そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

8月9日(月)その2

2010年08月09日 | 昔日記
 家人が軽井沢から帰宅途次の電車の中とのメールを送ってきたが、私は神楽坂下のお稽古事へと向かう。本日は参加者がごく少なかったので、N先生にみっちりご指導をいただいたが、私より下手な人はいないので皆さんが安心するとは、慰められているのか何だかよく分からん。まあ、この歳でやや本格的に始めた手習いで、思うこと無きにしもあらずである。

 お床のお花は、ミニひまわりと、白い日々草と、青々としたフウセンカズラだった。N先生から、お花は時間と空間を活けるのだというお話をうかがう。なるほど、ひまわりと日々草は、それ自体が時間のシンボルということだな。お軸は、東大寺長老上野道善師の「吾心似秋月」、『寒山詩』ですな。促がされて「意味は?」と尋ねたら、そういう聞き方はいかんと窘められましたわ。「秋」に「飽き」が掛かっているのかなと、見当違いな解釈を述べて面白がられた。禅語はよ~分からんごとある(ウチの菩提寺は臨済宗花園派なんだがね)。おいどんをしていかが説かしめん。

 終了後、N先生のお相伴で、Oさんもご一緒して近くの「あまくさ」へ。お稽古場のご主人のご案内であった。Oさんは日本酒の輸出関係のお仕事に就かれたとか。そういえば、シアトルでも結構珍しい日本酒が見られたが、昨今は高級な銘酒がどんどん海外の日本料理店向けに輸出されているらしいな。しかし、結構なことである。「治まる御代」といふべし。

 N先生はジャズ・ピアノがお好きらしい。私もビル・エヴァンズあたりからジャズは聴き始めた。まあ、同世代といふことならむ。