そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

12月31日(水)

2008年12月31日 | 昔日記
 朝一番の飛行機で娘がやってきたので、バスターミナルまで迎えに行く。たった1泊であるが、おじいちゃんの墓参りがしたいというのだから、殊勝である。

 実家で娘に軽く食べさせてから、「谷の奥のきわまる所」(入沢康夫)にある菩提寺へ行く。方丈に、山吹町は「レリーサ」のクッキーを差し上げた。お寺の到来物は和菓子ばっかりじゃないかなと思ったので、今回のお土産はクッキーにしてみた次第。来年は亡父の七回忌なので、またご相談いたしますとお願いしておいた。

 お参りが済んで、お寺のすぐ下にある伯母夫婦の家を訪ねる。この暮れは、東京に住んでいる息子一家(つまり私の従弟)は帰省しないそうだ。従弟はイラストレーターとして活躍している。何年か前に評判になったM氏の『古事記』現代語訳の挿絵は、すべて従弟が書いたものである。「レリーサ」のクッキーと、「緑の豆」の「神楽坂ブレンド」、それに「椿屋」で買った入浴剤なんぞを渡す。老夫婦へのお土産だから、量より品数だ。この間ユニクロに行ったら、谷岡ヤスジの漫画のTシャツが売れていましたよと、伯父に報告した。伯父は高校の社会科教師を長く務めた人だが、東京の私立高に勤務していたことがあり、その時の教え子に故谷岡ヤスジ氏がいたのである。

 帰りがけに「きがる」に寄って割子蕎麦をかきこむ。ここの客あしらいはもたもたしているが、味は出雲蕎麦らしくてとても美味しい。生卵を頼んだら30円だった。安いね。卵をぶっ掛けて食べ始めると、隣席の観光客がぎょっとした顔で見ている。閉店した神田神保町の「出雲蕎麦本家」では鶉の卵を供していたが、鶏卵1個を割りいれて、順次次の割子に流していくのが通というものだ(本当かな?)。小さいころ育った家では、大勢の人を使っていたので、年越し蕎麦には割子を40枚も50枚も出前してもらい、どんぶりに卵を積み上げて、てんで勝手に割り入れて食べたものだ。あるいは特殊な食べ方なのかもしれないが、出雲蕎麦はごそごそしているので、生卵とは相性がよいように思う。

 いったん実家に戻り、亡父の実家であるM神社の横屋(宮司家)に行く。借りていた社宝の『古今和歌集』の写本を返しに行ったのである。表紙が取れて料紙にもかなり黴がついていたのを、消毒し修補してもらった。松平直亮から奉納されたもので、声点がついている。パートナーが調査し、論文を書くそうだ。

 宮司は初詣の準備で大忙し。神奈川から従姉のT子ちゃん、裏大山から親戚のSさんが手伝いに来ていた。小学4年生の夏休み、T子ちゃんに連れられてS家へ遊びに行き、クワガタムシを一挙に50匹捕まえたことがあった。あの時の思い出話に花が咲いた。

 空模様があやしい。16:00近くになったので、「向月庵」にお菓子を受け取りに行く。ちょうどお店のおねえさんが、ウチヘ届けに出かけようとしているところだった。ついでに柚子の干菓子?を8つばかりもらう。それで店仕舞い。私は当年最後のお客となった。