夢発電所

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結婚観

2012-07-17 06:50:18 | つれづれなるままに
 結婚披露宴に招待され、出席した。私はそもそも格式というものが苦手で、式と名のつくものは、極力避けたいと内心思っている。
 形は大切だと思う人はいるだろうが、中身こそ大事だと思う人もいる。
 あなたはどんな服を着るのかということと、そんなに違わない。個々の生き方の違いとでも言ったらいいのではないか。戦前は軍国主義真っ盛りの頃、他人の生活のあり方にまで口を挟む時代があったようだが、今や時代は変わって自由な気風が尊重されている。
 無宗教の私は結婚式など無用と思う時代があり、両家の最も身内の者だけで顔合わせの食事会をしただけである。
 そうしたから結婚生活の質が違うかといえば、そんなに感じられない。
 私が一番肝心なこととして強調したいのは、「世間体」であるとかはどうでもいいということである。そして、自分の力量で生きることができることが、結婚の第一歩だと思う。親から散財してもらってまで、見栄をはった結婚披露宴は望まなかった。そもそも、あのセレモニー自体が私には気に入らない。どう考えても、あの式場の言いなりになった中に自分らしいものを感じることなどできないのだ。
 他人はともかく、私は結婚というこれまで全く別の暮らしを生きた双方が、同じ家・空間で価値観を共にして生きていくのだ。並大抵のことではないことが、時間とともに感じられることだろう。
 まして相手方の家族と同居するということは、体内に見しらに行きものが巣食うようなものではないか。通常の体であっても発熱し、時には膿み、病んだりもする。それが普通だろう。長い年月で、慣れていくしかない。慣れと言っておかしければ、学んでその共同体に同化していくしかないのではないか。
 所詮人間で、完全なる結婚などありはしない。それこそが40年近い結婚生活の、実感にほかならない。
 一番大切にしたいことは、その家ごとの個性的な生活である。