(利海寺)
利海寺(最寄り駅は、名鉄瀬戸線瓢箪山駅)には、若井重斎の墓があるという。「名古屋名家墓地録」(日比野猛著)によれば、墓石には「若井重斎之墓」と刻まれているらしいので、直ぐにみつかると高をくくっていたが、墓地を歩き回って発見したのは、若井家の小さな墓石だけで、重斎の墓に出会うことはできなかった。
利海寺
若井重斎は、文政六年(1823)の生まれ。天保年間、小納戸詰となる。安政五年(1858)、「攘夷戯議」一巻を著わし、撫民安国ののち攘夷を決行すべきと説いた。藩主徳川慶勝の幽閉とともに職を辞したが、その赦免後、藩政に復帰した。上京して公家諸藩士と交わり、国事に奔走した。長州征伐の際には西郷隆盛を慶勝に紹介し、善後処置を協議させ、自身も岩国に吉川経幹を訪ねて、長藩服罪の説得に成功。藩校明倫堂主事、留書頭、一の宮間清田神社祠官兼権大講義、判事補、勧解吏を歴任した。明治二十三年(1890)、年六十八で没。
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