昔から、人と別れるということが、とにかく辛くて辛くてしょうがなかった。
異常なほど、それまで親しくしていた人とか、身内の人間とか、友達とか、あるいは恋人とかと何がしかの理由で離れ離れになると分かると、もうそれだけで切なくて切なくて、精神的にどうしようもなくなるのである。
小学校だったか幼稚園のとき、家庭の事情で東京に転校する近所の友達がいて、青森駅の長いプラットホームで見送ったのだけれど、その友人が遠くに行っちゃう事が悲しくて悲しくて、突然大声で泣き叫んだことがあった。
そのシーンは、今でも鮮明に覚えている。
いい歳をした男が、ひと恋しいというか、極度な淋しがりやというか、乳離れしないというか、依存症的というか、もうどうしようもない。
祖母と祖父に溺愛されて育ったことが起因しているんだろうか。
それとも単なる甘えん坊なんだろうか。
これは別にいい意味じゃなくて、本当に呆れ返っていうんだけれど、これって、余りにも心がおかしく研ぎ澄まされていて、余りにも脆くて、余りにも壊れやすく出来ているせいだからじゃないんだろうか。
こういうヤワ過ぎる性格って、心底、疲れる。
毎日毎晩、へとへとになる。
心が絶えず疲弊しているから、かなり生きること自体に難儀する。
心がいつもヒリヒリしていて、とても苦痛だ。
今日の日曜日も、午後あたりから心が乱れ出してきた。
空はまだ夏の青空が残っていて、太陽も眩し過ぎるほどに眩しい、そんな残暑の日曜日。
そうなると、そういう前向きな夏の風景と、それとは全然裏腹な暗い気分との、乖離が辛くなる。
明日からまた仕事が始まるのかぁ・・・なんて、ふとそんなことが脳裏を掠めた。
ここ数年は、仕事でもプライヴェートでも、大抵のことなら(もちろん、深く傷ついたり悩んだりしたことだって沢山あったけど)平気の平左だったのに、最近はちょっとしたことでも鋭利な刃物で切り付けられるみたいな感覚に襲われる。
午前中もほんとは少しばかり落ち込んでいたのだけれど、朝、ラインで「今日も一日、はりきっていきましょう!」というラインが届いて、そこから気持ちが随分と落ち着いたというのに・・・。
まるでポツポツと曇天の空から大粒の雨が落ちてくるみたいに、心の襞にも冷たい雫が落ちてくる。
ああ、今日の日曜日の夜、この繊細で弱々しい心は平静を保つことが出来るんだろうか。
また、あのスポーツジムで突然襲って来たような、どろどろしたどす黒い負の塊が、胸の辺りから這い上がってきたらどうしよう。
不安が募る。
夜が途轍もなく厭だ。
それにしても、なんと弱い精神力!
些細なことで傷つき、異常なほどメゲてしまう自分がいる。
これって、どうにかならないんだろうか。
夕方になる。
宵闇が迫って来る。
今日はランニングさえ出来る状態ではなかった。
圧倒的な寂寥感、圧倒的な空虚感、それらがまた侵食してくる。
脱出したい。一生人生に悩んでもいいし、一生満足しない自分がいても全然構わない。
この圧倒的な苦しさから開放される、ただそれだけでいい。あともうほかには何もいらない。
東京に帰るという身内を青森駅まで見送るために、一緒に夕暮れの街を歩いて向かう。
中心市街地の新町通りは、いつもよりも通行人が多い。旅行バッグを担いでいる人たちが目立っている。
すっかり夕風が涼しくなってきた。
西の空が橙色に滲んでいる。
とても美しいけれど、とても物悲しい風景だ。
少し新幹線接続電車が来るまで時間があったので、青森駅前の「スターバックス」に入って珈琲を頼む。
珈琲を飲み干し、時間が来たので、こちらも入場券を買って青森駅のプラットホームまで行って見送ることにした。
昔、東京に転校する近所の友達を青森駅の長いプラットホームで見送った際に、遠くに行っちゃう事が悲しくて突然大声で泣き叫んだことを、ふと思い出した。
何を見ても、何をやっても、すべてを悲しみや苦悩や虚しさに結び付けてしまう、そんな強引な自分が常にいる。
俺は、ここからいつになったら立ち直れるんだろう・・・。
もう限界に近い。
異常なほど、それまで親しくしていた人とか、身内の人間とか、友達とか、あるいは恋人とかと何がしかの理由で離れ離れになると分かると、もうそれだけで切なくて切なくて、精神的にどうしようもなくなるのである。
小学校だったか幼稚園のとき、家庭の事情で東京に転校する近所の友達がいて、青森駅の長いプラットホームで見送ったのだけれど、その友人が遠くに行っちゃう事が悲しくて悲しくて、突然大声で泣き叫んだことがあった。
そのシーンは、今でも鮮明に覚えている。
いい歳をした男が、ひと恋しいというか、極度な淋しがりやというか、乳離れしないというか、依存症的というか、もうどうしようもない。
祖母と祖父に溺愛されて育ったことが起因しているんだろうか。
それとも単なる甘えん坊なんだろうか。
これは別にいい意味じゃなくて、本当に呆れ返っていうんだけれど、これって、余りにも心がおかしく研ぎ澄まされていて、余りにも脆くて、余りにも壊れやすく出来ているせいだからじゃないんだろうか。
こういうヤワ過ぎる性格って、心底、疲れる。
毎日毎晩、へとへとになる。
心が絶えず疲弊しているから、かなり生きること自体に難儀する。
心がいつもヒリヒリしていて、とても苦痛だ。
今日の日曜日も、午後あたりから心が乱れ出してきた。
空はまだ夏の青空が残っていて、太陽も眩し過ぎるほどに眩しい、そんな残暑の日曜日。
そうなると、そういう前向きな夏の風景と、それとは全然裏腹な暗い気分との、乖離が辛くなる。
明日からまた仕事が始まるのかぁ・・・なんて、ふとそんなことが脳裏を掠めた。
ここ数年は、仕事でもプライヴェートでも、大抵のことなら(もちろん、深く傷ついたり悩んだりしたことだって沢山あったけど)平気の平左だったのに、最近はちょっとしたことでも鋭利な刃物で切り付けられるみたいな感覚に襲われる。
午前中もほんとは少しばかり落ち込んでいたのだけれど、朝、ラインで「今日も一日、はりきっていきましょう!」というラインが届いて、そこから気持ちが随分と落ち着いたというのに・・・。
まるでポツポツと曇天の空から大粒の雨が落ちてくるみたいに、心の襞にも冷たい雫が落ちてくる。
ああ、今日の日曜日の夜、この繊細で弱々しい心は平静を保つことが出来るんだろうか。
また、あのスポーツジムで突然襲って来たような、どろどろしたどす黒い負の塊が、胸の辺りから這い上がってきたらどうしよう。
不安が募る。
夜が途轍もなく厭だ。
それにしても、なんと弱い精神力!
些細なことで傷つき、異常なほどメゲてしまう自分がいる。
これって、どうにかならないんだろうか。
夕方になる。
宵闇が迫って来る。
今日はランニングさえ出来る状態ではなかった。
圧倒的な寂寥感、圧倒的な空虚感、それらがまた侵食してくる。
脱出したい。一生人生に悩んでもいいし、一生満足しない自分がいても全然構わない。
この圧倒的な苦しさから開放される、ただそれだけでいい。あともうほかには何もいらない。
東京に帰るという身内を青森駅まで見送るために、一緒に夕暮れの街を歩いて向かう。
中心市街地の新町通りは、いつもよりも通行人が多い。旅行バッグを担いでいる人たちが目立っている。
すっかり夕風が涼しくなってきた。
西の空が橙色に滲んでいる。
とても美しいけれど、とても物悲しい風景だ。
少し新幹線接続電車が来るまで時間があったので、青森駅前の「スターバックス」に入って珈琲を頼む。
珈琲を飲み干し、時間が来たので、こちらも入場券を買って青森駅のプラットホームまで行って見送ることにした。
昔、東京に転校する近所の友達を青森駅の長いプラットホームで見送った際に、遠くに行っちゃう事が悲しくて突然大声で泣き叫んだことを、ふと思い出した。
何を見ても、何をやっても、すべてを悲しみや苦悩や虚しさに結び付けてしまう、そんな強引な自分が常にいる。
俺は、ここからいつになったら立ち直れるんだろう・・・。
もう限界に近い。