史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

函館 末広町 Ⅱ

2013年10月05日 | 北海道
(旧NHK放送局)


南部藩陣屋跡

 南部藩が幕命を受けて箱館に陣屋を構えたのは寛政十二年(1800)であった。傾斜地を利用した三段の土地で、最盛期には三百五十人ほどが勤務していたという。箱館戦争時に自ら陣屋に火を放ち南部に引き揚げてしまったため、建物の類は一切残っていないが、石塁だけが往事のままである。


南部藩陣屋跡石塁

(北海道坂本龍馬記念館)
少なくとも坂本龍馬は一度も北海道に渡っていないが、にも拘わらず、記念館がここにあるという事実にまず驚き入る。坂本龍馬は、幕府倒壊後、職を失った武士たちのエネルギーを蝦夷地の開拓と防衛に向かわせようという遠大な計画を立てていた。龍馬の死後、坂本家を継いだ甥の坂本直(高松太郎)は箱館に渡り、さらに本家五代目の坂本直寛が浦臼に入植したのは、龍馬の遺志を継いだということなのかもしれない。当館では北海道に渡った坂本一族の足跡も紹介している。因みに当館顧問は、坂本家九代目の坂本登氏である。


北海道坂本龍馬記念館


長崎の龍馬像原型

記念館の向かいにも坂本龍馬像があった。全国の史跡を訪問した私の知見では、幕末から明治期に活躍した人物像の数でいえば、坂本龍馬が二位であろう。では、一位は誰でしょう?


蝦夷地の坂本龍馬像

(答) 数えたわけではありませんが、像の数では二宮金次郎(尊徳)が、圧倒的に一番と思われます。


弥生小学校 二宮尊徳像

(日本最古のコンクリート電柱)


日本最古のコンクリート電柱

 函館では火災が頻繁に発生したため、耐火建築が発展したが、コンクリート製の電柱もその一つである。19.5センチ四方の角錐型という珍しいものである。大正十二年(1923)に建てられたものであるが、今なお現役というのがスゴイ。

 私はこれまでいかなる観光地に行っても、基本的には並んでまで食事をしないという主義(単に気が短いだけ?)を貫いてきた。しかし、今回は時間的に余裕ができたことに加え、あまりの暑さに動きまわる気力が失せたこともあって、ガイドブックに載っているラーメン屋に並ぶことにした。函館といえば、塩ラーメンが定番である。やはり行列ができるラーメン屋というのはさすがに相応の値打ちがあった。ついでにいうと、ラーメンというのは客の回転が速いので、長蛇の列であっても案外早く店内に案内してもらえることが判明した。

(和洋折衷の建物)
 函館市内を散策していると、特に西部地区の至るところに和洋折衷住宅を発見することができる。函館の和洋折衷住宅の特徴は、一階部分が格子窓を備えた和風建築で、二階には縦長の洋風の硝子窓となっているところである。


和洋折衷の建物


和洋折衷の建物




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 函館 末広町 Ⅰ | トップ | 函館 豊川町 »

コメントを投稿

北海道」カテゴリの最新記事