音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

ライセンス・トゥ・イル (ビースティ・ボーイズ/1986年)

2012-07-24 | ソウル・アフロアメリカン・ヒップホップ等


ビースティ・ボーイズのデビューアルバムである。正直なところ、ラップ系やヒップ・ホップはずっと苦手で聴かず嫌いだった。ただ、以前にも書いたが、私のこの音楽に対する唯一の救いは1980年代初頭、一時期N.Yの居た時に、当時まだメジャーに出ていなかったパフォーマンスの一つとして自己表現に鍛練する若い連中を見ていたことだ。実はこの類いのジャンルは70年代後半からあったらしく、それは、体たらくした黒人音楽の復権だと宣いていた彼らは、ブルース好きだがでも化石、モータウンが黒人音楽をダメにしたといい、スティービーを神から一番遠いところに置いて、ディスコには火を付けてやるぞというスタンスだった。ただ、少し印象が違ったのはブレイクダンスと対になっていて、だがその後、ダンスの方が先に流行ってしまったのと、リリックは言葉の語呂合わせを楽しみ、日本でいえば短歌のそれと似ていてそんなに攻撃的ではなかったが、これは、単に私の英語力不足なのかもしれない。そんな、どちらかというと黒人から発せられたムーブメントだったから、私はこのビースティの噂を聞いて予備知識もなくタワーレコードへ行ったときには大恥を掻いたこともいい思い出だ。

ビースティは実は元々「ザ・ヤング・アンド・ザ・ユースレス」というパンク・バンドとして結成された。無論、当時の音楽活動のことは良く知らない。1981年に、「ビースティ・ボーイズ」と改名したらしい。ここに面白い事実があるのはヒップ・ホップの第一人者はパンクロック出身ということだ。そして、リック・ルービン。彼はこのバンドに伝統的な曲構成に従って、ポップソングのようなヒップ・ホップを作ることを提案したという。それもその筈で、丁度、この当時はランDMCが「ウォーク・ディス・ウェイ」をヒットさせ、黒人としてロックを見事にカバーしてみせた。しかし、本来、ヒップ・ホップに近いリフを奏でられるのは白人に違いないというルービンの狙いは見事に当たった訳だ。しかも、ビースティはしっかりと黒人のオーディエンスに支持されたということ、これが、ヒップ・ホップで初めてのアルバムチャート全米第1位を獲得し、400万枚を売るという快挙を成し遂げたのである。また、この作品の面白いのはヒップ・ホップという音楽がちっとも特別なものに聴こえないところである。それは恐らく、彼らの中にここが黒人の音楽だとか、いやこの辺までがロックの領域なんだとかいう妙な意地や拘りがなかったことだ。例えば、あのプリンスはこの2年前に「パープル・レイン」で完全にファンクを捨て、黒人ロックスターになった。それは純粋な黒人音楽にある種の危機感と終焉を意味したのかもしれない。しかし、ビースティはどうだ? しっかり黒人に迎合しない、共有できる音楽を作っている一方で、ツェッペリンやモーターヘッドを思いっきりコケにしている。こんなところがヒップ・ホップなんだと、そこを彼らの鋭い感性と若いテイストで見事に仕上げ切った。ルービンも満足だったと思う。

筆者は80年代の半ば、個人的には産業ロックに耐え切れなくて、然程ポップ音楽には固執せず、世界の音楽を聴き、クラシックへ戻ろうとしていた。でも、年に100枚くらいはその年を象徴する、所謂「流行り」の音楽は押さえていた。このアルバムもそんな1枚だったが、この時代に、余り興味はなくても聴いておいて良かったと思ったのは、そうしていなかったら今更この年になってこの音楽を受け入れることのできる下地はなかったということである。いつのときでも、音楽は出会いなのだ。


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