そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

8月9日(月)

2010年08月09日 | 昔日記
 家人は軽井沢へ行っちゃった。だから、昼間からビールを飲むのだ。シアトルのスモークド・サーモンがなつかしい。つまみに食いたいよ~。"PIKE PLACE FISH CO." の量り売りのやつが、yummy! でしたわ。シアトルはさぞや涼しかるらむ(現在の眼前にない推量)。

8月7日(土)

2010年08月07日 | 昔日記
 立秋日。残暑お見舞い申し上げ候。風に少し涼しさが感じられた。荒川の花火大会だそうだ。娘も浴衣を着て出かけて行った。 

 啄木氏と池袋で待ち合わせて、1軒目はその辺の地階の居酒屋へ入る。一昨日は、啄木氏も国文研においでだったとか。辞書の原稿執筆で、皆大変だな(私も書かねば)。

 ××女史の話というのは、予想していた愚痴ではなくして、私の知らないごたごた、トラブルについての詳細な経緯を説明してくださったのだけれども、端折った話らしく、半分くらいしか理解できなかった。しかし、間に入ったT氏がずいぶん困った立場におなりだろうなあ、ということだけは容易に想像がつく。聞くかぎり、出版社側も短気を起こして、実につまらんことをしたものだ。××さん、ああ見えても、御後見がものすごいからなあ。されば、触らぬ神に祟り無し。私も××さんの学位取得には、行き掛かり上一枚噛んだ次第だが、肝煎り役のT氏が身を引かれたというのなら、代わりに愚生ごときが何かをするというのは、まったくもってお門違いである(何が「パーティ」だ。バカバカしい)。まして、あんなにお世話になったI先生とも、訣別状態というのだから…。あまり強硬に赴いて、あちこちに角を立てまくると、学界全体から総スカンを食うだろうに(もはや既に、ほとんど誰も…学問的には…相手にしていないのが実情だが)。ふう、「正義」をのみ言いたてる人とは付き合いきれん。正しいのは自分だけ…というわけだ(他人の「正義」は顧慮されない)。まあ、別の世界で生きてお行きになるのだろう。それはそれ、「治まる御代」と思いなすべいよ。

 後日また説得すると言われたが、冗談ぢゃない、嫌でござんすと即座にお返事申し上げて、切り上げた。程なく啄木氏の坊ちゃんも合流。東京での研修が終わり、明日帰られるとのことだ。

 2軒目は昭和レトロの「鳥定」に上がったが、坊ちゃんはお気に召さなかったようだった。酒は白ホッピーのセットにする。啄木氏は「中」を追加注文された。さすがに正統派といふべし。藤山一郎の歌に見送られて、店を出る。山手線に乗って帰宅した。あ~、気持ち悪い。想い出すだに吐きそうになる。

8月6日(金)

2010年08月06日 | 昔日記
 8:15に黙祷すること例年の通り。

 編集会議はいつもより2時間半早く招集されて、終わったのはいつも通り21:00過ぎだった。F先生とは今週、3度もお会いしたことになる。仕事のほうはなかなか捗らない。そして、もう9月のスケジュールを提出させられ、暗澹たる気持ちになった。来週の会議は、いつもより4時間も早く招集されている!

 明日は啄木氏とお会いする約束だが、やっとこさ連絡がついた。××女史のことで、なにやら愚痴を聞かされるらしい。気が重いわいなあ。

8月5日(木)

2010年08月05日 | 昔日記
 国文研のお手伝いで立川へ。13:00集合だが、もちろん「無庵」の開店時間に合わせて家を出た。暑いので焼き味噌とビールを頼み、天せいろにした。今日は昼間から日本酒にすると、ちときついのであった。

 国文研は極地研と同じ建物になるのだが、ちっとも涼しくはない。F先生の話では、窓を開けたら雀が焼け死んでいたそうである。いや~、暑い。モノレールの高松の駅から歩くと、日差しを遮る物は何もないし…。

 出番は15:00過ぎからなので、ゆっくり涼んでから着替えをした。A師匠、U先生と3人で、15人ほどの近隣小学生と、中学生5人ばかりを相手にご機嫌をうかがう。聞けば「講師料」をずいぶんはずんでくださるとか。ありがたや。

 営業?の最中、ふと横を見るとKF氏のお姿が…! なんちゃって冷泉流を取り混ぜていたので、冷汗が出た。まあ、予想外にたくさん演技?させられて、へとへとになったが、つつがなく終了。昨年A師匠は、モノ真似上手な大学教授と間違われたが、今年はうまくウケましたわ。

 館長室に招かれヱビスの缶ビールを2本ほどいただく。それから、立川駅前の居酒屋で一席設けていただいた。館長閣下にもお付き合いをいただき、まことに光栄でありました(しかしながら、飲み放題というのはロクな酒が無いこといづくも同じだ)。帰途は降車駅を一つ乗り過ごした。たまたま座れるとロクなことにならんわい。

8月4日(水)その2

2010年08月04日 | 昔日記
 麻布十番のお稽古事に行く。U先生が先着で、追ってA師匠も到着されたが、稽古場の鍵が開いていなかった。暑いので参会者も少ないのかと思いきや、新入会や見学の方が多かった。A師匠の奥様もお見えになった。

 初心の練習をたっぷりやって、秋の公演の方向性について相談が行なわれたが、I主宰のご意向をベースにどう構成するか、なかなか苦心を要しそうだぞなもし。Nさん>の原案は、研究者・教育者としては当然過ぎるほど妥当・穏当なのだけれども、主宰のお気には召さなかった。あと、観客をどう意識するかだ。学術的に正しければよいというものでもないし、かといって空想スピリチュアル小説でも困るしなあ。
 
 というわけで、ムーミン大のお二人と結局「萬力屋」へ行く。BGMがなんだか喧しいものになっていて、The Stylistics なんぞがかかっておる。蕎麦屋のビートルズよりはマシだが、ちょいとねえ…。麻婆豆腐を注文し、うんと辛くしてよと頼んだら、本当に辛くしてくれた。おお、なかなか本場っぽいぞ。フロアのね~ちゃんも、中国人に違いない。

W文学会事務局はついにムーミンへ行くことになったねぇと言えば、Nさん、いったい誰が事務をやるのかしら?と首をかしげる。おいらの経験から言えば、はかばかしい手下が2人居れば何とかなるぞ。じゃあ、犠牲になるのは××さんと△△さんかな。ふふふ、人の不幸は旨い肴だ。親分がやりたいんだから、知らんがな。もう、完全に人ンチの話である。

 Nさんは義務として、年に2本論文を公刊しなければならぬらしい。厳しいねェ。どこかに適当な発表誌は無いですか?と相談されたから、S大学のT教授がやっているK誌を紹介した。10月に原稿を出せば、12月末の日付で雑誌が出る。

8月4日(水)

2010年08月04日 | 昔日記
 いただいたメールに返信するまでに、2日くらいかかってしまう。院生からの論文添削要請が次々舞い込んでくるが、3日に1件くらいの割でしか処理できない。その間、自分の仕事は一切棚上げである。

 秋の学会発表予定者の、発表資料の確認は大丈夫だろうか? 大会に5機、例会に2機出撃せしむる予定だが、も~勝手にやってもらうかな。それで通用しなければ、それまでのことだ。ただ、昔はそれでよかったが、きょうびはきちんと見てあげないと、アカデミック・ハラスメントだと言われかねないし…。大学教授というのは、因果な商売である。一番楽なのは、黙っていても院生が優秀な帝大の先生方だろうね。

 明日は国文研のお手伝いだが、何時に行けばいいのだろうか? まあ、今夕、A師匠と打ち合わせればいいかな。

8月3日(火)

2010年08月03日 | 昔日記
 痛風の病院へ行く。やや太り気味で、あまりよろしくはない。

 娘たちは大阪へ文楽を観に行ってしまった。夏休みらしい。結構な職業である。大学へ直行し、研究室に置きぱなしのノートPCを持って帰る。研究室受付のロビーには、昨年度で定年退職されたU先生がいらっしゃった。U先生のほうから挨拶されて恐縮する。ご後任のK先生の研究室もなかなか片付かないようですなあと申し上げると、仕方が無いんです…と言い訳?された。

 意を決して「とん太」へ行く。アメリカから帰って初めてである。先客が1人居たが、程なくカウンターは全部埋まった。特ロースを注文、病院帰りなのでビールを1本飲む。御飯は軽めにしていただいた。実によい香りだ。キャベツも何もつけずに食べた。「とん太」のかつは軽くて柔らかく、肉質を楽しむ体のものといえよう。ベトナム産の塩とよく合うのだ。

 なんでこんなに暑いのだろう。確かに昔も夏は暑かった。ただし、冷房なんかあんまり無かったから、感じ方が違うのかも。三畳一間の下宿で大の字になり、だらだら汗を流していたのを想い出す。大学内で冷房が入っているのは図書館の参考室だけだったし、山手線も、中央の車輛だけがたまに冷房車だったというのが、私が学生時代の有様だった。地下鉄は当時、仕組みの上から冷房不可能と言われたけれど、今や駅へ降りれば構内はガンガンに冷やされている。その分、熱が外に放出されているのではないかな。都市熱というヤツならむ。それに地球温暖化が拍車をかけているのかな。

 とんかつ食ったせいか、汗まみれである。もうどこへも行く気が起こらず、そのまま帰宅する。ぼーっとしているうちに、「水戸黄門」の再放送も終わって、夕食を作らなければならん時間だ。冬瓜の残りを、シラタキ・豚肉と炊き合わせ、冷製にしてみる。要するに、ダイコンのかわりに冬瓜を用いて、できるだけ澄んだ汁に仕立てるわけだ。ダイコンより味をよく含むから、冬瓜は実に使い勝手がよい食材だと思う。これに乾燥パセリをさっと振っておく。

 乾燥した刻みワカメがあったから、水で戻して絞り、モロヘイヤを茹でて刻んだのと和え、さらに舞茸茶漬の素?で味を付けたら、オツな肴になった。K教授に頂いたにんべんの「江戸(ド)レッシング」は、こういう時、仕上げに重宝である。ネバネバしているが、本体は海藻だから、低カロリーでさっぱりした一品となる。

8月2日(月)

2010年08月02日 | 昔日記
 編集会議は午後から招集されるようになった。今日は東京スカイツリ―が見える会議室だった。この間、G女子大のT先生がおっしゃっていたように、最寄りのJR駅南口を出たところでも、スカイツリ―は確かに望見できる。しかし、8階の会議室からだと、なかなか壮観である。

 最後が原典照合となったので、それまでのやや沈滞ムードが一気に消し飛んだのは面白かった。中古~近世の研究者は、活字本よりくずし字を読まされるほうがずっと嬉しいのだ。しかも、今までに提供されている活字本文は、すべて不完全である。現役バリバリの研究者を、これだけ揃えれたのだからね。まあ、目玉の一つにはなりましょう。

8月1日(日)

2010年08月01日 | 昔日記
 夕食を作る。御飯は2合炊いた。やっつけには何といってもカレーである。冷蔵庫の野菜室に入っている半端な野菜や傷みかけているのを片端からざく切りにして、スチームケースに入れ3分間電子レンジで加熱、ミキサーにかけてグリーンのどろどろになったら、鍋に移し味を調え、賽の目切りの玉葱と半端な肉類、それに生姜を投げ込んで1時間ほど煮込み、水分を飛ばせば完成する。野菜室の大掃除である。

 冬瓜があったので、これもスチームケースで下ごしらえをしてから、豚肉と煮込んだ。形が崩れない程度で火を止め味を含ませる。いい味が浸みている。

 逸平君お薦めのロゼはまあ、美味かった。