そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

12月6日(土)続き

2008年12月06日 | 昔日記
 インターネット路線案内の時間通りに新幹線、在来線、私鉄線と乗り継いだら、せわしないことせわしないこと…。学会会場校最寄り駅のホームに降り立つと、大学院の先輩である広島のIさん、K大のY先生、府立大のT先生ご夫妻がいらっしゃった。一緒に歩いて会場へ。

 受付で記名をして、懇親会を申し込む。関西のこの学会では、研究発表の後、懇親会が恒例となっている。関西学界の大立者、K先生も会場にお見えになった。

 最初の発表者がウチの院生Hさんだ。研究発表は3本だが、Hさんは堂々と発表した。質疑では、M先生からひどく厳しい発言が出たが、落ち着いて反論した。要は壇上でオタオタしないことが大切なのだ。その意味では、合格点であろう。後の二人の発表より、どう見ても一番出来はよかった。面目、面目。

 2番目、3番目の発表では質問をした。質問の仕方が悪かったのか、満足な答えは得られなかった。3番目の司会は、ウチのK助手が務めることに。K君、質疑では最初からM大先生を指名するものだから、冷や汗をかいた。本当は会場に来ていたWさんを指名すべきだが、こりゃいかんと助け舟を出すつもりで、つまらん質問をした次第。

 懇親会は近くのちゃんこ屋だった。隣が2番目の発表者だったので、いろいろお話しをする。大学は今娘の通っているところのご出身で、関西の大学院へ進み、現在は非常勤講師をなさっているそうだ。全員が一言ずつスピーチさせられる。4月にはK助手、今回はHさんと、2人の院生を関西で発表させていただいたが、2人ともこちらの出身であると説明した。HさんはM大先生から、学術雑誌への投稿を慫慂されたらしい。人脈を作ることが大切。懇親会には、先月東京で発表したウチの院生Oさんも出席し、にぎやかだった。

 梅田まで戻って、さあもう一杯と思ったが、Hさん、気分が悪くなったとのことで、K助手と一緒に介抱する。発表準備でいっぱいいっぱいだったのが、無事に済んでほっとして、そこにアルコールを入れがんがん話し掛けられては、目が回るのも当然だ。幸い少し休んだら回復したので、近くにとった宿まで送って行く。それから、K助手にホテルの前まで案内してもらった。K君は大阪の出身だから、実に心強い。いやはや、指導教授も疲れました。おやすみ。

12月6日(土)

2008年12月06日 | 昔日記
 父の命日である。昨日、近所の花屋からお供えを手配してもらった。毎年のことだ。ところが、届け先の名前が一字違うと、松江の花屋から言ってくるという。おかしいな、私の実母なんだけどなあと怪訝に思ったが、後で電話で聞いたところ、草書の略書体を別字と認識しているということらしい。やれやれ。

 これから関西へ学会出張である。父が亡くなった日も同じだった。同じく土曜日で、学会が終わった後、新神戸駅のホームで一瞬、これから松江へ帰ろうかなとの考えが頭を過ったが、やはり東京方面の列車に乗り、家に着いたら息を引き取ったという連絡が入っていた。虫の知らせというのは、本当にあるものなのだ。

 大阪で1泊し、明日は京都で研究会に出席するので、そのための資料と、最低限度の着替えとしてシャツ・靴下・褌と手拭をバッグに入れる。褌を愛用するようになって、荷物がかさばらなくなった。PCを持ってもたいしたことはない。