音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

ホイットニー (ホイットニー・ヒューストン/1987年)

2012-02-20 | ソウル・アフロアメリカン・ヒップホップ等


恐らくファースト・アルバムが想定の範囲を大幅に超越した反響と数字、更には賞賛を得てしまったと思われるホイットニー・ヒューストン。私も彼女が他界したので言うわけではなく、何故かこのファーストに特別の作品としての高評価をしている訳ではないが、なんというか、ブラック・ミュージックがこんなにポピュラーに聴くことができたのは、彼女のファースト・アルバムが最初だったことは間違いない。そして、ホットニーはそんな想定外の数々の結果には全く左右されなかったに如く、ごく自然にセカンドアルバムを発表した。

ホイットニーの最初の偉業として語られるのが、シングル7枚連続第1位という、ビートルズの持つ「6枚連続」記録を更新したことである。その7枚のシングルはデビューアルバムから3枚、そしてこのセカンドアルバムから4枚がカットされている。順番に、"Saving All My Love For You"、"How Will I Know"、"Greatest Love Of All"の3枚がファーストから、そして、"I Wanna Dance With Somebody"、"Didn't We Almost Have It All"、"So Emotional"、Where Do Broken Hearts Goの4枚がこのアルバムからの、計7枚連続全米第1位の記録を作ったが、この記録は2012年2月現在、まだ、どのアーティストにも破られていない凄い記録である。またこのアルバムは、女性アーティストとしては初めて、全米アルバム・チャートで初登場1位を記録。そう、信じられないがこの時点では、ダイアナ・ロスも、マドンナも、無論、オリビアやバーブラ・ストライサンドでさえも、まだこの偉業を達成した者がいなかったのである。逆に言うと、如何にこのホイットニーが凄かったかということになってしまう。音楽的な評価に関していえば、前述したように然程突出した部分は特に感じないし、ナラダ・マイケル・ウォルデンをプロデューサーに迎えたということで、前作よりまとまりが良くなった気はするが、バラッドとアップテンポ曲のバランスも良い(ただ、若干、アップテンポの編曲が良くなったことと、アルバムを通しての聴かせどころは今作品の方が上手くなったかもしれない)。だが、やはり彼女の魅力は勿論作品にもあるが、それ以上にその存在感なんだと今もっても思う。ホイットニー・ヒューストンを語るとき必ず言うのが、彼女は全米に於いて、ソウル・ミュージックを、最初にマイノリティーでない部分に押し上げたミュージシャンであり、それは、スティーヴィーや、マイケル、プリンスを持ってしてもこ時代には成し得なかったことである。そして、それは彼女が「女性」であったことも大きく、今後、ポップ・シーンでは、まさに、女性ヴォーカル時代がやってくる。この後に、マライアが、ブリトニーが、セリーヌ・ディオン、レディー・ガガ、そしてアデルが続くのである。その最初がこの作品なのである。

一方で、ソウル・ミュージックは、その特異性を大きく失墜することとなる。これはとても皮肉な事実であった。ある意味では60年代初頭以来、また黒人音楽はメインストリームに戻った様に思えるが、そこに、他のポピュラー音楽との違いは見いだせなかった。そして、これ以降、ソウル音楽は新しい局面を迎える、それが、ヒップ・ホップである。ヒップ・ホップは長いこと日の目を見ずに来た。極論を言えばホイットニーが居なかったら、どうなっていたか分からないが、それはまた、別のレビューで書きたい。ちなみにファーストは「そよ風の贈り物」、このセカンドは「すてきなsomebody」という邦題がついているらしいが、どうもイメージと違うので勝手に割愛した。ご参考までに・・・。


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