考えるための道具箱

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わたしの本棚 (2)フォークナー

2005-02-28 13:22:41 | ◎読
20代の半ばごろ、フォークナーを始めて知ったときには、もうすでにフォークナーの翻訳の著作を入手するのは困難になっていた。それでもあれこれ動きまわって、入手したいくつかの著作がわが家の本棚にはある。

いまとなっては、なぜフォークナーを読もうと思ったのかよく覚えていないし、最初に読んだ作品はなんだったか、というのも忘却の彼方だ。おそらく、読み始めたのは、現在でも入手しやすい新潮文庫---『八月の光』、『サンクチュアリ』、『フォークナー短編集』---のいずれかだろう。『八月の光』だったろうか?いやそれとも、村上春樹の『納屋を焼く』のタイトルが、じつはフォークナーの短編「Barn Burning」から採られたものであることを知り(内容につながりはない)、この短編がたまたま「新潮」の臨時増刊である『20世紀の世界文学』(※1)で紹介されていたからか?

まあ、「どれか」なんてのはどうでもいい話だ。大切なのは、そこでわたしが惹きつけられた理由はなんだったか?ということだ。いまとなっては、これも正確に思い出せないが、ひとつはアメリカ南部の風景だったのかもしれない。砂埃くさく、ともすれば、いつもセピアのフィルターがもやのようにかかっている暮らし。そのなかでの倦怠で緩慢な人の動きが時として、鮮やかな暴力を生み出してしまう、そのコントラストの凄惨さだったかもしれないが、いまとなっては、このあたりは後づけのような気もする。

わたしのフォークナー狂を決定的にしたのは、そういった不明瞭なちょっとした嗜好を経た後に出会った『野生の棕櫚』と『響きと怒り』である。これら2作品が、その頃まだ多くの小説を読んでいなかったわたしを魅了した理由。それはいうまでもなく「形式」である。つまり、こんな小説の書き方があるのだ、物語においてはこうした計算が可能なのだ、という技法上の驚きだ。

『野生の棕櫚』については、「悔恨と無の間にあって、おれは悔恨のほうを選ぼう」という主人公の最後の台詞を中心に、そこで語られている人間価値の条件について、大江健三郎が強く推していたこともあり、ぜひ読んでみたいと思ったのが端緒だったはずだ。しかし、いざ、書店にいってみても、『野生の棕櫚』なんて本は見つけられない。どうやら絶版のようだが、いまのようにgoogleもamzonもない時代。半ばあきらめていたところ、梅田の古書店梁山泊の中津別店の絶版棚でボロボロになった新潮文庫をみつけた。昭和29年発行定価120円。800円で購入した(※2)。

早速読み始めて驚いたのは、この物語は「野生の棕櫚」と「じいさん」という2つのまったく異なる物語の章が交互にパラレルに展開されているという「形式」だった。これが「世界の終わり」と「ハードボイルドワンダーランド」のように比較的わかりやすい関係性のなかで進むのであれば、さほど驚かなかっただろう。
しかし、そこにあったのは容易な干渉を許さない2つの物語だ。かたや「駆け落ちした医学生と人妻。やがて人妻は妊娠するが、堕胎手術に失敗して命を落としてしまう」という話。かたや「洪水の中、小船で彷徨う偶然にあった囚人と女」という、一見まったく無関係な2つの物語が交互に配置されているのだ。

そこにはなんのつながりもないかにみえる。しかし、注意深く読み解いていくと、構造としての共通項が発見されはじめる。最初は絡まりすらしなかった糸が、いったんからまり、その後順にほぐれていく。
これには痺れた。もし、自分で物語を書くとすれば、この形式には必ずトライしたいと思ったものだ。村上春樹が、『世界の終わり…』に続き、『海辺のカフカ』でも、この形式をとったのは、自己模倣ではなく、この『野生の棕櫚』での完成度を追求したいという思いがあったと信じたい。その証左に『海辺のカフカ』では、「形式において」はかなり洗練されたと思える。

そして、もうひとつ、『響きと怒り』。どうやら、フォークナーを知るには『響きと怒り』を読まなければならないというのはだんだんわかってきたのだが、これもひと筋なわではみつからない。ようやく発見できたのが『新潮世界文学』全集の41巻「フォークナーⅠ」(※3)。

またしても読み始めて驚いた。そこで表現されていることが、何なのかまったくわからないのだ。そりゃそうだ。登場人物のひとりである白痴のベンジーの「意識の流れ」をたどっているのだから。彼の昔の記憶が何の前触れもなく脈絡もなく挿入してくれるのだから。そればかりではなく、物語全体を通して、時間の流れを分断させ、前後関係を微妙にずらしているのだから。ひと筋なわでは見つからなかった小説は、やはりひと筋なわでは読解できない「形式」のものでもあった。

ほんとうに深く能動的にコミットし、考えなければ読めない小説の表現形式というものが、世の中には存在するということに驚いたし、そのことは「テキストのしかけ」といったことに関心のあったわたしをひどく魅了した。さらに『新潮世界文学』全集の帯に記載された、架空の町「ヨクナパトーファ」の地図に嬉々とし、「サーガ」というストーリーラインすら、形式のひとつと解釈し、一気にフォークナーを読み漁った。

フォークナーはやはりじっくり向き合わないと読みきれない部分もあり、最近はそのための時間もほとんどとれす、再読すらしていない状況だが、老後の愉しみ、老後の研究材料として蒐集だけは続けておきたい。

以下は、わたしの本棚のフォークナーの作品。もしこれからフォークナーを読み始めようという奇特な方がいれば、参考にしてください。★が入手しやすいのでは、と思われるものです。

『八月の光』(新潮文庫、加島祥造訳)(※4)
『フォークナー短編集』(新潮文庫、瀧口直太郎訳)
(「嫉妬」、「赤い葉」、「エミリーにバラを」、「あの夕陽」、「乾燥の9月」、「孫むすめ」、「クマツヅラの匂い」、「納屋は燃える」)
●『魔法の木』(福武文庫、木島始訳):唯一の童話
●『エミリーに薔薇を』(福武文庫、高橋正雄訳)
(「赤い葉」、「正義」、「エミリーに薔薇を」、「あの夕陽」、「ウォッシュ」、「女王ありき」、「過去」、「デルタの秋」)
『寓話 (上)』(岩波文庫、阿部知二訳)(※5)
『寓話 (下)』(岩波文庫、阿部知二訳)
『熊、他3篇』(岩波文庫、加島祥造訳)
(「熊」、「むかしの人々」、「熊狩」、「朝の追跡」)
●『野生の棕櫚(2刷)』(新潮文庫、大久保康雄訳)
『野生の棕櫚(復刊14刷)』(新潮文庫、大久保康雄訳)
『響きと怒り』(講談社文芸文庫、高橋正雄訳)(※6)
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『新潮世界文学41 フォークナーⅠ』(新潮社、加島祥造・大橋健三郎・瀧口直太郎訳)(※7)
(「兵士の報酬」、「響きと怒り」、「サンクチュアリ」、「エミリーにバラを」、「あの夕陽」)
★『集英社ギャラリー世界の文学17 アメリカⅡ』(集英社)
(「アブサロム、アブサロム!」を掲載)
●『世界文学全集59 フォークナー』(筑摩書房)
(「死の床に横たわりて」、「サンクチュアリ」、「乾いた9月」、「あの夕陽」、「ミシシッピー」)
『世界の文学セレクション36 フォークナー』(中央公論社)
(「サンクチュアリ」、「征服されざる人々」)
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『フォークナー全集3』(冨山房)-蚊
『フォークナー全集16』(冨山房)-行け、モーゼ
『フォークナー全集17』(冨山房)-墓地への侵入者


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(※1)このムックはたいへんすばらしく、20世紀の世界の文学作品を鳥瞰できる短編・抄録を年代別に集めています。たとえばプルースト「サント=ブーヴに反論する」、ジョイス「土(ダブリナーズより)」、カフカ「万里の長城」、ザミャーチン「洞窟」、ヴァレリー「海辺の墓地」、ナボコフ「チョルブの帰還」、ヘミングウェイ「殺し屋」、ウルフ「女性と小説」、ブルトン「自由な結合」、フィッツジェラルド「再びバビロンにて」、セリーヌ「夜の果てへの旅」、ゴンブロヴィッチ「冒険」、ベケット「ディーン・ドーン」、ベンヤミン「パリ」、ムージル「黒つぐみ」、サルトル「エロストラート」、ボルヘス「死とコンパス」、ボウルズ「遠い挿話」、パス「賛歌の種子」、コルタサル「山椒魚」、ソルジェーニツィン「胴巻のザハール」、バルト「偶景」、マルケス「大きな翼のある、ひどく年取った男」、カーヴァー「メヌード」などなど。少しアメリカが少ないのが気になるところですが。
(※2)その後1994年の「新潮文庫の復刊」シリーズに登場しているが、いまとなってはこれも入手しにくいと思える。もちろんわたしはこのときも迷わず購入したため、いま手元には2冊の『野生の棕櫚』があることになる。
(※3)こちらも、いまでは講談社文芸文庫で入手できる。
(※4)新潮文庫にはこのほか『サンクチュアリ』もある。
(※5)『寓話』はしばらくのあいだ入手しにくく、わたしも「上巻」のみ所有という状態が続いていた。たぶん数年前に重版となったはずだが、また入手しにくくなったようだ。
(※6)講談社文芸文庫では、このほか『アブサロム、アブサロム!』『死の床に横たわりて』が、刊行されていて、双方とも入手しやすいはず。このほかに入手しやすいのは『サートリス』(白水社)。
(※7)ちなみに「フォークナーⅡ」には「八月の光」、「アブサロム、アブサロム!」、「野生の棕櫚」などを所収。
(※8)冨山房の『フォークナー全集』は、いちど八重洲ブックセンターで、ほぼひと揃えになっていたのをみたことがあるが、そもそも、配本が完了したのかもよくわからない。10年ほど前に、版元に問い合わせファクスで在庫状況をもらったが、その時点では、在庫なしのものがかなり多かった。以下は、全巻目録。在庫があると言われているもののみ、アマゾンにリンクしています。
(1)詩と初期短編・評論 (2)兵士の報酬 (3)蚊 (4)サートリス (5)響きと怒り (6)死の床に横たわりて (7)聖域 (8)これら13編 (9)八月の光 (10)医師マーティーノ、他 (11)標識塔 (12)アブサロム、アブサロム! (13)征服されざる人びと (14)野性の棕櫚 (15)村 (16)行け、モーセ (17)墓地への侵入者 (18)駒さばき (19)尼僧への鎮魂歌 (20)寓話 (21)町 (22)館 (23)自転車泥棒 (24)短編集(1) (25)短編集(2) (26)短編集(3) (27)随筆・講演


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