夢発電所

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遠くても近い人

2011-11-01 06:30:59 | 私と福祉とであいの旅
10月31日

 夕方、横浜のすずき画伯からお電話を頂いた。すずき画伯とお話をしていると、いつも感じることではあるが心が軽くなる。大先輩ではあるが、身近に居れば、なんだかすぐにも横丁の焼き鳥屋でお酒でも酌み交わしたくなる方である。
 昨日は娘の病気を心配してくださってのお見舞いの電話と、宗教的な話まで広くなった。私の娘の病気入院と、画伯の奥様の入院時期が重なっていたこともあって、お互いに心痛めた日々が共感できたような気がしている。というのも、画伯と私は日常的にこのブログを通じて知り合い、そして互いにそのブログを行き来しているのである。だからお互いの思いは結構共有できる時間を持つことができる気がしている。奥様も私たち夫婦と年代は同期でもあり、3年前に弘前においでになった折にお目にかかることもできた。そして私のもう一人のアーティスト・今は兵庫県に在住のはせくら みゆきさんも以前横浜にいらしたこともあって、共通の友人になっている。画伯の奥様は沖縄県石垣島出身であり、はせくらさんも沖縄で5年間ほど過ごした時期に我々も訪問したことがあった。そんなこんなで、いつのまにやら画伯とは、心置きなく何でも話せる仲になっている。
 つい最近の画伯のブログでは、「隠居」というテーマがあった。そして今回は「宗教」という話題である。どうやら日本には四季という美しい輪廻があるが、わたしたちも人生上ではようやく秋口に差し掛かっていることを互いに感じているのかも知れない。美しい秋を人生の終盤に例えれば、いかにこころをそこで豊かで樂しく深めることができるのかが、今の時期の目標なのかも知れない。この年代でなければわからない健康で居ることの感謝や、生かされていることの感謝でもある。
 私も最近キリスト教と縁が少なからずあって、自分なりに無宗教では居られないなと思うことがある。しかし形だけのものではなく、精神的な深みを感じさせてくれるキリスト教(カソリック)を、仏教的な祭事よりも身近に感じ始めている。それは信徒・牧師の精神性からも伺うことができる。日本の仏教は今や堕落して、自らの欲得が強く意識させられることが鼻をつきはじめている。
 画伯のお付き合いされているカソリックの聖者は、そういう意味では本当に物欲や金銭欲からも遠い生き方をされているというところに共感する。
 今偶然読んでいる「クーデンホーフ光子の手記」にも光子自身が、カソリック教徒と、プロテスタント教徒の生き方の違いを書いていたが、明治の遠き時代からこの精神性の違いがあったことに驚かされる。カソリック教牧師は自らの生活よりも、今困難に立ち向かっている病者に寄り添って生きているが、プロテスタントの牧師は暑い夏になると涼しい軽井沢で豊かではでなまるで学者のような過ごし方をしている姿を見る」と・・・。
 門外漢があまり批判めいた論調は避けたほうが良いかも知れないが、最近の津軽や新潟の仏教徒の生き方や価値観、主張と生き方の違いを見るとそれがやけに気になっている。
 
 

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2 コメント

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距離を越えての友情 (すずきゆきお)
2011-11-02 20:50:28
数回しお会いしていないのに、
数十年も身近に付き合っている友人のような感覚があります。
不思議なものですね。
とは言っても、携帯して直ぐに今日の夕方に会いませんかと言えない距離にいるわけですものね。だから不思議です。
私は人生の秋を迎えたからでしょうか!
悔いなく生きたいという気持ちは日々強くなっていますが、しかし意思が弱いためフラフラしているので自戒すること多いです。

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すずきゆきおさま (なりたはるみ)
2011-11-03 05:38:45
コメントありがとうございます。
 「人生の秋」という感じは、私もさすがにするようになっていますが、ここからゴールはまだ見えませんね。だから多少のフラフラは許されるのではないかと思います。
 隠居学をもう少しかじって、楽しんでみたいと思います。
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