音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

ファースト・フィナーレ (スティーヴィー・ワンダー/1974年)

2012-02-06 | ソウル・アフロアメリカン・ヒップホップ等


人間の記憶というのは、かくもいい加減なものだろうかという事を知ったのがこの作品。特に音楽というものはちょっと変わっていて、自分の演奏経験のあるものは、大体「譜面」で覚えているからそんなに記憶違いがないのであるが、レコードを聴いただけの曲、或いは演奏したことがあっても、ポピュラーなどの簡単な曲は殆ど耳コピだから、それを五線譜に落とせば別であるが、そのまま演奏経験があるような曲というのは、やっぱりかなり記憶がいい加減なのである。同時にもっと怖いのが先入観である。そして、その為に私はこのジャンルの音楽から大きく遠ざかってしまったのである。

この「ファースト・フィナーレ」という作品は、略、クラシックピアノの週3回のレッスンを辞めた頃にポップ音楽に填り、その最初の頃、つまりポップ音楽で最初に買ったLPレコードの10番以内に入っていると思う。きっかけはFMの音楽番組で、全米で1位を取った"You Haven't Done Nothin"(邦題:悪夢)を聴いて、うーんこれは名曲だと思い何故かシングルでなくアルバムを買った。その短期間の間に、スティーヴィー・ワンダーがどんな出自のミュージシャンであるかを知った。未熟児網膜症が原因で生まれてすぐに目が見えなったことは驚いた。更に、1973年、従兄弟の運転する車に同乗した際に交通事故に遭い、この事故の後遺症で一時味覚と嗅覚を失ったことなども・・・。その余計な知識が彼の音楽を受け入れるには可也弊害になってしまったのは事実である。アルバムも手に入れた後もひと通り作品を聴いたが、その際に着き纏っていたのが「盲目の天才」ということ。人間の脳というのは意地悪で、そういう先入観があると、本来聴こえてくる筈の音もストレートに受け入れないものである。なので、私はその後もこのアルバムははっきりいって「悪夢」しか聴かなかったためにこの素晴らしい作品とミュージシャンもことを見誤ってしまい、以降、ソウルや黒人音楽を苦手としてしまうのである。それから暫くたって、再び、スティヴィーをちゃんと聴いた。恐らく最初に聴いてから25年くらい経ってからの事。自分が記憶していたこのアルバムとは全く違う音だったし、やはり、「ミュージック・オブ・マイ・マインド」から「トーキング・ブック」「インナービジョン」、本作そして次作への流れというのは彼の内面に蓄積されたものが堰を切った様に溢れ出ていて、そのすべてがこの時代の最高の音であることが理解できる。最近知ったことだが、私の気に入った「悪夢」はニクソン大統領への批判だったらしい。そんな先入観がないから私はこの曲が好きだったのだし、やはり音楽を聴くときの唯一最大の弊害は「先入観」であることは間違いないのである。

"Heaven Is 10 Zillion Light Years Away"などはなにか「天の音楽」を聴いているようである。そんな素晴らしい音が1974年には私の耳に届かなかった。もしこの曲をあの時代に理解していたら、私の音楽性も大きく変わったと思う。しかしそれは決して不幸なことではなかった。所詮、人間の為せる業は限りがあるのだし、やはり人間というのはなにかの使命があってこの世に生を受けているのだと、彼の作品を聴く度にそう思うのである。


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