音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

追憶のハイウェイ 61 (ボブ・ディラン/1965年)

2011-12-27 | ロック (アメリカ)


別に最高傑作特集をやっている訳ではないが、この作品はボブ・ディランの中でも素晴らしい出来上がりに入るのは当然である。私自身ボブ・ディランはどちらかと言えば苦手な部類のミュージシャンであったが、この作品と次の「ブロンド・オン・ブロンド」は彼の作品の中でも、また、ポップ音楽という部類においても大変な秀作だと思っている。また、私の場合は以前もこのブログで書いたが、ボブ・ディランに関しては全くの聴かず嫌いであったが、親友が大ファンで、だから結構付き合いみたいな感じで聴いていたので70年代の作品ばかりだった。本格的にこの素晴らしい60年代の作品を聴く様になったのはついこの10年くらいで、逆にいうと、だから音楽に関しても色々昔より分かってきた時代だったので、毛嫌いすることなくごく自然に聴けて、また偏りのない評価をすることが出来た。そして親友の薦めていたボブ・ディランの音楽というのはまさに60年代の彼であったということも良く理解できた。

この作品はブルース・ハイウェイと呼ばれている、国道61号線がアルバムタイトルになっているが、ニューオーリンズからメンフィスやセントルイスを通り、アイオワからミネソタに入る国道で、この作品の発表当時は、ディランの生誕地ダルースを通ってカナダ国境まで伸びていた(後にミネソタ州東部の町ワイオミング以北部分廃線となった)。さらにいえば、この街道には様々な伝説を伴っており、ベッシー・スミスの自動車事故死、マーティン・ルーサー・キングは61号線沿いのモーテルで殺害。エルヴィス・プレスリーはこの沿道で育ち、ロバート・ジョンソンは49号線と交わる十字路で悪魔に魂を売り渡したという「クロスロード伝説」等で知られている。ディランとの接点はこの61号線はしばしばブルースにも歌われ、それをラジオを聴いて育ったディランにとって、この61号線は自由や、独立、変化のシンボルなのであった。そして、このA面の1曲目「ライク・ア・ローリング・ストーン」は、ローリング・ストーンズ誌の選出する「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500」では1位となり、さらにそこでは「この曲以上に、商業上の法則と芸術的な慣習に根底から挑んで変革した楽曲はない」と評され、60年代のロック変革期を象徴する曲とされて、ディランの名声を神話的に高めた作品としても有名である。また、この作品では、ディランが本格的にエレクトリックなサウンドに取り組んでいる。特に、キーボートを新しい楽器として取り込んだことは大きく、前作に比べて格段に音に厚みが出来ている。バックで重要な役割を果たしているのが、あの、マイク・ブルームフィールドとアル・クーパーの二人というのがなんとも興味深い。ブルームフィールドはディランの初期のアルバムを聴いて、あまりにひどいとディランにギターを教えてやるつもりで参加したというが、彼の参加はアルバム全体に複雑な彩りを添えており、特に「トゥームストーン・ブルース」のソロは見事だ。クーパーはギターをやるつもりで飛び入りしたが、ブルームフィールドのプレイに圧倒され、適当なオルガン奏者がいなかったので、自身もオルガンは弾いたことがなかったにも関わらず、強引に申し出たという。それも、これも、如何にこのディランというミュージシャンが色々な意味で重要であったということを示すエピソードである。ディランはこの作品の成功によりポピュラー・ミュージックの世界で、ビートルズと並称される存在となる。それはアメリカを代表するミュージシャンになったということとイコールなのである。そしてディランの音楽というのは、ロックの世界を中心に、ミュージシャンのイメージを、詞曲両面にわたる芸術的創造力と人気とを両立し得るアーティストへと変化させたことに関してもビートルズと同様で、ともに最も大きな役割を果たしたことは間違いない。

また、そういう意味では、この作品がビートルズ「サージェント~」や、ストーンズの「ベガーズ・バンケット」より2~3年前も早く完成したということはディランのもつポップ音楽における資質の高さ、更には、アメリカのファンがこの時代に彼に求めていたものの大きさは凄かったんだろうと憶測できる。そして、同時にこの作品は、アメリカ・ファンの期待を初めて上回ったボブからの回答でありメッセージだったのである。


こちらから試聴できます



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。