考えるための道具箱

Thinking tool box

ティップネスに通ってます、その他。

2005-02-16 22:16:49 | ◎紹介
本やマーケティングのBLOGをやっているからといって、本を読んで仕事ばかりしているわけではなく、ぼくは、こうみえてもいちおう運動家である(もちろんどうみえているかわからないが)。

まず、スポーツジムだ。ティップネスに通い続けて、かれこれ15年くらいになる。といっても、やはり多忙な職業の関係上、週1回程度のペースでしかいけていないので、回数にしてみれば、たかだか800回くらいということいなる。ただし、大阪-東京をまたいだ生活をしてきたので、京橋、梅田、難波、南茨木(つぶれていまはない)、下北沢、五反田、新宿、中野と多店舗経験者ではあり、この点ではレア会員かもしれない。

現在は、大阪の京橋店に落ち着いていて、おおむね土曜の午前中をワークアウトの時間にあてている。ほぼ朝一の9:30に入り、まず、「バイク6分」→「腹筋20回×3」→「エアロ1時間(TIPマックス)」→「バイク12分→腹筋20回×3」→「ダンベル/上腕二頭筋80~90kg10回×2」→「ダンベル/上腕三頭筋(1)80~90kg10回×2」→「ダンベル/上腕三頭筋(2)80~90kg10回×2」→「マシン各種10回×2づつ(大胸筋、小胸筋、背筋、上腕筋…)」→「風呂」で、だいたい2時間コース。ほんとうは泳ぎたいんだけど、一家の主が2時間以上もジムで遊ぶのは罪深いので、節度をわきまえている、といったところだ。

こうやってメニューを並べてみると筋コンが多く見えるが、筋力面では、こんなことを週1回だけやってもあまり意味はないし、歳も歳なので肉体改造的なることは、まったく期待できない。そもそも、筋トレだけなら苦しくて15年も続かない。

そう、ジムに通うことの主な目的はエアロ(ビクス)なのである。さまざまな意見があるかもしれないが、エアロビクスは本当に素晴らしいスポーツだと思う。まず、音楽。難度の高いコリオグラフが決まったときの快感。そして、汗。エンドルフィンはつねに駄々漏れだ。このスポーツをやっていると、南方の人に限らず人間は音楽で生きているのだ、ということが心底実感できるし、たとえ冬であっても体内の汗はつねに入れ替えるべきだ、ということがよくわかる。

しかし、問題はこのことを人に説明するのはほんとうに骨の折れる作業であるということだ。エアロに関心のない人にとってのエアロのイメージは、オリビア・ニュートンジョンの「フィジカル」のPVのイメージであり、20年来思考に変化はなく、それはつまりはエアロ=レオタードということに相違ない。もしくは、たまたまテレビで放映されていた選手権大会などの印象が強く、こちらはエアロ=きんきんの笑顔ということになる。だから「エアロやっている」と話すと、多少なりとも嘲笑をはらんだ会話が続くことになる。いや続かない、とぎれる。気持ちはわかる。前厄か本厄か後厄かぐらいのおっさんがレオタードきて、非の打ちどころのない笑顔で踊っている姿を想像したら、そりゃひくよね。

もちろん実際のところはまったく違う。男子の服装はどちらかというとバスケのユニフォームに近いランニングシャツ&パンツの人が多いし、女子もそこそこやっている人は、nikewomen.jpで、まあ格好よい。そして、笑顔を見せるのはちょっと厳しいぐらいに心肺、足腰に負荷がかかる。プログラムによっては、コリオの間にプッシュアップや腹筋を挿入するサーキット・トレーニングのようなものあり、学生時代のクラブのもーれつなしごきを思い出してしまうくらいタフだ。

学生のころは一貫して慈愛のない根性運動クラブに所属していたぼくが、すべてを達観したうえで言うのだから間違いはない。エアロビクスはれっきとしたスポーツであり、むしろすべてのスポーツの原点といっても過言ではない。もちろん、なんら根拠のない話なので、反論されても「言い過ぎでした」とあやまるしかないのだけれど。

ただし、この手のスタジオスポーツにも流行り廃りがあり、たとえば、この何年かは格闘技系トレーニング(ボクササイズ)、ラッシュ系、マット系などが入れ替わり立ち変わり流行り廃った結果、最近ではヨガが台頭してきており、いわゆるエアロ系は影が薄くなってしまった。やはり負荷が強すぎるし、冷静に考えれば老骨の膝や腰に悪いのは明らかなので、商業的には広く人を呼べないということかもしれない。まあ、それでも少なくともあと10年くらいは続けたいし、続けてほしいところである。

で、もうひとつのスポーツは、ママさんバレーのコーチ。つまり、「慈愛のない根性運動クラブ」とはバレーボール部のことであり、中学から大学まで続けた結果、一時は堺ブレーザーズにも所属していた。というのは、もちろんうそで、所属しなかったから街場のチームを手伝っているわけだ。数年前、それまでスポーツにほとんど縁のなかった家人が、なにをとちくるったか、急にバレーボールを始めた。そのころ私はエアロ・フィーバーが最高潮に達していたため、最初は、揶揄しながら横目でみていたのだが、行きがかり上ズルズルと参加することになってしまった。

こちらのほうは利害関係者が多いためくわしくは触れないが、まあ新しいコミュニティも形成できてけっこう楽しくやっている(と思う)。ただひとついえるのは、何歳になっても歳相応のスタイルでスポーツを楽しめるというのは、ほんとうに素晴らしいことであり、その点で、地域スポーツ、壮年スポーツのあり方というのはいろいろと考えてみる価値がある。大人も子どもも、男子も女子も、プロもアマも一緒になって市民スポーツに参加し、育てていく。こういった延長上にセリエAとかがあるんだろうなあ。、

ま、えらそーに書くほどのことではなかったですね。すみません。しかも、本の話いっさい抜きだし。

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あ、いま読んでいる本少しだけ紹介しておきます。『生きていくのに大切な言葉吉本隆明74語』(勢古 浩爾、二見書房)。勢古さんは、まあなんとも口の悪いおっさんだが、『思想なんていらない生活』(ちくま新書)に多少なりとも感じるところがあり、読み始めてみた。『思想なんて…』は、おうおうにして思想家メッタ斬りの部分がとりあげられることが多いが、じつは、終盤まさに前半の熱を冷ますかのように静かに語られるエリック・ホッファーの生き方への共感こそがすばらしく、もちろんぼくが感銘を受けたのはこの部分につきる。同書では吉本隆明に好意的にふれており、吉本のホッファー同様の市井の思想家という側面だけを切り出した『生きていくのに大切な言葉…』をおさえたわけだ。現在、魂が打ち震えている、といったところまではいっていないが、いずれ通読した時点で、抜き書きなどをしてみようと思う。おおむね、「結婚して子供を生み、そして子供に背かれ、老いてくたばって死ぬ、そういう生活者をもしも想定できるならば、そういう生活の仕方をして生涯を終える者が、いちばん価値ある存在なんだ」といったところなんですけどね。



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↑今日は、ネタ振りということでお許しを。
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