夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

初夏の岩木山

2013-06-25 06:14:09 | つれづれなるままに
 岩木山に添うて暮らす者にとって山様の季節ごとの移り変わりや、日々の天候による山の変化に心も同じように動くことを感じています。
 
 6月も終盤に入り、草花も次第に実を結んだりしています。
 『板橋かずゆきブログ人』で、
「どう生きるか」VOL1556 日野原重明(聖路加病院理事長・同名誉院長・93歳)の言葉が掲載されている記事がありましたので、その一部をシェアします。

 「今日、骨髄で生まれた白血球は、1ヵ月後には死んでしまいます。
昨日、今日、明日と、コンスタントに生まれてくる細胞があるから、私はいま、生かされているわけです。
 ですから私は、「死」を覚悟する前に、自分は死の遺伝子をもつ細胞からできている」という意識を持つべきだと思 っています。そう考えれば、人間の死は、生の延長線上にある、生の一部なのだということ が、おわかりいただけるでしょう。
 遺伝子というものは、自分で選ぶことのできない、与えられた「運命」です。」(以後省略)

 このところ花々の美しさと、その後の結実された種子(果実)を見ていると、この生と死の輪廻を思うようになっています。

    
 私達地球上の生命体は、遺伝子の役割である「つなぐ」ことを使命として、生きているのだという実感を持つのです。そして更に人間は細胞分裂を繰り返すだけではなく、その分裂の中で生まれた「思想」をも残すことを学んでいます。その人が死んでもその人の果たした役割こそが、次の世代に残されて受け継がれていくことができるのです。

 

 人生を登山に例えることがあります。重い荷を背負いながら、何故山にのぼるのかという問いに、「そこに山があるから」という回答はあまりに単純な答えであると思います。あえて言い換えれば、「山を登ることで苦しさもあるが、その苦しみに耐えてこそ得られる喜びや、やがてはその経験が次の苦しさに耐えられる力となる」と言えるのではないかということです。

 三浦雄一郎さんは80歳で、エベレスト登頂を成功させました。「人生百年」という夢の様なこの時代にしても、80歳でエベレストを登った老人がいるということは、私のような60過ぎの初老の男にとっては、大いなる希望なのです。私の苦しみや簡単に諦めようとする傾向のある自分も、こうしていられないという勇気や希望を頂けた思いがします。
 そしてその成功の影には、三浦氏の日々の鍛錬があったればこその今回の成功だと思います。思い錘を両足に付け、リュックに人一人分のおもりを入れて、毎日歩くことがなければ、決して成功に繋がらなかったと思います。そしてそれは家族や周辺の理解者の、温かな支えがなければ達成できなかったことでしょう。

 さて、私は今年の目標としてささやかながら、写真の岩木山を登頂しようと目論んでいます。4時間の行程の岩木山神社から目指す岩木山(1625㍍)。そのためにも鍛錬を継続する力が湧くのです。