史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

函館 末広町 Ⅰ

2013年10月05日 | 北海道
(明治天皇御上陸記念碑)


明治天皇御上陸記念碑

 明治九年(1876)と明治十五年(1882)の明治天皇行幸を記念して、昭和十年(1935)に建てられたものである。

(北海道第一歩の地碑)


北海道第一歩の地碑

 維新後、函館は北海道の玄関口となった。青函航路で北海道に向かう者が、その第一歩を踏むのが函館の東桟橋であった。明治初年の青函航路は開拓使によって運行されたが、明治十二年(1879)に三菱が引き継ぎ、明治四十一年(1908)には国有の航路が就航した。
 北海道第一歩の地碑は、一見しても分からないが、白クマをデザインしたものらしく、言われてみればそれらしく見えてくる。

(函館市道路元標)
 東浜桟橋の近くに函館市道路元標の小さな碑がある。


函館市道路元標

(新島襄の像)
 新島襄は、新しい知識の必要性を痛感し、海外密航を企てるが、吉田松陰の失敗を考慮し、渡航地として箱館を選択した。元治元年(1864)、江戸から箱館にやってきて、しばらくニコライ主教に日本語を教えたりして過ごしていたが、同年六月十四日深夜、福士卯之吉(のちの成豊)の助力を得て、この地から海外渡航に成功した。上海経由で渡米した新島襄は、十年の修学の後、明治七年(1874)に帰国した。翌年には京都において同志社大学の前身である同志社英学校を設立した。


新島襄の像

 東桟橋のそばには、小舟で密航する新島襄の姿を描いた銅像が置かれている。思わず、こんな小さな舟でどこまで行く気だと突っ込みたくなる。背後は緑島。島に渡る橋は、新島橋と命名されている。

(赤レンガ倉庫群)


赤レンガ倉庫群と函館山

 箱館は横浜、長崎とともに安政六年(1859)に開港され、国際貿易港として発展した、金森倉庫は明治四十年(1907)頃の建築で、湊町函館のシンボル的存在となっている。現在は土産物屋などが入る観光スポットとして賑わっている。
 明治五年(1872)、イギリス領事のブラキストンから機械を譲り受けた福士成豊(續豊治の次男)はこの地に我が国初の気候測量所を開設した。

(明治館)


明治館

 「明治館」と称されているが、この建物が完成したのは明治も末の明治四十四年(1911)のことで、その後約五十年にわたって郵便業務がこの場所で行われた。現在、内部は土産物店となっている。

(箱館高田屋嘉兵衛資料館)
 かつて高田屋嘉兵衛の造船所のあった場所に、高田屋嘉兵衛資料館が開設されている。日本最古のストーブ(武田斐三郎が考案したものか)などが展示されているというので、是非見ていきたかったが、何と毎週木曜日は定休だそうで、残念ながら中を見ることができなかった。


箱館高田屋嘉兵衛資料館


高田屋嘉兵衛 造船所跡地

(五島軒)
 フランス料理店五島軒の初代料理長五島栄吉は、長崎の五島列島の出身で、長崎奉行所の通辞をしていた。函館戦争では旧幕軍に加わっていたが、五稜郭落城の間際に逃亡し、ハリストス協会に匿われた。ここでロシア料理やパンの焼き方を学んだ。東京で米相場に失敗し、函館に渡った若山惣太郎という人物が五島英吉と出会い、明治十二年(1879)に五島軒を開店した。当初はロシア料理店であったが、栄吉が横浜に去った後、若山がフランス料理人を連れてきて再建した。


五島軒

 現在、市内の至るところで「五島軒のレトルトカレー」を入手することができる。函館を代表する土産物の一つとなっている。


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