音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

チェロ協奏曲ホ短調 (エドワード・エルガー)

2009-11-16 | クラシック (協奏曲)


またその話題かよ? と言われそうだが、「三大チェロ協奏曲」って一般的にドヴォルザークとシューマン、そして、ハイドンの2番が上げられているが、然程、一般にも普及していないようだし、実は友人のチェリストも「ハイドン?」と首を傾げていたから、認知が薄いようだ(もっとも演奏家というのは意外に俗世間で言われている事は知らないし、平気でショパンとグリーグのピアノコンチェルトの序奏を勘違いしているから)。それで、私は、ハイドンのコンチェルトが嫌いな訳ではないが、今更だと思うし、やはりこのエルガーのコンチェルトを差し置いてはいけないと思う。エルガーは紛れも無く、イギリスを代表する才能豊かな音楽家である。しかも名曲「威風堂々」は、小学校の音楽の時間にはなんらかの形で接していると思うし、ウチの娘たちも「運命」や「トッカータとフーガ」より先に知っていた。エルガーには人々の記憶に残る旋律を作る才があるのだ。

まず、この楽曲は4楽章構成であるが、最初の2つはその構成空考えて1楽章と考えられる。コンチェルトには例が少ないが、拘りのある音楽家が良く見せる技法である。そしてこの第1楽章の始まりはなんとも独創的で、チェロ独奏からカデンツァ、そしてこのカデンツァが全楽章を支配し循環主題のような役割を保っているが、この旋律が暗いながらも素晴らしい。この発想だけでも「三大(別にハイドンを入れて四大でも何でも良いから)チェロ協奏曲」としての価値がある。序でながらエルガーがこの作曲に当たっては、冒頭の9/8拍子のところは既に前に出来上がっていたが、その後病床につき、また、第一次世界大戦がありと不幸続きであった。その後名曲を幾つか残すが、この作曲の後に最愛の妻アリスを亡くしている。エルガーは妻の死以降は全く作曲意欲をなくしてしまい数年間は仕事を中断した。その後再開はしたものの、劇音楽等が中心で、「交響曲第3番」や「ヴァイオリン協奏曲」といったところは未完で終わっている。だから最後の大作かつ名作であるとも言える。この循環主題の旋律の裏には彼の苦悩を感じることができるが、すぐに第2楽章でそれを払拭するような独奏チェロのピッチカートに圧倒される。前回の記事で私は生涯もうひとつだけ習得したい楽器のひとつにチェロがあるといったが、この技法までは望んでいない。これは弾くものでなく、聴くものである。第3楽章は伝統的なアダージョで、印象の薄い部分であるが、なぜか、やはり暗い旋律をどこかに残しているあたりが心に残るという効果がある。そして、第4楽章は長い楽章であるが、今までの集大成をすべて総括している。しかもここでは2部形式で、前半はロンド、後半には再び前楽章の主題を出すなど、実に凝っている。最後はテンポアップして一気に終わるところも良い。

ハリウッド映画「奇跡のシンフォニー」でも主人公の母ライラ(ケリー・ラッセル)がこの曲を、セントラルパークの復活コンサートで演奏している。あの映画作品を観たときは思わなかったが、今こうしてエルガーの生涯と照らし合わせて考えると、この曲を最後に大作が無かったエルガーに対して残念だということではなく、この曲はクラシック音楽の未来を開いたという意味。つまりはライラはこの後、生き別れになった実子(フレディ・ハイモア)と出会う、そういう希望を込めているのでる。このエルガーの思いが後世の人間によって別の芸術でその価値を表現されたことに今更ながら感動するし、何よりも作者にそう思わせたこの音楽は紛れも無く名曲である。


こちらから試聴できます


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。