史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

各務ヶ原 Ⅱ

2017年10月06日 | 岐阜県
(新加納宿)


中山道 間の宿 新加納

 新加納宿は、中山道の加納宿と鵜沼宿の間にあって、「間の宿」(休憩場)と呼ばれた。小規模ながら宿場町を形成していた。今も周囲に高札場跡や一里塚跡など見ることができる。それ以前から、関ヶ原で戦功のあった大身旗本の坪内氏がこの地に陣屋を築いていた。陣屋のあった辺りは現在更地になっており、公園化する計画になっているようである。
 文久元年(1861)十月二十六日、和宮降嫁の際には、新加納宿で小休をとったとされる。


新加納陣屋跡

(少林寺)
 少林寺は坪内氏の菩提寺である。墓地に坪内氏の墓所がある。


少林寺


旗本坪内家墓所

(旗本徳山陣屋公園)


旗本徳山陣屋公園


更木陣屋跡

 江戸時代、各務原市北西部の那加から蘇原西部一帯は、美濃国大野郡徳山出身の旗本徳山氏の所領であった。初代旗本となった徳山五兵衛則秀は、織田信長、柴田勝家、前田利家に仕えた後、関ヶ原の戦いでは東軍について戦功を挙げた。徳川家康からの信頼も厚く、旧領徳山郷のほかに各務郡内で西市場、山後、桐野、岩地、大島、島崎、野口など約五千石の知行地を得て、明治維新まで十二代にわたって各務原の地を治めた。
 那加西市場の徳山氏の陣屋は更木陣屋と呼ばれた。更木陣屋の様子は「更木陣屋絵図」によって当時の敷地内の配置を知ることができる。現在、絵図に基づいて復元が進み、陣屋公園として整備されている。

(加納城門)
 蘇原伊吹町の民家の前に加納城の門が移築されている。


加納城門

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