(ホテル羅賀荘)
幕府軍艦高雄記念碑
宮古から更に北上し、田野畑に向かう。ホテル羅賀荘の前に幕府軍軍艦高雄記念碑がある。宮古港に向かう途中、艦隊を組んでいた軍艦高雄は暴風雨により機関に故障を来し、結局、戦闘には参加できなかった。新政府軍の軍艦春日に追われ、この地で座礁した。高雄が座礁したのは記念碑のある対岸のイシ浜付近といわれる。
イシ浜
写真中央辺りがイシ浜。右端の岬は弁天崎である。
軍艦高雄の碇
傍らには、高雄から引き上げられた碇などが置いてあるが、海風に晒され完全に錆びている。貴重な歴史的遺産を適正に保存することを望む。
初日の旅程はここまで。宮古に引き返し、そこから更に盛岡経由でこの日の宿泊先である古川(宮城県大崎市)に向かう。振り返れば、この旅行で晴れていたのは初日だけで、あとは天候には恵まれなかった。盛岡では所謂ゲリラ豪雨に遭遇した。晴れると汗が止まらないほど厳しい猛暑となるが、それでも雨よりはずっと良いと思うのである。

幕府軍艦高雄記念碑
宮古から更に北上し、田野畑に向かう。ホテル羅賀荘の前に幕府軍軍艦高雄記念碑がある。宮古港に向かう途中、艦隊を組んでいた軍艦高雄は暴風雨により機関に故障を来し、結局、戦闘には参加できなかった。新政府軍の軍艦春日に追われ、この地で座礁した。高雄が座礁したのは記念碑のある対岸のイシ浜付近といわれる。

イシ浜
写真中央辺りがイシ浜。右端の岬は弁天崎である。

軍艦高雄の碇
傍らには、高雄から引き上げられた碇などが置いてあるが、海風に晒され完全に錆びている。貴重な歴史的遺産を適正に保存することを望む。
初日の旅程はここまで。宮古に引き返し、そこから更に盛岡経由でこの日の宿泊先である古川(宮城県大崎市)に向かう。振り返れば、この旅行で晴れていたのは初日だけで、あとは天候には恵まれなかった。盛岡では所謂ゲリラ豪雨に遭遇した。晴れると汗が止まらないほど厳しい猛暑となるが、それでも雨よりはずっと良いと思うのである。
実は私の祖父、加藤長太郎は彰義隊士、神木隊士として上野の山での敗戦後、榎本武揚等と函館に向かい、更に軍艦千代田形で庄内藩救援のため酒田沖の飛島に向かい、救援を果たさず、函館に引き返し、明治二年三月二十五日、官軍軍艦甲鐵奪取のため、回天,蛮龍、高雄の三隻で宮古湾を襲撃した。しかし蛮龍、高雄は船足が遅く、襲撃に間に合わず、官軍軍艦に追跡され、祖父の乗ったアシュロット(高雄)は田野畑村の海岸に乗り上げて船は燃やし、南部藩に降伏した。有隣堂から『フランス人の幕末維新』と言う本が出版され、その中に高雄に乗っていた佛人ウゼーヌコラシュの日記が掲載され、この時のことが書かれている。高雄の錨など遺品が津波によって失われていれば残念です。
田野畑や宮古、陸前高田、釜石周辺の史跡がどうなったか、とても心配です。報道を見る限り、史跡がどうのと言っている場合ではないような状況のようですし…。ひたすら一日も早い復興を祈るばかりです。