11月25日(月)
「チームオール弘前」は、2011年3月11日の東日本大震災をきっかけに、弘前市民と弘前大学が結集し、ボランティアセンターを築いたものである。
昨日は瓦礫撤去から始めた仲間と、現在の弘大ボランティアセンターの事務局のメンバーが久しぶりに再会して、楽しいひと時を過ごした。
最近は野田村に出かけることがなくなったが、その大きな理由は市民として得意な「がれき撤去」作業がなくなって、交流中心になってきていることもある。
経済的な貢献活動といえば言えるのかもしれないが、来年の春には野田村の海や川での釣りをしながら過ごしてみたいと思う。野田村でのがれき撤去作業のために通った4ヶ月感のバスの車窓から、野田村の渓相はとんでもなく魅力的なものに写っていた。しかし現実は、そんな楽しみを具体化するような状況ではなかった。野田村の商店街は壊滅的な打撃を受け、農家も民家も希望を失うに十分な状況だったからだ。
現在のボラセン事務局のメンバーは、野田村のあの騒然とした状況を体験していない若者たちだ。唯一数人はこの春の弘前城フルマラソンで一緒に走った仲間だった。
野田村もyoutubeなどで見ると、復興はまだまだ先のようだった。とりあえずは、また出かけてみようかと思うきっかけになった夜でもある。
「チームオール弘前」は、2011年3月11日の東日本大震災をきっかけに、弘前市民と弘前大学が結集し、ボランティアセンターを築いたものである。
昨日は瓦礫撤去から始めた仲間と、現在の弘大ボランティアセンターの事務局のメンバーが久しぶりに再会して、楽しいひと時を過ごした。
最近は野田村に出かけることがなくなったが、その大きな理由は市民として得意な「がれき撤去」作業がなくなって、交流中心になってきていることもある。
経済的な貢献活動といえば言えるのかもしれないが、来年の春には野田村の海や川での釣りをしながら過ごしてみたいと思う。野田村でのがれき撤去作業のために通った4ヶ月感のバスの車窓から、野田村の渓相はとんでもなく魅力的なものに写っていた。しかし現実は、そんな楽しみを具体化するような状況ではなかった。野田村の商店街は壊滅的な打撃を受け、農家も民家も希望を失うに十分な状況だったからだ。
現在のボラセン事務局のメンバーは、野田村のあの騒然とした状況を体験していない若者たちだ。唯一数人はこの春の弘前城フルマラソンで一緒に走った仲間だった。
野田村もyoutubeなどで見ると、復興はまだまだ先のようだった。とりあえずは、また出かけてみようかと思うきっかけになった夜でもある。