音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

ドラマ (イエス/1980年)

2012-04-11 | ロック (プログレッシヴ)


このブログだったか、何処かにだったか忘れてしまったが、私が良くこのバンドの事を論ずるのに、こういう言い方をしている。「イエスはジョンのバンドでもリックのバンドでもない。クリス・スクワイアこそがイエスそのものである」と。これは私が4本の弦楽器が好きだということだけではなく、少なくともデビューから1980年代までのイエスの活動を辿っていると、自ずと導かれるのがこの回答なのである。私がそう結論づけた根拠は3点ある。最初は「こわれもの」を聴いたとき、イエスというバンドが大きく飛躍するきっかけとなったこの作品で、音も随分洗練されたものになったが、その中においてクリスとドラムのビル・ブラッフォードのスタンスは、それ以前までと全く変わらなかったこと。次にそのリズムセクションのスーパーコンビだったビルが抜けた直後「イエスソングス」というライヴアルバムでのクリスのスタンス。この時、彼はまさにみんなのサポートに回ってビルの大きな穴を埋めつつ、同時にこのバンドを一人で背負っていた。そして3度目がこの作品である。この作品では初めてジョンがイエスから抜けた。無論あのジョン・アンダーソンという類い稀なヴォーカリストの替りはいない。しかし、このイエスというバンドに置いては「ジョンありきではない」という事がよく分かってしまい、では同時に誰がこのバンドを支えているのかがごく自然に理解できたのである。

ヴォーカルがジョンからトレヴァー・ホーンへ、キーボードがリックからジェフ・ダウンズへ、つまり、ふたりの穴は当時イギリスで人気ユニットを組んでいたバグルスのふたりが引き受けた訳だが、この流れは、イエスと同じマネージメントの下に居た環境からすれば、然程驚くことではないし、ジョンは兎も角も、リックに至っては、復活した前2作に余り存在価値を見つけられなかったのも事実である。というか、イエス自体がこの状況で一体これから何が出来るのか、当時のニューウェイブというムーブメントの中にあって、何が魅力なのか、そんな状況であったのは事実である。だとしたら、まさにその新しい音楽ムーブメントの真っ只中にあったふたりの人気ユニットが入った方が面白いのではないかと。この時代に「ラウンド・アバウト」は期待しても、もう「儀式」や「錯乱の扉」のような大組曲は必要がなくなっていたのも事実であった。だからこの作品は私的には結構楽しめて、こんなイエスの音もあるのかって感じだった訳だ。特に、” Into The Lens”と“Tempus Fugit”はそれまでのイエス音楽を踏襲しつつ、バグルス色も入っていて良かった。また、面白いなと思ったのは、トレヴァーがソロで歌っているときは彼の声なのだが、クリスがバッキングヴォーカルに入るとイエスのハーモニーになるということ。これはこのバンド特有のことなのだと思った。それから不思議とこのアルバムでは、スティーブ・ハウが余り目立っていなく、代わりに今までどうもしっくりこなかったアラン・ホワイトのドラミングが妙に填っている。この辺りはもしかしたら、既に、トレヴァーのプロデュースの才が目覚めているのかもしれなかった。

だが、当然、イエスファンの殆どがこの新しいユニットは受け入れなかった様だ。そしてこの作品の後、イエスは初めてその存続の危機を迎える。そして奇しくもそれを救って、更に、イエスをスターダムに押し上げたは、ふたりのトレヴァーだった。


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