夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

二人の赤ちゃん

2011-11-10 07:21:56 | 私と福祉とであいの旅
11月9日(水)AM10時

 育児休暇中の二人のお母さんが、9月に生まれた2ヶ月の赤ちゃんを連れてやって来ました。


  抱っこさせてもらいましたが、まだ5㎏しかないのです。でも、これが30分もしないうちに、じわりと重く感じるものですね。ふたりとも同じ病院の産科で、同じ月に同じ部屋で出産を体験しています。誕生日も9月生まれの男児で、誕生日も3日しか違いません。
 この二人の赤ちゃんがこれからどんな人生を歩くことになるのか、今は希望と夢の世界ですね。それにしても、つきたての餅のように柔らかく、すべすべでした。
 私も体験できない「爺ちゃん」役がこの日実現しました。爺ちゃん役も、なかなかいいもんですね。


隣組の葬儀

2011-11-08 06:44:43 | つれづれなるままに
11月7日(月)

 隣組の88歳のおばあさんが亡くなって、昨日の午前11時から市内のセレモニーホールで法要がありました。隣組の案内のあった方々と共にチャータータクシーに乗って斎場を目指しました。
 隣組といってもこの法要は、最近は手伝うこともなく葬祭屋が全てをまかなって執り行われます。そのこともあってか次第に葬祭も簡素化され、金で解決する形に変わりつつあります。その家(故人)との付き合いにより、招かれたり招かれないなど濃淡が現れます。
 今から10年前には確かに隣組機能は健在でした。みんなでお葬式の準備手伝いをしたことを記憶しています。町会の長老が指揮をして、準備の相談と役割分担を決めていたのです。

 今回の法要も故人は88歳の女性であり、新聞にもお悔やみ欄への掲載がなかったためか参列者はごく内輪だけだったようです。故人は30年ほど前は民生児童居委員協議会の役員などもされた方ですから、案内すればかなりの方々が参列されたはず。しかし後年は認知症なども進んで、内輪で済ませることになったのかも知れません。

 火葬から通夜、そして昨日の取越法要まで形は同じでしたが、参列者が少ないことだけが少し違っていました。
 仕事柄もあってか、なかなか近所でも会えない人もあって、こうした慶弔の機会しか顔を合わせない方々も多いのです。久しぶりに送迎車内で会話をして近況を確認しあっています。
 それぞれの家の宗派により菩提寺も異なっていて、弘前市内にも曹洞宗と門徒衆に分かれていて、葬儀の費用も多寡があるということが誰かの口から流れていました。

 きょうの法要は葬式が終えた後の「お斎(とき)」が予定されており、会費制で1万円を受付に収めています。
 午前11時から11時30分まで法要が進み、午後12時までに二度目の取越法要が15分程度行われます。それが済めば、お斎会場にてこの葬式の導師を務めた曹洞宗の住職2名の参列を得ての会食です。13:45には終了してまたチャータータクシーが私たちを迎えてくれました。

 葬儀法要もだらだらといつまでも飲むという習慣もなくなって、近代的な法要の在り方を実感しています。

 
 
 

野田村「和佐羅比山」登山

2011-11-06 07:18:24 | チームオール弘前
11月5日(土)快晴

 朝6時30分同じ町会でサイクリング仲間のMさん夫妻、Fさんの同乗車の迎えを受けて、家内とふたりきょうは「野田村の最高峰登山です。
 野田村の一番高いとされる「男和佐羅比山/O・Wasarabiyama」814メートル。この山を野田村の方々と一緒に登る予定で、弘前から観光バス3台が発車しました。
 参加者はチームオール弘前が107名と野田村から32名の139名の参加でした。

 「和佐羅比山」の由来は諸説あるようですが、アイヌ語で「自分たちが大勢で浜に降りるところ」という意味だそうです。男山の左と女山の右の間を塩の道が分けています。

 

 最初から「心臓破りの坂」という急坂を10:40AMから登りはじめ、昼食休憩地まで約2時間かかって進みました。

 山々は晩秋の装いといいながらも、気温が高いのかまだ青い葉も目立っています。

 参加者の年齢層は8歳くらいの小学生から70歳代までと幅広く、チーム北リアスの会員では外国の方々も協力されていたようです。何しろ100名を超える参加者の登山は、かなりの長蛇の列が延々と続きます。塩の道を利用した登山道ですから、和佐羅比山を右(南)側から巻いて近づく感じでした。

 13:00を過ぎに、第一の目的地である登山道入り口に到着しました。

 かなり気温も高かったのか、汗で衣類も濡れてしまいました。枯葉が林道を覆っていて、歩くのもかなり疲れます。

 昼食はおにぎりと肉汁でした。温かな肉汁が空腹と疲労を癒してくれました。

 いよいよ弘前大学の津軽三味線サークルの演奏です。紅葉の林の中での演奏は、とっても心地よく感じられました。


 そして「たいぞうさん」のアコースティックギターでのコンサートと、みんなで歌った「上を向いて歩こう」は「チームオール弘前」と野田村の方々の熱い思いが込められました。


 コンサートで思いのほか時間が過ぎて、ようやく登山再開です。途中時間が気になりだしながら、ほぼ全員が頂上を極めました。

 遠く太平洋と十府ケ浦海岸がかすんで見え、復興基盤が進んだ野田村が佇んでいました。



 頂上を極めた皆さんが万歳三唱をしたり記念撮影をして、感慨にふける暇もなくまた下山開始です。秋の夕日はつるべ落としといいますから、午後4時を過ぎると薄暗くなってきます。

 予定の時間を大幅に遅れてしまい、予定の集合場所に着くころは懐中電灯がなければ見えなくなりそうな暗さになっていました。

 みなさんそれでも無事に帰着することができ、満足感でいっぱいでした。
 PM4:15野田村前到着時間が、結局午後5:30ごろになってしまいました。野田村の皆さんやチーム北リアスの皆さんとお別れしました。
 野田村のSさんと少しお話をして、またお目にかかれる日を誓い合いました。

 バス車中での個別の感想紹介をして、疲労困憊の車中は静かな眠りの場となっていました。
 
 もう一度今度は自分のペースで、この山の頂上に立ってみたいものだと一人思っていました。 

「何のために」

2011-11-04 05:52:20 | こころに残る言葉
11月4日(金)快晴

 昨日は自転車で通勤したが、徒歩では片道5000歩近くになる万歩計が、往復で4000歩を少し超える程度しかカウントされていない。先日大豆の収穫で畑で1時間作業をしただけで5000歩をカウントしていたのだから、作業をしながら歩くことの意義はそこにあるのかも知れない。

 「何のために、それをするのか?」という問いがあった。
 何のために、あなたは働いているのか?そう聞かれたらあなたは、なんと答えるだろうか?
 糧を得るためにという答えもあるだろう。欲しいものがあるので買うために・・・という答えや、家族を守るためにという答えもある。
 それでは何の仕事でも良いのかと、もう一度問われることとする。その時あなたは、なんと答えるのだろうか。

 生まれてきた以上、納得の行く人生を生きたいと願う思いがある。人生を後にするときに、「ああ、生まれて来てよかったなあ」そう答えられる人生でありたい。
 昨日は文化の日で、文化勲章を授与された人々が新聞に載っていた。毎年文化の日になると思うのだが、私は勲章だけはもらえないし、貰いたくない一人である。いかなる表彰ですら、固辞して生きてゆきたい。
 私は宮沢賢治言うところの「デクノボー」でありたいと願う。

  雨にも負けず
  風にも負けず
  雪にも 夏の暑さにも負けない
  丈夫な身体を持ち
  欲はなく
  決して怒らず
  いつも静かに笑っている
  一日に玄米四合と
  味噌と少しの野菜を食べ
  あらゆることを見聞きし解り
  そして忘れず
  野原の松林の陰の
  小さな茅葺の小屋にいて
  東に病気のこどもあれば
  行って看病してやり
  西に疲れた母あれば
  行ってその稲の束を負い
  南に死にそうな人あれば
  行って怖がらなくても良いといい
  北に喧嘩や訴訟があれば
  つまらないからやめろと言い
  日照りの時は涙を流し
  寒さの夏はおろおろ歩き
  みんなにデクノボーと呼ばれ
  褒められもせず
  苦にもされず
  そういうものに
  私はなりたい」

 (「雨にも負けず」)

 

白鳥飛来と錦秋の岩木山

2011-11-02 11:30:03 | つれづれなるままに
11月2日(水)快晴

 大豆収穫のためにメンバーさんと、大豆畑にて午前中汗を流しました。とても暖かで、気持ちの良い朝でした。
 しばらくするとどこかで、白鳥の鳴き声がしました。見上げると白鳥が編隊を作って上空を飛来していました。この日で白鳥を見るのは二度目ですが、こうしてカメラに撮影できたのはうれしいことです。

 

 岩木山方向に向かいましたので、白鳥編隊はまだ遠くまで行くのでしょうか。


 

遠くても近い人

2011-11-01 06:30:59 | 私と福祉とであいの旅
10月31日

 夕方、横浜のすずき画伯からお電話を頂いた。すずき画伯とお話をしていると、いつも感じることではあるが心が軽くなる。大先輩ではあるが、身近に居れば、なんだかすぐにも横丁の焼き鳥屋でお酒でも酌み交わしたくなる方である。
 昨日は娘の病気を心配してくださってのお見舞いの電話と、宗教的な話まで広くなった。私の娘の病気入院と、画伯の奥様の入院時期が重なっていたこともあって、お互いに心痛めた日々が共感できたような気がしている。というのも、画伯と私は日常的にこのブログを通じて知り合い、そして互いにそのブログを行き来しているのである。だからお互いの思いは結構共有できる時間を持つことができる気がしている。奥様も私たち夫婦と年代は同期でもあり、3年前に弘前においでになった折にお目にかかることもできた。そして私のもう一人のアーティスト・今は兵庫県に在住のはせくら みゆきさんも以前横浜にいらしたこともあって、共通の友人になっている。画伯の奥様は沖縄県石垣島出身であり、はせくらさんも沖縄で5年間ほど過ごした時期に我々も訪問したことがあった。そんなこんなで、いつのまにやら画伯とは、心置きなく何でも話せる仲になっている。
 つい最近の画伯のブログでは、「隠居」というテーマがあった。そして今回は「宗教」という話題である。どうやら日本には四季という美しい輪廻があるが、わたしたちも人生上ではようやく秋口に差し掛かっていることを互いに感じているのかも知れない。美しい秋を人生の終盤に例えれば、いかにこころをそこで豊かで樂しく深めることができるのかが、今の時期の目標なのかも知れない。この年代でなければわからない健康で居ることの感謝や、生かされていることの感謝でもある。
 私も最近キリスト教と縁が少なからずあって、自分なりに無宗教では居られないなと思うことがある。しかし形だけのものではなく、精神的な深みを感じさせてくれるキリスト教(カソリック)を、仏教的な祭事よりも身近に感じ始めている。それは信徒・牧師の精神性からも伺うことができる。日本の仏教は今や堕落して、自らの欲得が強く意識させられることが鼻をつきはじめている。
 画伯のお付き合いされているカソリックの聖者は、そういう意味では本当に物欲や金銭欲からも遠い生き方をされているというところに共感する。
 今偶然読んでいる「クーデンホーフ光子の手記」にも光子自身が、カソリック教徒と、プロテスタント教徒の生き方の違いを書いていたが、明治の遠き時代からこの精神性の違いがあったことに驚かされる。カソリック教牧師は自らの生活よりも、今困難に立ち向かっている病者に寄り添って生きているが、プロテスタントの牧師は暑い夏になると涼しい軽井沢で豊かではでなまるで学者のような過ごし方をしている姿を見る」と・・・。
 門外漢があまり批判めいた論調は避けたほうが良いかも知れないが、最近の津軽や新潟の仏教徒の生き方や価値観、主張と生き方の違いを見るとそれがやけに気になっている。