(ケンサル・グリーン墓地)
ケンサル・グリーン墓地(Kensal Green Cemetery(Harrow Rd, London))も広大な敷地を持つ墓地である。ここに柏木門三(明治十年(1877)、十八 歳、豊前国出身。)と鈴木敬作(明治二十年(1887)、三十五 歳、江戸出身。大蔵省。)という二人の日本人が眠るが、宛てもなく歩いて捜し当てるのは絶望的であった。事前にケンサル・グリーン墓地に問い合わせたが、残念ながら回答を得られなかった。
ケンサル・グリーン墓地
(クリスタル・パレス・パーク・水晶宮公園)
水晶宮(Crystal Palace)は1851年の第一回万国博覧会がロンドンで開かれたときに建造されたガラス製の建造物で、この万博を象徴する建物であった。当時は会場であるハイド・パークに建設されたが、万博終了後に解体され、1854年にロンドン南郊のシデナムの丘(現・水晶宮公園)に再建された。1936年に火事で全焼し、その後再建されることはなかった。
岩倉使節団がロンドンを訪れた際、明治五年(1872)八月十七日、賜暇帰国中の駐日公使パークスらの案内で水晶宮内の温室や水族館などを見学しているが、彼らが見たのは移設後の水晶宮である。
――― 午後三時ヨリ「パークス」氏、「アレクサンドル」氏ノ誘ヒニテ、蒸気車ニテ「サイヂンハム」ニ至リ、水晶宮ヲ回覧ス、〇水晶宮ハ原名ヲ「キリスタル・パレィス」ト云。総玻瑠(ガラス)ヲ以テ築キ成ス、是ハ一千八百五十一年ニ、倫敦ノ「バイトパーク」ニ於テ、万国博覧会ヲ設ケシトキニ、彼地ニ建築シテ、出品陳列スルノ場トナセルヲ、会畢(おわ)リテ後ニ、此ニ引移シ、美観ヲ存セルモノナリ、〇全院悉ク鉄ヲ骨トシテ、満面玻瑠ヲ以テ覆フ、風気ヲ遮リテ、日光ヲ遮ラス、其長サ一千六百〇八尺(即百六十八間ナリ)幅は凹凸一ナラス、上棟最モ高キ所ハ、百十尺、左右ノ端ニハ、各高サ二百四十尺(即十四間)ノ高塔ヲ建テ、前ニ広濶ナル、庭苑ヲ開キ、地形数層ニシテ上ル、岡丘ノ頂ニアリ、遥ニ近傍六郡ノ野ヲ見ル、院中ニハ珍ヲ列ネ奇ヲ飾リ、院外ニハ樹緑リニ草芳(かぐ)ハシク、明沙清池、終日盤桓スルモ、其一般ヲ概スルニ難シ、此ニ其略ヲ記セン、
アレクサンドル氏は、接伴係をつとめた将軍(ゼネラル)アレクサンダーのこと。「盤桓」とは歩き回ること。一尺は約三十センチ。
「米欧回覧実記」の水晶宮に関する描写は、まだまだ続く。余程筆者久米邦武に強い印象を残したのであろう。
スフィンクス
クリスタル・パレスが造営されたときに設置されたものとされる。
全部で四躰ある。
公園内の鉄塔
クリスタル・パレス遺構
公園は少し高い丘にあり、遠くを望むことができる。
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