちがせこく、いい人間に見られたいと絶えず周りに気を配る。
 太っ腹なところをみせるけれど、本当はケチで、何事にも石橋を叩いて渡るくらい慎重で、表面上は男気を繕っている。

 いつも、いつの時でも、必死で安全な場所を確保しようと努め、予防線を張り巡らすことだけに集中し、他人を信用しているようにみせてはいても、本心はまったく違っている。

 懐疑心が強く、いつも祭り上げられていないと気分が悪く、癇癪持ちで、怒りっぽく、放蕩癖が直らず、いつも散財を繰り返している。

 とにかく言っていることと実際の行動がまったく逆で、ちょっとのことでも激しく悩み、まるで生死に関わる一大事のように大袈裟な対応に終始する。
 そんなクソッタレな軽薄野郎が、文学賞など獲れるはずが無いではないか。

 これまでのいい加減な生き方、その場凌ぎの人生のツケが、確実に回って来ているのだ。
 すべての責任は自分にある。
 今の人生は、過去の自分の決断の結果でしかない。
 今を作っているのは、今までの生き方そのものだ。

 心の負債は天文学的に大きい。
 とても払える体力も知力も無い。

 どん詰まりである。
 やってこなかったその人生のツケが、雪だるま式に増えている。
 アスパムよりも、陸奥湾よりも大きくて広い。

 本当にショックである。
 やっと書き上げた小説なのに・・・。
 自信作だったのに・・・。

 最低最悪だ。
 ここ数ヶ月って、ほんと一体何なんだ?









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「morning bath」

2015年08月15日 | Weblog
 朝6時過ぎに起床。

 天気予報では今日の土曜日は午前中が雨で、午後から曇りということだったけれど、雨は夜中のうちに上がったらしく、朝、グレーの空が一面に広がっている。

 昨日の夜も、一瞬、暗黒面に落ちそうになった。
 そういう大きくて激しい負の感情って、突然何の前触れもなくやって来る。もちろん、予兆のようなものは当然にしてあるのだろうけど・・・。

 でも結局それは、自分で勝手にそういう否定的ですべてをマイナス思考に連鎖させる世界を作り出して、勝手に自分自身を痛めつけているに過ぎない。
 自分で思考し、自分で世界を作り、自分で絶望し、自分で嘆いているのだ。

 それって、滑稽な三文喜劇だ。
 痛々しいマスターベーションだ。

 とにかく、動こう。
 爽やかな土曜の朝だし。
 このままだと、頭がおかしくなる。

 まずは「まちなか温泉」に行く。
 家から歩いて7~8分のところにある、ホテルと温泉が合体した施設で、朝食が美味しいと評判の場所だ。

 温泉の回数券を持っているので、朝食代の1000円だけをフロントに払う。
 まずは、早朝の温泉へ。
 それなりに人がいる。

 露天風呂に浸かって朝の爽やかな空気を吸う。
 朝風呂はやっぱり気持ちいい。

 40分ほど温泉に入って、そこからホテルのバイキング。
 大混雑している。
 貸し切りバスが停まって、ここでの朝食だけを摂るためだろう、多くの人が降りて次々にホテルのバイキング会場へと入ってゆく。

 確かに、これで1000円なら御の字だろう。
 トロロ汁に山菜に魚と、色んな県産品が揃っている。青森県産の牛乳まであった。
 これだと確かに混むわ。美味しいし。

 満腹となった「まちなか温泉」を出て、火照った身体を朝日に浸す。
 それでも朝の8時過ぎだ。

 早起きは三文の徳。
 まだまだ時間がある。

 今日は、戦後70年となる終戦の日。
 この日本は、70年前、大きな大きな戦争をしていたのだ。






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「夏の雨」

2015年08月14日 | Weblog
 夕方から突然雨が降り出した。
 某ホテルの二階の店で、生ビールを飲みながらシメ鯖を食べていた、ちょうどそのあたりだった。

 すっかり日も短くなってきた。
 午後の六時を過ぎるころには、もう宵闇が迫って来る。
 これから少しずつ夜の時間が長くなり、この街も一日ごとに涼しくなってゆく。そして、あっという間に冬になる。

 ホテル二階の地元のお酒と料理を出す店は、ほとんど満員状態で、お盆休みの宿泊客なのだろう、標準語がいたる席で飛び交っている。

 一番端の席で、中年男性が、独り酒を飲みながら肴をつまんでいる。
 ホテルの宿泊客らしい。
 寡黙な佇まいだ。

 お盆で帰郷しているのだろうか?
 それなら、実家に泊まればいいのに・・・何故なんだ? なんて、余計な詮索をしながら、こちらもまた、烏賊のウロを食べ、生ビールを呷る。

 それとも、独り旅でもしているのだろうか?
 連れ合いはどうしたんだろう?
 たった独りで摂る夕餉、淋しくないのだろうか?
 
 外は雨が降っている。
 風も冷たい。
 暗い舗道に雨粒が落ちているのが見えた。

 夏が終わってゆく。
 またなし崩しに、光と海と風に彩られた夏の季節が終わってゆく。

 孤独になれなきゃ。
 独りで生きる、その術を学ばなきゃ。

 なんにも、変わらない。








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「時は時に触れるものすべて色あせ変えてゆく」と浜田省吾が歌ってる。

2015年08月13日 | Weblog
 浜田省吾のニューアルバム「Journey of a Songwriter ~ 旅するソングライター」はやっぱり傑作だ。
 特に、前半の怒涛の6曲が特に素晴らしいと思う。

 その中でも5曲目の「美しい一夜」は名曲だ。
 最近はランニングするとき、浜田省吾の「Journey of a Songwriter ~ 旅するソングライター」だけを何度もリピートして聴きながら走ることが多い。

 今日は8月13日の木曜日。
 今日と明日、お盆休みを取った。
 お墓参りはすでに済ませていたので、午前中、炎天下、いつものランニングコースを13キロ走る。
 もちろん、ランニング用ウォークマンで浜田省吾の「Journey of a Songwriter ~ 旅するソングライター」を聴きながら。

 国道沿いのデジタル温度計がもう30度を示している。
 中心市街地を通ったら、ほとんどのお店は閉まっていた。車も少ない。人影も疎らだ。

 海に出たら、東から強い風が吹いてきた。
 でもそれがまた、走っている身には扇風機のようで、ひたすら気持ちいい。
 Uターン先の「合浦公園」は、海水浴に来ている家族連れで賑わっている。夏休みを取っている人たちが多いのだろう。

 炎天下、汗をぶったらして走ることに無上の喜びを感じる自分がいる。
 もはや、走るという行為は、自分にとって生きているという存在証明にすらなっている。そこに音楽が介在すると、それはまさに無敵になる。
 生きている証しにさえなる。
 レーゾンデートル!

 嘘偽りなく、このままこの炎天下を走りながら、自然に意識が薄れ、倒れてそのままこの世界に戻って来られなくなったとしても、全然悔いはない。本当にない。
 それを望んでいる自分がいる。

 真っ白な雲。強い日差し。海から吹き荒れる強めの風。遠くまで広がる蒼い海。それと胸焦がす素敵な音楽・・・。
 あと、いったい何がいるというのだろう?

 走っているその耳元で、「美しい一夜」の曲が流れ始める。
 時計はちょうど12時を回っている。
 2015年8月13日木曜日12時の、海と、空と、太陽と、浜風と、滴り落ちる汗と、浜田省吾の「美しい一夜」。

 「時は時に触れるものすべて色あせ変えてゆく」と浜田省吾が歌ってる。









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「日経新聞の『迫真 争奪スカイマーク』が面白い」

2015年08月12日 | Weblog
 最近、日本経済新聞が面白い。
 今日の8月12日も読み応えのある記事で埋まっていた。

 特に「迫真」は毎回旬のテーマで読ませる。
 今回は「スカイマーク」。
 民事再生法の適用を申請して経営破綻した、日本の航空会社のことである。
 資金繰りが行き詰まり、紆余曲折を経て、臨時の取締役会で自力再建の断念を決め、負債総額は約711億円。
 その、「スカイマーク」の民事再生からスポンサーの決定に至るまでの凄まじい動きが克明に描写されていて、まさに迫真のルポルタージュになっている。

 それにしても、最近の中国経済、景気減速が止まらない。
 これも日経の記事だけれど、7月の新車販売が7.1パーセントも落ち込み、リーマンショック以来の下げ幅なのだとか。
 このままでゆくと、「爆買」で潤っている日本経済にまで波及するのではないか。インバウンド消費も落ち込む可能性が高い。

 そんな明日の13日は「お盆」。
 職場でも夏休みを取る人が増え、オフィスもいつもよりはひっそりしている。

 今日も腹の立つことがたくさんあった。
 ずっと怒っている(もちろん、顔には出さないように努めていたけれど)自分がそこにいる。

 怒りの感情で交感神経が活性化し過ぎると、顆粒球という免疫細胞が増えすぎて、がん細胞の発生や組織の変性、破壊に繋がるという。感情のバランスが崩れることで免疫力自体が低下して、病気のリスクも高まってゆく。
 さらには細胞を酸化させ、細胞の酸化が老ける要因ともなってゆく。

 まあ、ダークサイドに吸い込まれると、ほんと、ろくな事がない。
 困ったもんだ・・・。

 ああ、それにしても腹が立つ!








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「東京。36℃の街に5時間だけ滞在して、また、祭りが終わってしまった北の街へと戻る」

2015年08月11日 | Weblog
 朝の5時過ぎに起床。

 昨日も6時に起きて、街中をゆっくり散歩した。
 青い森公園の木製ベンチにぼんやり座っていたら、小鳥たちが近寄って来て心が和んだ。
 コンビニで買った珈琲を飲みながら、朝の爽やかな空気をいっぱい吸った。

 やっぱり朝起きはいい。
 早く、ちゃんと朝型の生活に切り替えないと・・・。

 でも今日の5時起きは、6時の新幹線で東京出張があるからだ。
 日経と東奥日報を持って新幹線へと乗り込む。
 八戸駅に着くまでは新聞を丁寧に読み込んでいたのだけど、そこから突然睡魔に襲われて、大宮到着のアナウンスまで完全爆睡。

 朝の9時台の東京に降り立ったら、スーツを着ていても何とか大丈夫。
 なんだ、この程度ならと油断していたのが甘かった。そこから気温はどんどん上昇する。

 新宿で重要な案件を済ませ、そこから別件での打ち合わせ。
 お昼を食べ、そこからまた急いで東京駅まで。
 凄い暑さだ。
 茹だるとはこういうときに使う科白だろう。

 それにしても、東京での滞在時間はたったの5時間弱。
 必ず出席しなければならない、重要な会議だったのでそれも当然仕方が無い。

 帰りの新幹線は満員。空席が一つもないのだとか。
 お盆の帰省客で東京駅も大混雑している。

 帰りの新幹線もすぐに爆睡。
 
 かなり疲れてるなあ・・・。






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「海に往く。たった独り、真っ青な海と空が広がる海に往く。遠く、遠く離れた海に往く」

2015年08月10日 | Weblog
 夏休みを貰う。
 貴重な夏休みを一日貰う。

 独りで海に行こうと思った。
 この街のいつも見ている海じゃない海。ランニングしている時にいつも伴走するように横に佇んでいる海じゃない海。
 誰かに顔を見られて、声を掛けられたり肩を叩かれたりするような、そんな近場の海じゃない海へ行こう。

 「河北新報」に連載しているコラムの原稿も書き上げたし、本当は今年出版する予定だった音楽評論集と映画評論集も、もう一度書き直し始めようとその準備も始めたし。新しい小説も書き始めるつもりだし。

 聴きたい音楽CDだけはちゃんと車に入れて、朝の8時には家を出る。
 今日は鈴木雅之の「オールタイム・ベスト」4枚組。
 途中でガソリンを満タンにして、薄曇の街を抜けてひたすら南下する。

 今日だけは何も考えまい。今日だけは仕事の煩わしさからとにかく抜け出そう。そう思うのだけれど、思考回路はそう簡単には変わらない。
 あのことや、そんなことを考えては、腹が立ったり怒りを覚えたり落ち込んだりする自分がいる・・・。

 街へと着いた。
 お昼になる。
 鰻を食べる。
 クーラーの効いた店で食べる鰻はとても美味しい。

 隣の席で、流暢な標準語を話す男性二人が、向かい側に座った地元の中年女性と何やら話し合っている。
 建築関係の人間だろうか、都市の薀蓄やまちづくりについて語っている。

 外に出ると、気温は36度。
 暑い。とてつもなく暑い。

 仕事の電話が入る。
 何処に行っても仕事はついて来る。

 街の中心部を抜けて、海に出た。
 海水浴場が見える。子どもたちが何十人も浅瀬で遊んでいる。大人たちも一緒になって水際で戯れている。

 それを横目に、もっと海岸の奥深くを目指して車を飛ばした。
 太平洋岸を望む大海原に、遠くタンカーらしき船が滑っている。
 何処までも続いている海岸線に白い波が打ち寄せ、空は彼方まで広がっている。

 道路わきに車を停め、砂浜まで歩いた。
 遊泳禁止場所らしく、泳いでいる人間は誰もいない。
 ただ、30代らしきサーファーが一人、パドリングしながら沖へと向かっている。

 波打ち際まで進む。
 2メートルぐらいの高い白波が寄せては打ち返す。
 海岸線がずーっと遠くまで続いていて、その先は海水浴場のようで、豆粒みたいに小さな人の動きが見える。

 ゴーッという海鳴りが聞こえる。
 真夏の海風が気持ちいい。
 潮騒の香りがする。

 カモメが頭上を旋回している。
 海は果てしなく蒼く、空は天上まで届きそうに高い。

 独り、黙って荒波と対峙する。

 夏の美しさがここにある。








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山下達郎の原点「SONGS -40th Anniversary Ultimate Edition- Double CD」を聴く。

2015年08月09日 | Weblog
 土曜日は、午後の炎天下を10キロ走り、日曜日はジムでバイクを10キロ漕いだあと、45分間の「ボディコンバット」。

 それでも、心の煩悩は抜けないし、傷ついた心の修復も叶った訳じゃない。
 だからといって、またあの凄まじい地獄のような深い闇に引き摺り込まれるのだけは、もう絶対に御免被りたい。

 金曜日7日の夜は「ねぶた」の海上運航があって、花火大会も開催された。
 それが終わって、親友の家を訪ねる。
 友は、ワインを用意して待ってくれた。

 久しぶりに、かなりの量を飲む。
 そして、かなり酔っ払った。
 でもその無二の親友は、酔った勢いかもしれないけれど、こう言ってくれた。「周りが全部お前の敵になったとしても、俺だけはお前の味方だから」。
 嬉しかった。

 ところがその酔いが次の日の土曜日まで引いてしまって、炎天下走っていたときも相当辛かった。でも、走りたかった・・・。

 金曜日、土曜日、そして日曜日は、1枚(実際は2枚組みですが)のアルバムだけをひたすら聴き続けている。

 山下達郎のルーツともいえる伝説のバンド「シュガーベイブ」の、「SONGS -40th Anniversary Ultimate Edition- Double CD」である。

 伝説のバンド「シュガーベイブ」は、たった1枚のアルバムを世に出しただけで解散してしまった。
 1976年のことである。
 そして、シュガーベイブの「SONGS」が発売されたのは、前年の1975年の4月。

 つまり僕は今から40年前、当時「エレック・レコード」からリリースされたLPレコード「SONGS」を買ったのだった。
 今となっては、かなり記憶自体が曖昧になっているけれど、僕は東武東上線「大山」駅近くのアパート2階の部屋で、このシュガーベイブの「SONGS」を何度も何度も繰り返して聴いていたのだ。
 1975年の春に・・・。

 アルバムで初めて知った、山下達郎と大貫妙子。
 あれから、もう40年が過ぎたのだ。
 40年!

 あのころを思い出すと、すべての記憶がきらきらと輝き出す。
 不思議と、楽しい思い出しか蘇らない。
 ほんとは、そんなの嘘っぱちなのに。ほんとは色んなことに悩んでいたはずなのに。青春が美しいなんて誰が言ったんだ、と心の中で叫んでいたはずなのに・・・。

 記憶は嘘をつく。
 平気で嘘をつく。何もかもを綺麗に、そして美しく塗り替える。

 でも戻りたい。あのころにもう一度戻りたい。嘘でも構わない。虚構だっていい。
 もう一度あのころに戻って、最初からすべてをやり直したい。新規まき直したい。今の人生を全部上書きしたい。

 だから、今のこんなズタズタの心で聴き直す「SONGS -40th Anniversary Ultimate Edition- Double CD」は、聴きながら何度も心が「ぎゅん」と締め付けられて苦しくなった。
 切なくなって、何度も途中でCDを止めてしまった。

 「SONGS -40th Anniversary Ultimate Edition- Double CD」は、山下達郎の音楽活動40周年を記念してリリースされたものだ。
 2015年リマスター音源と、ボーナストラックによるDISC1、2015年リミックス音源とボーナストラックによるDISC2からなっている。
 そしてこのアルバムは、大瀧詠一の「ナイアガラ・レーベル」第1弾レコードでもあった。

 聴きどころは、やっぱりDISC1だろう。
 アルバムの最後に、「パレード」、「こぬか雨」、「雨は手のひらにいっぱい」、「WINDY LADY」(山下達郎のファースト・ソロアルバムにも収録された名曲である)、そして「DOWN TOWN」と「愛は幻」と「今日はなんだか」が、全部当時の貴重なライブ音源で収録されている。
 ちょっと音質は悪いけれど、この7曲はレア・アイテムです。

 金曜日、土曜日、日曜日、またあのころの東京を鮮明に思い出した。
 同じ東京の空の下、僕と山下達郎は何処かで一度でもすれ違ったことがあったのだろうか。

 一人は、学校にも行かずただアルバイトに精を出し、何ヶ月に一回は青森へと逃げ込み、毎日が日曜日で、無目的に放蕩の限りを尽くしている人間。
 そしてもう一人は、大好きな音楽をやり続け、その夢を実現しようとバンドを組んでアルバム制作に情熱を傾けている人間。

 お前の夢はどうした?
 叶えないままでこの生を終えるのかよ?
 後悔しないのか? 

 だから切なくなるのだ、だから苦しくなるのだ、だから聴いていられなくなるのだ。
 「SONGS -40th Anniversary Ultimate Edition- Double CD」を真っ当に、真正面から聴くことが出来なくなるのだ。









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トム・クルーズ主演映画「ミッション:インポッシブル」第5弾、「ローグ・ネイション」を観る。

2015年08月08日 | Weblog
 映画館は凄い行列で大混雑。
 チケット売り場付近も、絶え間なく人が行き交っている。

 そりゃそうだろう。「進撃の巨人」に「ジュラシック・ワールド」に「ミッション:インポッシブル ローグ・ネイション」に・・・。
 夏休みということで大作映画が目白押しなのだ。
 こちらは、まず「進撃の巨人」を観たので、次はトム・クルーズ主演の「ミッション:インポッシブル」第5弾、「ローグ・ネイション」に狙いを定める。

 今話題の、あの、離陸する大型軍用機のドアの外部にトム・クルーズ自身がスタントマンなしで張り付き、時速400キロで高度1500メートルまで上昇するというシーンである。
 何度も何度も予告編で流しているので、ちょっと見飽きて食傷気味ではありますが・・・。

 土曜日の午前中なのに、すでに座席はほとんど埋まっている。
 いつもの最後列端っこに座って、ワクワクしながら上映開始を待つ。この時間がいいんだよねー。

 数本の予告編が終わって(全部観たくなる)、いよいよ「ミッション:インポッシブル ローグ・ネイション」がスタート。
 まず冒頭から衝撃的!
 な、なんと、いきなり、あの、大型軍用機のドアの外部にトム・クルーズ自身がへばりつき、時速400キロで高度1500メートルまで上昇するシーンから始まるのだ。

 で、そこからいつもの定番テーマ音楽が流れるという流れ。
 ここはさすがに鳥肌が立ってしまった。
 凄いっ。

 「ミッション:インポッシブル」第5弾の監督(同時に脚本も担当している)は、傑作「ユージュアル・サスペクツ」でアカデミー賞脚本賞を獲得した、クリストファー・マッカリー。
 クリストファー・マッカリー、さすがに巧いです。

 ローグ・ネイション、いわゆる「ならず者国家」ともいえる「シンジケート」という謎の結社の野望を暴くべく、「IMF」所属のスパイ我らがイーサン・ハントの活躍を描いてゆくのだが、ストーリーは二転三転して、最後までどこに向かうのかまったく目が離せない。
 
 とにかく、イギリス情報部の女性諜報員で「シンジケート」に侵入捜査している、スウェーデン出身の女優レベッカ・ファーガソンが素晴らしい。
 切れのあるアクションをみせ、トム・クルーズとの二人三脚アクションが光っている。

 ただ、アクション自体の凄さやテンションの上がり具合は、前作「ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル」や前々作のほうが良かった気がしないでもない。
 脇役である、ジェレミー・レナー、サイモン・ペッグ、アレック・ボールドウィンも確かに頑張ってはいますが・・・。

 とは言っても、スパイアクション映画の出来映えは一級品で、へたなアクション映画の数倍は上を行く。
 公道でのバイクによる猛スピード大追跡シーンや、オペラ劇場での要人暗殺阻止に向けた手に汗握る攻防戦など、アクション・シーンはてんこ盛りだ。

 でもやっぱり、前作や前々作のほうが良かったな・・・。








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「てめえ、五寸釘ぶち込むぞっ!」、ドラマ「エイジハラスメント」の武井咲の台詞が小気味いい。

2015年08月07日 | Weblog
 誰にでも必ずいると思う。
 大っ嫌いな人間の一人や二人は。

 虫唾が走る、厭で厭でたまらない奴。鼻持ちならない、あいつやあいつやあいつのことである。
 もちろん、俺にもいる。
 もしもここで会ったなら、首を絞めたくなるのをジッと耐え、表面上は笑顔を返してしまう、そんな大っ嫌いな人間のことである。

 最近もいた。
 絶対に忘れられるものじゃない。
 本音は「てめえ、五寸釘ぶち込むぞっ!」と怒りで震えるほどなのに、そんなこと死んでも言えないので、じっと我慢して耐えている。

 大人の対応をするしかない。
 そういう状況下で生きてくる言葉が、たとえば「優雅に生きることが一番の復讐」とかなんだろうな、たぶん。
 
 7月から始まった新ドラマの中で個人的に一番面白いと思っているのが、テレビ朝日系木曜夜9時からの「エイジハラスメント」だ。

 作家の内館牧子の小説が原作で、主演は武井咲。
 テレビドラマのほうも、内館牧子自身が担当している。

 主人公の武井咲は総合商社の新入社員だ。
 ところが実家が事業に失敗したため、彼女は単身古アパートに住んで切り詰めた生活をしている。それでもめげずに、いずれは会社の役員にまで上り詰めようと志も高い。

 しかし現実は、かねてから希望していた営業部ではなく、何でも屋の総務部へと配属されてしまう。
 そこで彼女は、会社内で蔓延る様々な嫌がらせやハラスメントに愕然とする。会社が彼女に求めるのは、若さと美しさだけで、真っ当な仕事さえ与えてもらえない。
 やがて彼女は、他の女性社員からも陰湿ないじめや嫌がらせを受けるようになるのだが・・・。

 物語は1話完結スタイルで進んでゆく。
 ドラマの最後で、社員たちの理不尽な振る舞いにキレた彼女が発する怒りの言葉が、前段でも述べた、「てめえ、五寸釘ぶち込むぞっ!」なのだ。
 最初、ちょっと武井咲に言わせるにはキツイ台詞だなあと思ったのだけれど、最近では喝采さえしている自分がいたりする。

 まあ、人間なんて嫉妬と自己中の塊なんだから、その集合体である「組織」というものもまた、それに輪をかけたような陰湿で陰険な世界なんだろうけれど・・・。

 ドラマ「エイジハラスメント」、視聴率はかなり悪いみたいですが、俺は好きだなあ、この水戸黄門的なドラマ。

 内館牧子の脚本も面白いし、観ていて痛快で、スカッとする。










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「ドリカムと、浜田省吾と、山下達郎と、ねぶた合同運行と、30度超えの青森と」

2015年08月06日 | Weblog
 もう来年のことを言っちゃうと鬼が大笑いするかもしれないけれど、2016年2月20日土曜日「新青森県総合運動公園 マエダ・アリーナ」での「ドリームズ・カム・トゥルー」、それから今度はかなり後戻りしちゃうけれど、2015年9月23日水曜日(祝日)「リンクステーション青森」での浜田省吾コンサートのチケットが当たった。

 それにしても、チケット購入に関して公平さが求められていて、かなりの厳しさである。
 入場するには本人確認のための身分証明書が必要だし、チケット申し込み時でも結構厳重な遣り取りが行われていて、二重の申し込みを防ぐための厄介な方法が取られていた。

 大好きなアーティストのコンサート・チケットが当選したので、こっそり万歳三唱(心の中で)していたら、ソウルメイトから今日突然のラインによる新たな情報提供が寄せられる。
 な、なんと今度は、山下達郎がまたまた日本を縦断する大規模なコンサート・ツアーを繰り広げるのだとか。
 デビュー40周年の、全国35都市64公演、一大ロングツアーなのである!

 当然、家に帰ってからすぐさまパソコンを開いて、チケット販売サイトにアクセスして山下達郎のコンサート・チケットを予約する。
 2015年12月26日土曜日「リンクステーション青森」でのライブである。

 どうか、当たってくれー!

 当選するかどうかかなり不安だったので、というか、もう老い先短い身なので、あるいは、今度いつ行けるかどうかなんて一寸先は闇状態なので、2015年11月22日日曜日(翌日が祭日)東京「中野サンプラザ」もダメもとで申し込んでみることに。
 どうせ、当選するわけないだろうけど・・・。

 やはり、大大好きなアーティストの地元公演に行けず、独り家で悶々としている時間ほど辛い時間帯はない。
 行けないからといって、その大大好きなアーティストの音楽を、ひたすら聴き続けるという行為もまたかなり辛いし淋しいものがある。

 そんな今日は8月6日木曜日、「ねぶたの合同運行」の日である。
 夜の運行は今夜が最後、明日は日中の運行と、夜は花火大会と「海上運行」。それで今年の祭りは幕を閉じる。
 「ねぶた大賞」も決定し、今回のねぶたで個人的にいいなあと思っていた、ねぶた師北村麻子氏による「平将門と執金剛神」も、優秀製作者賞を獲った。

 そんな祭りが終わると、この街にも秋の風が吹いて来て(最近はまだまだ残暑が厳しいけれど)、ひっそりと静かになる。
 青森、昨日は36.5度、今日も32度の真夏日である。
 暑いっ。

 今日も仕事で、また相変わらず厭な雑音を聞いてしまった。
 気にしないでいようと思うんだけど・・・まだまだ弱い人間なのだ、この俺は。それなりに傷ついた。

 まっ、いっか。
 気を取り直す。
 俺には、浜省と、達郎と、ドリカムという、強い味方がいるもんね。

 苦しいけれど、それでもなんとかメゲずに頑張ろう。なんてね・・・。
 無理かもね・・・。









 


 

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やはり傑作! 佐藤博「Awakening(アウェクニング)」高品質CD2枚組スペシャル・エディションを聴く。

2015年08月05日 | Weblog
 佐藤博は、日本が誇るキーボード・プレイヤー、ピアニスト、作曲家、音楽プロデューサーであり、細野晴臣から、当時「YMO」への参加を呼び掛けられたほどの実力者でもあった。
 その佐藤博が1982年に出したソロアルバムが「Awakening(アウェクニング)」だ。

 アルバム「Awakening(アウェクニング)」は、いたるところで傑作と呼ばれ続けてきた。あるいはまた、日本の音楽史に残るほどの名盤とも謳われてきた。
 ところが恥ずかしながら、僕はその名盤をこれまで一度も聴いたことがなかった。

 もちろん、いつも「Awakening(アウェクニング)」の素晴らしいアルバム評価については色んな音楽雑誌で読んでいたし、買おう買おうとも思っていた。
 でも、ほかにも気に留めているアーティストたちの新作やリイシュー盤は次々と出てくるわけで、アルバム「Awakening(アウェクニング)」までは中々手がまわらない。

 ところが今回、やっと「Awakening(アウェクニング)」を聴く事が出来た。
 昨年の暮れに、高品質CD2枚組のスペシャル・エディションとしてリイシューされたからである。

 佐藤博への、他のミュージシャンからの凄まじいまでの高評価は止まることを知らない。
 大滝詠一も、山下達郎も、角松敏生も、彼のピアノについてはいずれも大絶賛している。

 その偉大な音楽家だった佐藤博、惜しむらくも、2012年、突然死去してしまった。享年65歳だった・・・。

 今回、初めて聴いた、その佐藤博「Awakening(アウェクニング)」高品質CD2枚組スペシャル・エディション。
 聴いてみたら、噂にたがわぬ、本当に素晴らしいアルバムだった。

 全曲、英語で歌われている。
 そしてそのうちの何曲かはインストも含まれている。
 分かりやすく簡潔に言い切っちゃえば、AOR、大人が聴くヴォーカル・アルバム、都会的で洗練された、オーガニックな音楽ということになる。
 でも当然にして、奥は深い。

 最近、生活を朝型に切り替えようと頑張っている(夜型の生活を本気で脱するのって、ほんと骨が折れるのですが・・・)。
 この佐藤博「Awakening(アウェクニング)」というアルバム、夏の爽やかな朝の時間帯に流すと、最高に活きる。映える。

 夏の夜のひっそりと静まり返った時間帯、低いヴォリュームで部屋の中を満たすのもそれはそれでいいんだけれど、窓を開け放ち、夏の朝の澄んだ空気を部屋の中に入れて、珈琲を飲みながら聴く佐藤博の「Awakening(アウェクニング)」は格別である。

 憂き世の煩わしさが、この美しいアルバムが流れ出したその瞬間、真夏の青空の彼方へと、すーっと消え去ってゆくよう。

 アルバム「Awakening(アウェクニング)」は、清涼剤である。

 透明で、美しく、静謐で、しかも哀しみさえ宿っている。










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「もうすぐ立秋。初めて秋の気配が現れてくる、夏と秋とがゆっくりと混じり始める、そんな曖昧な時期」

2015年08月04日 | Weblog
 「火花」はまだ読んでいない。
 このたび第153回芥川賞を受賞した、お笑いコンビ「ピース」又吉直樹が書いた純文学小説「火花」のことである。
 累計発行部数は200万部を突破し、印税も2億円を超えたと言われている。

 先日テレビで、ちょっと面白い番組がやっていた。たまたま観たのである。
 それは、お笑いコンビ「ピース」の又吉直樹がまだ単なる芸人時代だった頃、街行く人たちに彼についての印象をインタビューしたものと、その後芥川賞を受賞してから、作家となった彼についての印象をインタビューしたものとを、同時に流すという趣向の番組だった。

 長髪にして痩せ細った芸人時代(もちろん、今も芸人ではあるけれど)の印象は、「気持ち悪い」、「厭だ」、「キモイ」と、笑いながら街角インタビューに応じていた若い女性たちが、芥川賞を獲ったその直後のインタビューでは、それが一転、「長髪で痩せた感じがカッコいい」とか「作家って魅力的だ」とか「ストイックで物静かな感じがいい」とか、まったくこれまでと逆のことを言うのである。

 これが世間の姿である。
 これが人間の本性である。
 世間というものの実態である。

 勝てば官軍、負ければ賊軍。
 勝者だけが生き残る。勝ったものだけが正義となる。

 昨日まで、外見や容姿や学歴や家柄などで、表層的にその人間を一段低く見て評価していたとしても、今日、何かの要因でそれらがガラリと一変すると、世間もまた手のひらを返したように一気に豹変する。
 今度は、徹底的に持ち上げる。優しい笑顔でヨイショする。

 そんな、今日は8月4日の火曜日だ。
 ねぶた祭り、3日目である。
 今日も暑かったけれど、明日は青森、36度まで気温が上昇するらしい。まさに猛暑である。

 でも、先ほどそのねぶた祭りが終わって、喧騒の中、帰路に着くとき、一瞬、ひんやりとした夜風が身体を通り過ぎていくのを感じた。

 秋の気配がした。ほんの少しだけど。

 着実に、秋はこの街にも、ゆっくりと忍び込んでいる。
 あと数日したら、ねぶた祭りも終わって立秋がやって来る。

 それは、初めて秋の気配が現れてくる、そして夏と秋とがゆっくりと混じり始める、そんな曖昧な時期でもある・・・。










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「ジンタナ&エメラルズ」の「デスティニー」。モータウンや60年代ポップスが好きな人には絶対お薦め!

2015年08月03日 | Weblog
 もう曜日とか場所の感覚がない。
 朝、函館の朝市と靄(もや)に煙る函館山を駅前ホテルの10階からぼんやり眺めていたというのに、もうここは「ねぶた祭り」に揺れる炎天下の青森の街だ。

 青森市内にはお昼に着いて、昼食を摂ってそのまま仕事に出る。
 午後からも日程がびっしりと詰まっていて、さすがに今夜は「ねぶた祭り」の参加はパス。

 それに今日もまた、回りまわって、自分自身に関する、ここ数ヶ月の誤解と偏見に満ちた噂話を聞いてしまう。
 いくらそんな事は気にしないでおこうと心に決めていても、いざ聞くと、それはそれでメゲるし激しく落ち込む。
 まあ、すべては自分自身の責任なんですけど・・・。

 何度もおんなじことを書いて恐縮だけれど、村上春樹は、「心の中で批判や中傷をどうやり過ごすか」という読者からのメールに対して、『規則正しく生活し、規則正しく仕事をすると、たいていの揉め事はやり過ごすことができる』と言い切る。

 『好かれても嫌われても、敬われても馬鹿にされても、規則正しさがすべてを平準化してくれる』と。『朝は早起きして仕事をし、適度な運動をし、良い音楽を聴き、たくさん野菜を食べる』のだとも。
 えっぱり、『優雅に生きることが、一番の復讐』なんだろうか・・・。

 そんな、メゲて、疲れて、落ち込んだ日は、どんな良い音楽を聴いたらいいんだろう?
 
 ということで、「ジンタナ&エメラルズ」の「デスティニー」を聴く。
 「ジンタナ&エメラルズ」は、「PAN PACIFIC PLAYA」所属のギタリストJINTANA、このブログでも紹介した「DORIAN」のアルバムにも招かれているkashif、それからお馴染みの一十三十一(ひとみとい)、DJ・CRYSTAL、「少女時代」なども手掛けるダンス・ミュージックのプロデューサーであるカミカオル、そして女優だというMAMI(すいません、知りませんでした)の6人編成グループだ。

 ジャンルでいうと、都会的なテイストを醸し出すスイートでソウルでポップでメロウな音楽ということになるのだろうか。
 ドゥーワップも入るかも。
 あっ、それからビーチボーイズっぽい部分もいっぱいあります。

 「ジンタナ&エメラルズ」の「デスティニー」、3人の女性によるコーラスがとても美しい。
 加えて、アルバムはどこを切り取っても夏満載という感じで、ここにあるのは、どこまでも前向きで、人生を謳歌するようなポジティブなスタンスなのだ。

 それにしても、この人たちに、悩み事とかあるんだろうか?
 お金に困ったり、人間関係に苦悩したり、他人に裏切られたり、死にたいなんて思ったこと、あるんだろうか?

 あるんだろうなあ。
 そりゃあ。誰だって・・・。

 「ジンタナ&エメラルズ」の「デスティニー」の、CDアルバムに付いている帯の裏に書いてある宣伝文句が、この「ジンタナ&エメラルズ」の「デスティニー」のすべてを表しているようにも思える。

 いわく、『フィル・スペクターが現代のダンスフロアに降り立ったようなネオ・アシッド・ドゥーワップ・ウォールオブサウンドで、いつしか気分は50年代の西海岸へ。そこはエメラルド色の海。エメラルド色に輝く街。エメラルドシティに暮らす若者たちの織りなす、ドリーミーでブリージンなひとときをお届けします!』。

 しっかし・・・。
 ここまでハッピーで、明るくて、ひたすらポジティブな日本人の音楽を聴いちゃうと、逆に、その対極で、怯えながら震えている今の自分がはっきりと見えてきて、結構辛くなってしまう。

 それにしても、あっ晴れである。
 徹底的に前向きなのである。「ジンタナ&エメラルズ」の創り出す音楽のすべてが!

 歌詞は英語で歌われているんだけれど、『私は、最高の時間を何度も楽しんでる』だとか、『青い空の下、私たちはエメラルドの恋人たちになる』だとか、『こんなに満たされた心を表す言葉は、学校では教えてくれなかった』とか・・・とにかく幸せな人たちの心の弾けかたが半端じゃない。
 人間に生まれたからには、ここまで到達してみたいものである。

 「ジンタナ&エメラルズ」の「デスティニー」、この多幸感、ちょっと捨て難い。










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