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これが私の生きる道

こむずかしいことやきれいごとは
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避けては通れないあのこと

2009年10月02日 17時19分55秒 | 思うこと
たぶん、小学、中学、高校、大学時代の同級生で
もう他界している人はいるはずだなぁと
何気なく思った。
もしかしたら当時好きだった子や付き合った彼女とかも
そうである確率はゼロではない。
軽く考えがちだけどこれって実はとてつもなく大きいことだと感じる。
だってもうその人は生物として一生を終えたということで
この先地球上で存在することはないと考えると
輪廻転生なんて信じていないから
イコール無ということになる。

それがこの先、自分の身にも必ず降りかかるというのは
リアルに想像するとものすごい恐怖になる。
上手くいかない時やつまづいた時に
もう死んじゃった方が楽かも、ってふと頭をよぎることがあるけど
それは想像力が無さすぎるのかもしれない。
仕事上のことでそう思うのなら辞めればいいだけの話、
これからの生活はとか世間からの視線とか考えればきりがないけど
死んだら全てが消えて終わることよりはまだマシだと思える。

生まれてきたからには絶対死ぬしかないんだけど
何かすごい不条理な気もする。
せっかく生まれてきたのに、って。

鳥居みゆきが新聞のコラムで、何か相談事を受けたときには
「今地球で生きている人達は100年後にはほとんどいない」
って答えるって言っていたけど
これはあらゆる悩み事の究極の答えだと思う。
殺したいほど憎んでいる相手もそう思っている自分も
100年後はおろか50年後でも存在している確率は相当低く
そう考えたら悩んでいること自体、無意味なことに思えてくる。
そもそも本質的に生きている意味なんてないんだから
悩むことに意味があるわけがないはず。

毎日、「○○さんが事故で亡くなりました」と1分にも満たないニュースで
さらっと伝えられるのは薄情に感じる。
その人にとっては最大の出来事である死が
情報の一部で処理されている現実が悲しい。
しかもそのすぐ後に面白ニュースみたいのが流れると
その節操のなさに呆れてしまう。

死をその直前まで意識しないのと
早くからその事実を認識するのとではどちらが幸せなのでしょうか。
自分はもう意識しないことはできないけれど
考えないですむのならそれの方がいいのかもしれない。
どっちがいいのかは永遠に知ることはできないのだけれど。

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