そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

8月21日(土)

2010年08月21日 | 昔日記
 昼食は外で食おうということになり、「SuraBaya」というインドネシア料理のチェーン店に行く。「空芯菜とセロリのサラダ」には、肝心の空芯菜が入っていなかったような? あとは「焼きビーフン」「揚げ豆腐と野菜のサンバル炒め」、それに若鶏と羊のサテを取った。

 インドネシアへは一度だけ行ったことがある。最初の夜食ったナシゴレンがゲゲゲッというようなシロモノだったので、インドネシア料理によい印象は持っていないのだが、キンタマーニ高原(「金玉」ではない!ただし語源は如意宝珠の意なのだそうだが)で食ったサテは美味かった。今日の若鶏のサテは、正しくピーナツソースがからめてあって、往時を思い起こした。

 さて、「Surabaya」と聞けば当然誰しも「スラバヤ沖海戦」を連想しようが、駆逐艦「雷」(艦長工藤俊作中佐)が行なった敵兵救助は、忘るまじき戦場美談であろう。

 支払いの時、お店の人に「スラバヤ沖海戦」を知っているか尋ねようかと思ったが、止めておく。コラソン、デメロン、デメロンメロンメロンメロンメロ~ン、こら損~♪ と唄いながら店を出た。

 家人は新橋の「インドネシアラヤ」へ行ったことがあると話していたが、あそこはもう閉店したんじゃなかったかな? しかし「indonesia raya」といったらあなた、インドネシアの国歌ですがな。

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