音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

ウマグマ (ピンク・フロイド/1969年)

2010-09-02 | ロック (プログレッシヴ)

プログレバンドの作品評価というのはとても微妙で、プログレ音楽の中で名盤とされるものであっても、実は、そのミュージシャンを主体とすると、実は余りそうでは無かったりするものが多い。その極端な例がこのピンク・フロイドであり、彼らには、「狂気」と「ザ・ウォール」という全世界で何1000万枚も売ってしまったモンスターアルバムを2枚も持っているだけに(こんな記録を持っているプログレバンドはない、いや、プログレに限らなくたってモンスターアルバムを2枚も出しているのは他にもビートルズくらいである)、どうしてもそのアルバムを中心に考えてしまい、それは大きな間違いであることが分かる。フロイドを系統立てて聴かないと彼らが何を希求していたのかが全く掴めないバンドであるが、前作「モア」とこの「ウマグマ」は実に重要な作品である。

フロイドには前述以外に「原子心母」という名盤があり、セールス云々を度返しにすればこの作品がフロイドのベストアルバムだと思う。それは、フロイド自体の方向性も決定づけをしただけでなく、「プログレッシブ・ロック」という言葉を広く一般に知らしめることになった分岐点の作品でもあるからだ。だが、この「ウマグマ」はその「原子心母」を生みだすことになった要因の殆どが収録されている。つまりは名盤ではないのだが、画家でいう「素描集」のようなものだ。有名画家の作品展には必ずつきものなのが、大作のための素描で、特に印象派画家や人物画の多い画家には素描が残されているものが多く、私も大作が好きな一方で素描の秀作を大作への過程として鑑賞するのが好きだ。美大生などもそちらを中心に見て研究されている方が多いという。「ウマグマ」はまさにその素描集、秀作集、また言い方を変えれば実験リポートであると言っていい。そして、その実験はこの作品がフロイド初の2枚組で分かるように、2段階に分かれていて、まず第1弾としてライヴである。プログレバンドの大きな課題はステージでの音楽再現である。さすがにプログレの雄・フロイドは最も早くこのことに着手したが、察するにそういうバンドが増えて来たり、クリムゾンの噂も聞えてきた中で、彼ら自身への客観視が必要だったに違いない。この4曲を収録に選んだのもその意思がはっきりしている。特に「太陽讃歌」などは当時からライヴでの人気曲で、映像的にはポンペイ遺跡での収録版もあるように、意図的に宗教的な要素も加味させているが、一方でこの辺りは如何にも内面的な代表格であったシドへの決別が明瞭である。「ユージン、斧に気をつけろ」の収録も全く同義である。さら実験第2弾では、ソロパートの秀作を何のためらいもなく収録してしまっている。実は、このアルバムが「モア」と「原子心母」を繋いだ作品として大きな意味があるのはここにあって、彼らは「モア」というサントラ盤を発表し、映画の感動を音楽でも伝えられるという技があることを認知してしまったのである。簡単に言えば「視覚」の効果を「音」で表現するという試みだ。そして今度はそれを「原子心母」で発表する。しかしここで大事なのが、果たしてその彼らの考えを音楽ファンが受け止められるかどうかが大切で、要は彼らは大学院の研究生ではなく音楽ミュージシャンなのだから受け止められなければ死活問題だ。果たして、ファンがこの段階で受け入れたかどうかの結論は導き出せなかった。なぜなら、ファンはライヴ録音の方に終始してしまったからであり、そういう意味ではこの段階でファンにNOを突き付けられなかったことはフロイドに取って大変ラッキー、いや、フロイドだけでなく、プログレ音楽においての奇跡的な事件だったのである。

不思議なことに、この「モア」と「ウマグマ」を除いたとしても、フロイドは「神秘」と「原子心母」がしっかり繋がっている。それは「神秘」の段階で明確な方向性を示せていたことと、時間はかかったが天才であり奇才だったシド・パレットとの決別を、時間が係ったがケリをつけたことにある。いよいよフロイド時代の幕開けである。


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