そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

12月30日その2

2008年12月30日 | 昔日記
 午前中はあんまりやる事がないので、卒業論文を読む。それから、早めに「一色庵」へ行って割子蕎麦を食べた。大将に東京からの土産を渡す。神楽坂で、泥鰌の絵の蕎麦猪口を見つけたので、もとめて来て進呈した次第。出雲国は、泥鰌すくいの本場ですからね。

 午後はもっぱら老母の運転手。前を滋賀県ナンバーの車がもたもた走っている。最初の用務先の前で停車したら、前の車も停まって、運転していたおじさんが寄って来た。何事かと思いきや、この辺にあるはずの「一色庵」という蕎麦屋に行きたいのだが、道が分からないとのこと。ええい、口で説明するのも面倒だ、先導するからついて来てくださいと、ご案内申し上げる。きっと松江の人は親切だと思ってもらえたに違いない。観光立県しか、我が島根県に生きる道はない。

 それにしても、節季歳末だというのに、観光客の姿をよく見かける。もうどこのお店もやっていないのになあ。お気の毒である。これも「だんだん」効果か?

 老母の指図のままに、菓子屋に連れて行き、宅配便の荷物を出して、スーパーで注連飾りを買って… 松江の人間は、お正月に向けて、生菓子を大量購入する。 「向月庵」でもらった柚子の干し菓子?が絶妙の味である。土産はこれにしようかな。

 物産館は15:00で年内閉店になると聞いたので、覗きに行く。売り場のおばさんに愛想を言われた。研究書をいただくと、お返しに蹈鞴鉄の文鎮を差し上げることにしているので、私はそのコーナーの上得意なのである。W君の就職祝いに何をあげようかな。この文鎮の、一番大きいのにしようか。玉鋼の原料なのだから、W君のご専門に関係なくもない。でも、筆記具とか時計のほうがいいかな。思案のしどころだ。

12月30日(火)

2008年12月30日 | 昔日記
 いくらなんでも県庁所在地である。別のネットカフェを見つけた。

 昨日は17:15のフライトだったので、ぐずぐずしていたら家を出るのが遅れてしまい、冷や冷やした。でも、羽田の出発ゲートには搭乗案内開始ジャストに到着、20:00前には実家に着くことができた。

 Yさんからまた、私の論についてのメールをいただく。飛行機の中でもずっと、焦点となる依拠資料の原態を考えていたが、やはり私の推定で間違いなさそうだと確信するにいたった。結局は、関連する資料群を総合的にどう理解するかである。2月半ば締め切りの学内学会の機関誌に投稿するつもりで書いていたが、それは400字詰め40枚を超えないというのが規定である。しかし。もう50枚近くになっちゃったから、京大のKK誌にでも投稿するしかないかな。4月に関西で研究発表して、京大の雑誌に投稿というのは、よい段取りかも。5月にウチの大学で行われる例会で発表してもいいけど、それでは発表予定者(私が研究指導担当の現在院生)を押しのけることになるし…。