7月16日(月)
空梅雨と思われた青森県は、ダムの水も干上がってしまっていた。水田を始め、畑の土もカラカラに乾ききっていた。
ようやく昨日くらいから本格的なまとまった雨が降り、植物も潤っていることだろう。
昨日は家族4人で、弘前交響楽団の「2012サマーコンサート」に出かけた。市民会館に開場30分前に到着したがすでに駐車場は満車になっていた。
コンサートにはできるだけ娘たちを連れていきたいと思っているので、招待があれば必ず出かけることにしている。でもこれがまたわが娘たちにとってはバリアが多いので、連れて行くことを躊躇してしまう。
一つ目のバリアは、市民会館は昭和39年(東京オリンピックの開催年=1964年)に竣工した建物で、なおかつ著名な建築家「前川國男氏」の設計である。そのためにか未だに車椅子の方を始めとして、障がい者や高齢者には特にやさしくない建物を改善できないでいるのだ。
私が弘前市民になって最初に市民会館に足を運んだのは、忘れもしない筋ジスの方の「車椅子の青春」という映画を見る機会がこの会場であった。主人公の青年が舞台に上がって公演する時、私もその電動車いすを持ち上げる一人になった。階段から舞台の上まで持ちあげるのだ。電動車いすにはモーターなどが装備されていて、それに本人の体重がプラスされるので、半端じゃない重さだった記憶が残っている。
当時の課題は未だに、ほとんど残っていることになる。強いて変わったことを言えば、車椅子トイレだけはあるということくらいだ。歴史的建造物を大切に思うことは理解できるが、市民会館という名前がつく以上はこの高齢社会にあって、いつまでも排除する人々が大勢いることを放置するというのはいかがなものだろうか。
招待を頂いて会場に入場してから、車椅子の娘を座らせるスペースはあるが
、付添の椅子すら準備されていない。結果昨日は空いていた上の客席4段目に娘を座らせるデモンストレーションを行った。「車椅子だぞー」というパフォーマンスを大勢の市民に見せつけてやることになったのだが、4段の階段を車椅子ごと後ろ向きで引き上げた。家内にも手伝ってもらわなければとてもではないが狭い座席には50キロを超える娘を座らせることはできない。その時会場にいた弘響の会場担当の方がそれを見て走りよって手伝ってくれた。会場の座席が跳ね上げ式だったらどんなに楽に座らせることができるだろうと思った。階段の幅が狭いために前輪キャスターは上げっぱなしにしないといけないので、結局3人のてをわずらわさないと車椅子の人の移乗は無理である。汗をかいてようやく二人の新対処会社を座席に座らせることができた。
もう一つのバリアは発達障害者(知的障がい者・自閉症者)の喜びを始めとする声や動作による意識レベルの問題である。
私の娘も他人の迷惑になるといえば、様々な言葉に変わる声を出す。それに加えて座席のスプリングを利用して座ったままでジャンプしたり前後に体を揺すって動きまわる。結果48年前の狭い座席がギシギシと音を立てることになる。娘は恥ずかしいなどということはわからなし、まして他人さまのことなど考える力はない。結果的に周辺からの「何だこいつらは、うるせーな・・・」という意識が付添者に刺さってくるのだ。
こういう環境下にあって、「あー連れてきてよかった、楽しかったねえ」などとはとってんも思えないのだ。次女はでも音楽が始まれば耳を澄ませて聞こうとしているし、楽しさだって理解できるのだ。でも苦手なのが演奏が始まる前の挨拶や、演奏の音が離れすぎて聞こえないと、つい様々な音を楽しんでしまうことになる。
先日の招待でもなんとか我慢して1時間で退場を、今回は20分で退場と記録更新してしまった。新記録だって決して喜んでばかりではいられない。前回は結局公園の中を歩いてベンチに座ったらたちまち娘は、静かになった。そして今回は会場の外でもスピーカーから開場の演奏の音は聞こえるようになっているので、そこで聞くことができた。娘はそれでもそこではそんなに声を張り上げることもなく、結構楽しんでいたのが救いだった。
結局3時30分に開演したコンサートは5時30分まで続き、会場の観客が退場するのを待って長女と家内の咳に迎えに行った。長女を車椅子に乗せる際に、娘を二人で介助していると、最初に介助の手伝いをしてくれた弘響の会場係の方がそれを見つけて駆け寄ってきた。それも弘響の団長を突き飛ばす勢いだった。あとで家内に聞いたら、コンサートの途中でも、ワタシと次女が海上から消え、更に車椅子もないのできょろきょろ探していたようだったとのこと。気にかけて下さったこの会場担当者の心配りが、今回のコンサートでのなによりのおみやげとなった。名前は知らないが、そう、フランク永井(かなり古い)風の黒い蝶ネクタイと黒スーツの方だった。ありがとうございました!
わが町旧岩木町にある文化ホール「あそべーる」と五所川原市の「オルテンシア」の会場には、赤ちゃん連れや障がい者が声を上げることは当たり前というコンセプトで、開場の上にガラス張りの防音室で、スピーカーからも音が聞こえるような配慮をしている。そういう場所でしか許されないエリアのものもいることをいることを、多くの方に知ってもらいたい。
忘れもしない弘前文化センターでのこれも招待コンサート。一番前の咳を確保していただいて楽しんでいたら、観客の男性から『うるさいから出て行け。みんなの迷惑だ」と言われ、退場したことがあった。招待してくれた主催のサエラさんが、私達がいないのを気づき第二幕のはじめに、私達を舞台にあげてくれて説明してくれた。
結局後日サエラのお二人がわが施設まで来て、その際のお詫びを言ってくれた。私がサエラさんにわびを言われて喜んだと言うよりもその時のエピソードとして、会場にいた観客で、車椅子のお年寄りの気持ちを聞いて喜んだのだった。アンケートにその方の気持ちが書かれていたというのである。
それは「自分がコンサートに車椅子で行くしかない状態なので、めぐさい(はすかしい)ので行きたくなかった。でも会場に来たら車椅子の方がいてホッとしている自分がいた。おかげで私も音楽を堪能することができた」というのである。
「様々なバリア」それは「お互いの思いやりや気遣い」で解消できるバリアだと、今回もまた思うこととなった。
私達親子はこれからもそれでも、会場に足を運ぶだろう。そうすることで少しでもこの2つのバリアが改善されることになると信じているから・・・。
空梅雨と思われた青森県は、ダムの水も干上がってしまっていた。水田を始め、畑の土もカラカラに乾ききっていた。
ようやく昨日くらいから本格的なまとまった雨が降り、植物も潤っていることだろう。
昨日は家族4人で、弘前交響楽団の「2012サマーコンサート」に出かけた。市民会館に開場30分前に到着したがすでに駐車場は満車になっていた。
コンサートにはできるだけ娘たちを連れていきたいと思っているので、招待があれば必ず出かけることにしている。でもこれがまたわが娘たちにとってはバリアが多いので、連れて行くことを躊躇してしまう。
一つ目のバリアは、市民会館は昭和39年(東京オリンピックの開催年=1964年)に竣工した建物で、なおかつ著名な建築家「前川國男氏」の設計である。そのためにか未だに車椅子の方を始めとして、障がい者や高齢者には特にやさしくない建物を改善できないでいるのだ。
私が弘前市民になって最初に市民会館に足を運んだのは、忘れもしない筋ジスの方の「車椅子の青春」という映画を見る機会がこの会場であった。主人公の青年が舞台に上がって公演する時、私もその電動車いすを持ち上げる一人になった。階段から舞台の上まで持ちあげるのだ。電動車いすにはモーターなどが装備されていて、それに本人の体重がプラスされるので、半端じゃない重さだった記憶が残っている。
当時の課題は未だに、ほとんど残っていることになる。強いて変わったことを言えば、車椅子トイレだけはあるということくらいだ。歴史的建造物を大切に思うことは理解できるが、市民会館という名前がつく以上はこの高齢社会にあって、いつまでも排除する人々が大勢いることを放置するというのはいかがなものだろうか。
招待を頂いて会場に入場してから、車椅子の娘を座らせるスペースはあるが
、付添の椅子すら準備されていない。結果昨日は空いていた上の客席4段目に娘を座らせるデモンストレーションを行った。「車椅子だぞー」というパフォーマンスを大勢の市民に見せつけてやることになったのだが、4段の階段を車椅子ごと後ろ向きで引き上げた。家内にも手伝ってもらわなければとてもではないが狭い座席には50キロを超える娘を座らせることはできない。その時会場にいた弘響の会場担当の方がそれを見て走りよって手伝ってくれた。会場の座席が跳ね上げ式だったらどんなに楽に座らせることができるだろうと思った。階段の幅が狭いために前輪キャスターは上げっぱなしにしないといけないので、結局3人のてをわずらわさないと車椅子の人の移乗は無理である。汗をかいてようやく二人の新対処会社を座席に座らせることができた。
もう一つのバリアは発達障害者(知的障がい者・自閉症者)の喜びを始めとする声や動作による意識レベルの問題である。
私の娘も他人の迷惑になるといえば、様々な言葉に変わる声を出す。それに加えて座席のスプリングを利用して座ったままでジャンプしたり前後に体を揺すって動きまわる。結果48年前の狭い座席がギシギシと音を立てることになる。娘は恥ずかしいなどということはわからなし、まして他人さまのことなど考える力はない。結果的に周辺からの「何だこいつらは、うるせーな・・・」という意識が付添者に刺さってくるのだ。
こういう環境下にあって、「あー連れてきてよかった、楽しかったねえ」などとはとってんも思えないのだ。次女はでも音楽が始まれば耳を澄ませて聞こうとしているし、楽しさだって理解できるのだ。でも苦手なのが演奏が始まる前の挨拶や、演奏の音が離れすぎて聞こえないと、つい様々な音を楽しんでしまうことになる。
先日の招待でもなんとか我慢して1時間で退場を、今回は20分で退場と記録更新してしまった。新記録だって決して喜んでばかりではいられない。前回は結局公園の中を歩いてベンチに座ったらたちまち娘は、静かになった。そして今回は会場の外でもスピーカーから開場の演奏の音は聞こえるようになっているので、そこで聞くことができた。娘はそれでもそこではそんなに声を張り上げることもなく、結構楽しんでいたのが救いだった。
結局3時30分に開演したコンサートは5時30分まで続き、会場の観客が退場するのを待って長女と家内の咳に迎えに行った。長女を車椅子に乗せる際に、娘を二人で介助していると、最初に介助の手伝いをしてくれた弘響の会場係の方がそれを見つけて駆け寄ってきた。それも弘響の団長を突き飛ばす勢いだった。あとで家内に聞いたら、コンサートの途中でも、ワタシと次女が海上から消え、更に車椅子もないのできょろきょろ探していたようだったとのこと。気にかけて下さったこの会場担当者の心配りが、今回のコンサートでのなによりのおみやげとなった。名前は知らないが、そう、フランク永井(かなり古い)風の黒い蝶ネクタイと黒スーツの方だった。ありがとうございました!
わが町旧岩木町にある文化ホール「あそべーる」と五所川原市の「オルテンシア」の会場には、赤ちゃん連れや障がい者が声を上げることは当たり前というコンセプトで、開場の上にガラス張りの防音室で、スピーカーからも音が聞こえるような配慮をしている。そういう場所でしか許されないエリアのものもいることをいることを、多くの方に知ってもらいたい。
忘れもしない弘前文化センターでのこれも招待コンサート。一番前の咳を確保していただいて楽しんでいたら、観客の男性から『うるさいから出て行け。みんなの迷惑だ」と言われ、退場したことがあった。招待してくれた主催のサエラさんが、私達がいないのを気づき第二幕のはじめに、私達を舞台にあげてくれて説明してくれた。
結局後日サエラのお二人がわが施設まで来て、その際のお詫びを言ってくれた。私がサエラさんにわびを言われて喜んだと言うよりもその時のエピソードとして、会場にいた観客で、車椅子のお年寄りの気持ちを聞いて喜んだのだった。アンケートにその方の気持ちが書かれていたというのである。
それは「自分がコンサートに車椅子で行くしかない状態なので、めぐさい(はすかしい)ので行きたくなかった。でも会場に来たら車椅子の方がいてホッとしている自分がいた。おかげで私も音楽を堪能することができた」というのである。
「様々なバリア」それは「お互いの思いやりや気遣い」で解消できるバリアだと、今回もまた思うこととなった。
私達親子はこれからもそれでも、会場に足を運ぶだろう。そうすることで少しでもこの2つのバリアが改善されることになると信じているから・・・。