夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

観光客として野田村へ

2012-07-13 06:45:58 | 東日本大震災
7月7日(土)

 「岩木ふれあいボランティア会」の7名で、三陸鉄道・北リアス線に乗って野田村へ出かけました。
 これまではボランティアとしての訪問が主体でしたが、今回は観光客としての訪問です。米田地区の産直・安来(あんくる)店の代表・米田(まいた)やすさんを訪問しました。この日はあいにくの天候で、ヤマセで太平洋側は霧状態で景色がよく見えませんでした。
 午後12時45分陸中野田へ到着し、今夜の宿舎「えぼし荘」のマイクロバスをチャーターして、産直の店「安来」へと向かいました。プレハブ造りのこのお店は床屋さんなど3店舗が入居していました。
 早速米田さんにお目にかかりながら昼食を済ませました。
 
 
 

 米田さんのお話で強く印象づけられたのが、米田さんのリーダーシップです。去年の東日本大震災で、誰に言われたわけでもないのに自分が何をしなければならないのかを強くわかっている人だなと思ったのです。

               
 米田(米田地区)は国道45号線と、三陸鉄道北リアス線が海沿いを走る一つの沢のような水田地域です。それだけに津波が高く襲ってきたのかもしれません。津波は防潮堤と国道、三陸鉄道の線路も超えて米田地区を襲いました。野田村全体で37人の方がなくなった中で、この地域だけで8名の方がなくなったことや、3月30日に最後の行方不明者がこの地域から出たということも初めて知りました。


 米田さんの現在の仮店舗からも海が眺めることができます。
 米田さんのお話では、津波が国道を走る車を遅い流される光景も見たということでした。そして、震災津波の後、海側から米田地区に入る道路はがれきなどで遮断されて、食糧やガソリンなども途絶したそうです。野田村役場自体も津波で機能が低下し、自分達の生活は自分達で守るしかない1週間が待っていたのです。避難所にいる方々へ、米田さんはありったけの米や食糧を運んで、生活支援をしたそうです。
 米田地区には一本の道路が山側でもつながっていたので、他のとも行き来ができたのです。でも、ガソリンが少なかったことや、停電で寒い3月には暖房が必要だったそうです。
 あちこちからかき集めた、だるまストーブが結局大きな役割を担うことになりました。米田さんは人間として、アタリマエのことをしたという自負心だけで決してそれ以上自慢をするような方ではないことに気づきました。
 地震や津波さえなければ、米田さんたちが国道沿いで「豆腐田楽』を販売することができるのに、今は国道から結構離れた仮設店舗で営業を細々と続ける以外に道はないのです。
 米田さんたちと我々弘前市の有志がこれからどんな連携協力ができるのだろうかというテーマで、少しお話をしました。
 米田さんたちの作る豆腐田楽は塩発祥の街「野田村」だからこそ、苦汁を使って生きるのかもしれません。
 孫の「ゆめちゃん」たちの未来に、野田村を背負って生きていけるブランドとなれるように活性化できることを祈りながら、米田さんのお店を後にしました。
      
 


ジャガイモの花咲く

2012-07-05 06:39:26 | 創作(etude)


今年は
昨年と違って
ジャガイモの出来が
いいらしい
そんな
耳障りの
いい言葉を
聞いた
理由は
気温があまり
上がらなかった
ことだという


昨年は
30度超の
真夏日が
続いて
ジャガイモも
コブが
たくさんついた

ジャガイモの
幸せは
私の
幸せでもある
アルミホイル焼き
カレーライス
肉ジャガ
おでん
コロッケ
イモサラダ
シチュー
なんて言っても
アルミホイル焼きで
バターと
塩でいただく
あのシンプルな
食い方が
一番

ジャガイモは
私の
イチオシの
食材だ
ダンシャク
キタアカリ
メークインが
その代表で
インカのめざめ
インカのナミダ
アンデスレッド
シンシア
まだまだ
たくさん
頑張れ
ジャガイモ


草を刈るジジイ

2012-07-03 06:20:53 | つれづれなるままに
7月2日(月)曇

 それにしても空梅雨もここまで来ると、雨乞いをしたくなるような気分です。
 M党のドタバタ騒ぎの中で、公約(マニュフェスト)そのものが全くの空手形で終えようとしていることを国民はしっかりと理解したのではないでしょうか。かといってJ党かと言えば、現況はJ党にあったのだから同じ穴の狢としか思えません。鳩さんがこけ、管さんもこけ、今またこれでいいのださんがコケかかっている。鳩が出るぞーと言いながら、結局ドジが出ただけだった。いらかんさんも福島原発で怒鳴りっぱなしで、結局地元の人達のために何もしなかった。
 J党にとってみれば、なんにも国民の側に立っているとは思えない党利党略ばかりがスケスケに見えていて、これでいいのださんを攻めれば攻めるほど、自分たちの首も締まってくることがわからない状況。
 出直し選挙と言いながら、先の読めない財政状況の中でそんな事ばかりやっているから、外国の首脳に相手にされないというのがまだわからないのだろう。
 これでいいのださんはもう少し最後のあがきとして、かつてマスコミは敵だといってテレビカメラだけを相手に会見を行ったエイちゃんのように説明をきちんとしたらまだ救われるのになあと思ったりしている。
 いずれにしても正体が見えてくることは、我々国民にとってはその姿がどうであれいいことだと思う。これからそういう人達の言うことを真に受けないようになるのだから・・・。
 あ、そうだ草刈りです。昔津軽に吉永小百合が弘前の作家「石坂洋次郎」の「草を刈る娘」という映画ロケに来たことがあるそうです。その時に子供役でその映画にでたという方々も、今は63,4歳です。今、吉永小百合だって70歳近くになっているのではないだろうか?いや、もう超えたのかな??小学生の頃もう浜田光夫さんと「愛と死をみつめて」なんて演じていたのだから、当然私よりも10歳は上だと思う。ま、いいか!


 このところあうんの花壇を少しきれいにしたいと思って、草とり、草刈りをしています。あうんの建物の裏にある畑もカラカラ状態で、刈払い機で草を刈ると砂塵が舞っています。それでもだいぶ綺麗になって来た感じです。これから20日過ぎにはまた学校が夏休みになり、朝から賑やかなあうんになるのだと思います。プールを出したりして、少しでも涼しく夏を乗り切って欲しいと思いながら、草を刈っています。

 花壇は今やレモンバームというハーブと、どうでも良い草でいっぱいになっています。きょうはこの花壇を一度きれいにして、ハーブ畑を作る心づもりでいます。人前で慣れないというか、自分に似合わない話をしてきた5月から6月の切なさを思えば、最高にこの土に向かう自分が好きです。
 敷地内にある「スグリ」の実が真っ赤に鈴なりです。見ているだけで酸っぱいと口の中が唾液でいっぱいになりそうです。これが東北の夏の味かもしれません。

文月~半夏生(はんげしょう)

2012-07-01 06:46:24 | つれづれなるままに
7月1日(日)晴

 きょうから文月、そして半夏生。

 「半夏生」とは暦辞典によれば、七十二候の一つで、夏至から数えて十一日目の日をいう。
 半夏生は「カラスビシャク」(写真)の漢名で、「かたしろぐさ」ともいい、ドクダミ科に属し、水辺に生える多年生草木で、一種の臭気を持っている。それが生える時期を半夏生という。
 この日には天から毒気が降るとか、大地が陰毒を含んで独草を生じるなどといって、すべての野菜を食べない。あるいは種をまくことを忌むなどの禁忌がある。
梅雨が程なく終わる頃に辺り、田植えはこのころまでに終わる。
 半夏生の天候で稲作の豊凶を占うともいい、またこの日、雨降りだと大雨になるなどとも言われる。

 早いもので、一年の半分がもはや経ったことになります。
 昨日は久しぶりにサイクリング車を出して、片道6㎞の行きつけの床屋まで出かけました。
 サイクリングの良さは、小回りがきくこと、野の花々を見る余裕ができること、そして5月のニセアカシアの甘い香りや6月の栗の花の匂いなどでの季節感を感じることができます。
 野鳥の子育てのにぎやかな声なども、聞くことができるなどの楽しみもありですね。
 梅雨入りしたと言いながらも、全くの空梅雨状態で少し降って欲しいなと思うほどの天候が続いています。梅雨のジトジト感もなくて、カラッとしているのだけが救われますが・・・。
 

 今月は結構スケジュールが賑やかです。
 きょうはこれから市民会館で「第3回国際子ども文化芸術交流~バリ島からこんにちは」を娘たちと鑑賞にでかけます。そして夜は西宮からのお客様と飲み会です。

  7日(土)~8日1泊2日で、野田村旅行。これは車ではなく三陸鉄道に乗って海側から      野田村の復興の様子を見る旅です。
  9日(月)岩手県一関市の社会福祉法人 平成会を視察見学
 13日(金)お山参詣登山ばやしの練習日
 14日(土)地域の方の結婚式17:00~
 15日(日)15:00~弘前交響楽団「様^コンサート」
 21日(土)お山参詣の長寿会から子ども会へのお話(語り部)
      ご幣づくり~カンナガラづくり見学サポート