そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

8月3日(火)

2010年08月03日 | 昔日記
 痛風の病院へ行く。やや太り気味で、あまりよろしくはない。

 娘たちは大阪へ文楽を観に行ってしまった。夏休みらしい。結構な職業である。大学へ直行し、研究室に置きぱなしのノートPCを持って帰る。研究室受付のロビーには、昨年度で定年退職されたU先生がいらっしゃった。U先生のほうから挨拶されて恐縮する。ご後任のK先生の研究室もなかなか片付かないようですなあと申し上げると、仕方が無いんです…と言い訳?された。

 意を決して「とん太」へ行く。アメリカから帰って初めてである。先客が1人居たが、程なくカウンターは全部埋まった。特ロースを注文、病院帰りなのでビールを1本飲む。御飯は軽めにしていただいた。実によい香りだ。キャベツも何もつけずに食べた。「とん太」のかつは軽くて柔らかく、肉質を楽しむ体のものといえよう。ベトナム産の塩とよく合うのだ。

 なんでこんなに暑いのだろう。確かに昔も夏は暑かった。ただし、冷房なんかあんまり無かったから、感じ方が違うのかも。三畳一間の下宿で大の字になり、だらだら汗を流していたのを想い出す。大学内で冷房が入っているのは図書館の参考室だけだったし、山手線も、中央の車輛だけがたまに冷房車だったというのが、私が学生時代の有様だった。地下鉄は当時、仕組みの上から冷房不可能と言われたけれど、今や駅へ降りれば構内はガンガンに冷やされている。その分、熱が外に放出されているのではないかな。都市熱というヤツならむ。それに地球温暖化が拍車をかけているのかな。

 とんかつ食ったせいか、汗まみれである。もうどこへも行く気が起こらず、そのまま帰宅する。ぼーっとしているうちに、「水戸黄門」の再放送も終わって、夕食を作らなければならん時間だ。冬瓜の残りを、シラタキ・豚肉と炊き合わせ、冷製にしてみる。要するに、ダイコンのかわりに冬瓜を用いて、できるだけ澄んだ汁に仕立てるわけだ。ダイコンより味をよく含むから、冬瓜は実に使い勝手がよい食材だと思う。これに乾燥パセリをさっと振っておく。

 乾燥した刻みワカメがあったから、水で戻して絞り、モロヘイヤを茹でて刻んだのと和え、さらに舞茸茶漬の素?で味を付けたら、オツな肴になった。K教授に頂いたにんべんの「江戸(ド)レッシング」は、こういう時、仕上げに重宝である。ネバネバしているが、本体は海藻だから、低カロリーでさっぱりした一品となる。