7月7日(土)
「野田塩工房」は、東日本大震災の際に、津波に襲われ壊滅した。
現在地の「えぼし荘」のすぐそばには、5月に移転したらしい。
昔の製塩の再現をしているが、この方法は海水を汲んできて、鉄釜で煮る方法である。
4日間もかかってできるという。だから全くの観光用で、結構高い値段がついている。
市販されている国の塩とは違って、舐めると後から甘みが出てくる。
久慈市から平日は、障がいのある方が二人ほど働きに来ていると聞いた。
昔は塩は貴重品で、10日間もかかって、ウシに背負わせて塩の道を歩いて盛岡市や雫石まで行ったという。
昨年塩の道を歩いたが、結構な坂道で往時の大変さが実感された。のんびりとした時代でもある。陸中野田駅前には、その当時の塩を運んだという牛の像が建っていた。
翌朝一路また八戸に向かって、三陸鉄道に乗り込んだ。
「野田塩工房」は、東日本大震災の際に、津波に襲われ壊滅した。
現在地の「えぼし荘」のすぐそばには、5月に移転したらしい。
昔の製塩の再現をしているが、この方法は海水を汲んできて、鉄釜で煮る方法である。
4日間もかかってできるという。だから全くの観光用で、結構高い値段がついている。
市販されている国の塩とは違って、舐めると後から甘みが出てくる。
久慈市から平日は、障がいのある方が二人ほど働きに来ていると聞いた。
昔は塩は貴重品で、10日間もかかって、ウシに背負わせて塩の道を歩いて盛岡市や雫石まで行ったという。
昨年塩の道を歩いたが、結構な坂道で往時の大変さが実感された。のんびりとした時代でもある。陸中野田駅前には、その当時の塩を運んだという牛の像が建っていた。
翌朝一路また八戸に向かって、三陸鉄道に乗り込んだ。