「縄文のこころが時代を蘇らせる」
文明評論家 上田 篤
眠気の中で「縄文時代」という言葉がキーワードになって、目覚めていった。
忘れないうちに記憶を残したいと思う。
以下は書評の一文。
われわれは、第2次大戦後2回目の「縄文ブーム」の中にいる。1回目は1960年代で、中心人物は岡本太郎。2回目は、90年代以降の「環境の時代」に呼応する形で盛り上がった。「環境にやさしい文明」としての縄文評価で、焦点がはっきりと異なっている。
著者は1回目の縄文ブームに、当事者の一人として立ち会った。70年の大阪万博のお祭り広場の計画に携わった著者は、万博の総合プロデューサーをつとめた建築家丹下健三の事務所を訪ね、広場の中心に屹立(きつりつ)する太陽の塔をデザインした岡本太郎に出会う。塔の模型を見て「これは何ですか」と問うた著者に対し、岡本は、「縄文だ!」といったきり黙ったそうである。マッチョな高度成長時代にふさわしいエピソードである。
一方、90年代以降の縄文ブームの縄文は本書が詳述するように、女性的でやさしい文明として定義される。その本質は男性的で血なまぐさい狩猟文明でもなく、効率重視の農業文明でもない、繊細な採集文明であった。日本独特の地形の中で食料、エネルギー共に自給自足する縄文の小集団は、3・11以降の社会の理想モデルなのかもしれない。男女関係でいえば、妻問い婚を基本とする母系社会で、今日はやりの、女性依存型の頼りない男性像の原型を見ることもできる。
細部の記述にはバイアスがききすぎた推測も多々見受けられる。しかし、これは学術書でなく、今という時代が求めるユートピアを「縄文」という形をかりて描いた一種の神話だとわりきって読めばいい。
時代が危機に遭遇すると、日本人はそれぞれが理想の「縄文」を創造して軌道修正をし、精神的バランスをとってきた。別の危機がくれば、また別の「縄文」が創造されるであろう。日本人は「縄文」というガス抜き装置のおかげできびしい今日をしのいでいる。そのしぶとさこそが、まったくもって縄文的というべきか。
(新潮社刊 「縄文人に学ぶ」上田 篤)
上記の書評とは別に、聞き書きの中で、印象に残ったのが縄文時代10,000年もしくは、12,000年前とも言われる弥生時代の前までの歴史。その縄文時代10,000年の間において、縄文人は何故争い事をしなかったのか。
それは女性社会だったからだと上田氏は言う。男性は優秀な子孫のみを自分の子供にしたがるが、女性は自分の腹を痛めた子どもすべては良い子であるという思いが男性と違うという。
上田氏は沖縄の建築物を研究していて、一つの習慣に気づく。結婚した女性が実家から嫁ぎ先に持参するのは囲炉裏の灰だという。そして足りなくなるとまた囲炉裏の灰を実家から持ってくるという。つまり囲炉裏の灰は神聖であり、女性のみが差配できる火の神様の使徒であること。縄文時代からずっと続いてきた文化は、「太陽信仰」であるという。太陽を信仰し、お日様がどの山から上り、どの山に沈んでいくかを観察していたのが女性たちであると。つまり天体観測に詳しくしていれば、食糧を計画的に手にすることができるという。狩猟民族にはない、採集民族としての知恵文化を持った人々という。この縄文時代には「国」というような概念はなく「里」(さと)というようなまとまりだったという。1里は現在でも3.3㎞の単位。その同族の者達が「里」を3キロ程度離れて暮らすことによって、お互いに食の確保が守られていた。白川郷にその原型が残されているという。
先日訪ねた「大湯ストーンサークル記念館」で知った、縄文の人々の鹿などの動物を捕らえる方法が、落とし穴だった。決してやりや由美などで血を流さずに、捉える方法だったことを思い出している。魚を捕らえるのも、投網ではなく梁のようなわらで作ったもので、魚がそこに落ちてくるのを待つ方法だったという。日本人の大切にしているものの価値観に、「旬」というものがあるという。旬という字もお日様が使われている。その時期に応じた食材は、山菜であったり、貝であったりする。会が一番美味しく、そしてお腹を壊さないで棲む時期に、採集して食していたという。これが貝塚に残っているという。
日本人だけが何故家に入る時に靴を脱いで入るのか?それは日本の家には神棚や仏壇が同居しており、そこに入るには当然の作法だという。そしてもう一つ、入り口の駆け上がり付近には、子どもたちの遺体を埋めていた習慣でもあるらしい。
もう一つが日本の「漆文化」これが、中国を起源としていたのが、実は1万年前にすでに縄文時代の器から漆器が出てきているとう事実。大湯ストーンサークル、三内丸山の遺跡を見ても、今の文明とはそんないかけ離れた生活水準ではないことを教えてくれる。あの土器とはいえ、縄文の文様の多様さや、瓶などの精巧さ。女性が身につける装飾品なども、今よりもセンスがあるかもしれない。
なんだかこれからの日本の目指すべき方向を、縄文文化が教えてくれている気がしてならない話であった。
文明評論家 上田 篤
眠気の中で「縄文時代」という言葉がキーワードになって、目覚めていった。
忘れないうちに記憶を残したいと思う。
以下は書評の一文。
われわれは、第2次大戦後2回目の「縄文ブーム」の中にいる。1回目は1960年代で、中心人物は岡本太郎。2回目は、90年代以降の「環境の時代」に呼応する形で盛り上がった。「環境にやさしい文明」としての縄文評価で、焦点がはっきりと異なっている。
著者は1回目の縄文ブームに、当事者の一人として立ち会った。70年の大阪万博のお祭り広場の計画に携わった著者は、万博の総合プロデューサーをつとめた建築家丹下健三の事務所を訪ね、広場の中心に屹立(きつりつ)する太陽の塔をデザインした岡本太郎に出会う。塔の模型を見て「これは何ですか」と問うた著者に対し、岡本は、「縄文だ!」といったきり黙ったそうである。マッチョな高度成長時代にふさわしいエピソードである。
一方、90年代以降の縄文ブームの縄文は本書が詳述するように、女性的でやさしい文明として定義される。その本質は男性的で血なまぐさい狩猟文明でもなく、効率重視の農業文明でもない、繊細な採集文明であった。日本独特の地形の中で食料、エネルギー共に自給自足する縄文の小集団は、3・11以降の社会の理想モデルなのかもしれない。男女関係でいえば、妻問い婚を基本とする母系社会で、今日はやりの、女性依存型の頼りない男性像の原型を見ることもできる。
細部の記述にはバイアスがききすぎた推測も多々見受けられる。しかし、これは学術書でなく、今という時代が求めるユートピアを「縄文」という形をかりて描いた一種の神話だとわりきって読めばいい。
時代が危機に遭遇すると、日本人はそれぞれが理想の「縄文」を創造して軌道修正をし、精神的バランスをとってきた。別の危機がくれば、また別の「縄文」が創造されるであろう。日本人は「縄文」というガス抜き装置のおかげできびしい今日をしのいでいる。そのしぶとさこそが、まったくもって縄文的というべきか。
(新潮社刊 「縄文人に学ぶ」上田 篤)
上記の書評とは別に、聞き書きの中で、印象に残ったのが縄文時代10,000年もしくは、12,000年前とも言われる弥生時代の前までの歴史。その縄文時代10,000年の間において、縄文人は何故争い事をしなかったのか。
それは女性社会だったからだと上田氏は言う。男性は優秀な子孫のみを自分の子供にしたがるが、女性は自分の腹を痛めた子どもすべては良い子であるという思いが男性と違うという。
上田氏は沖縄の建築物を研究していて、一つの習慣に気づく。結婚した女性が実家から嫁ぎ先に持参するのは囲炉裏の灰だという。そして足りなくなるとまた囲炉裏の灰を実家から持ってくるという。つまり囲炉裏の灰は神聖であり、女性のみが差配できる火の神様の使徒であること。縄文時代からずっと続いてきた文化は、「太陽信仰」であるという。太陽を信仰し、お日様がどの山から上り、どの山に沈んでいくかを観察していたのが女性たちであると。つまり天体観測に詳しくしていれば、食糧を計画的に手にすることができるという。狩猟民族にはない、採集民族としての知恵文化を持った人々という。この縄文時代には「国」というような概念はなく「里」(さと)というようなまとまりだったという。1里は現在でも3.3㎞の単位。その同族の者達が「里」を3キロ程度離れて暮らすことによって、お互いに食の確保が守られていた。白川郷にその原型が残されているという。
先日訪ねた「大湯ストーンサークル記念館」で知った、縄文の人々の鹿などの動物を捕らえる方法が、落とし穴だった。決してやりや由美などで血を流さずに、捉える方法だったことを思い出している。魚を捕らえるのも、投網ではなく梁のようなわらで作ったもので、魚がそこに落ちてくるのを待つ方法だったという。日本人の大切にしているものの価値観に、「旬」というものがあるという。旬という字もお日様が使われている。その時期に応じた食材は、山菜であったり、貝であったりする。会が一番美味しく、そしてお腹を壊さないで棲む時期に、採集して食していたという。これが貝塚に残っているという。
日本人だけが何故家に入る時に靴を脱いで入るのか?それは日本の家には神棚や仏壇が同居しており、そこに入るには当然の作法だという。そしてもう一つ、入り口の駆け上がり付近には、子どもたちの遺体を埋めていた習慣でもあるらしい。
もう一つが日本の「漆文化」これが、中国を起源としていたのが、実は1万年前にすでに縄文時代の器から漆器が出てきているとう事実。大湯ストーンサークル、三内丸山の遺跡を見ても、今の文明とはそんないかけ離れた生活水準ではないことを教えてくれる。あの土器とはいえ、縄文の文様の多様さや、瓶などの精巧さ。女性が身につける装飾品なども、今よりもセンスがあるかもしれない。
なんだかこれからの日本の目指すべき方向を、縄文文化が教えてくれている気がしてならない話であった。