音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

メテオラ (リンキン・パーク/2003年)

2012-08-01 | ロック (アメリカ)


このレビューを書こう思ってアルバムをかけたら、次女にそんな音楽も聴くのかと言われ、一体彼女は自分の父がどんな音楽を聴いていると思っているのだろうかと不思議になった。70年代初頭にロックに出会った頃、とにかく毎日聴いていたのはやっぱりツェッペリンだった。聴くたびに感動していたし、禁断症状の様に一日一回は聴かずにいられなかったし、聴くことに喜びを感じていた。こういう音楽体験はピアノ時代にショパンハチャトリアンには感じたことがなかった。多分、自身に潜在している衝動に合致したからなのだと思うのだが、今世紀、このリンキン・パークというバンド音楽は、あのツェッペリンの時と同じなのだ。だから、寧ろ、ゼネレーション的にそっち側に近い次女にそんなことを聞かれると少し恥ずかしくなってしまう自分がいる。但し、超新星が大好きな彼女にはリンキンとエミネムの違いは分からない様だ。筆者はクラシック至上主義の母と、それも聴くがデキシーランドジャズやワイアンが趣味で、医学生の傍ら進駐軍パーティでバンド活動経験のある父という、偏重な音楽家庭に育ったから、考えてみると歴史は繰り返すで、娘たちがどんな音楽観なのかに興味はないが多少心配している。これはまた書く機会があると思うので、いずれどこかで(笑)

本音を言えば、今一番好きなミュージシャンはリンキン、彼らかもしれない。現在、リンキンを聴かない日は略、ないと言ってもいいし、ただ電車内でこのメロディに身体を揺らせていると、妙なオヤジだと思われているだろうが、それもまた愉快。また、一般的にはデビューアルバムの「ハイブリット・セオリー」の評価が高いが、筆者はこの作品「メテオラ」がベストである(まだ、ニューアルバム「リヴィング・シングス」は講釈できるほど聴き込んでいないので)。タイトルのメテオラは、勿論、ギリシャの世界遺産メテオラ修道院群のこと。「中空」という意味であり、この険しい地形は俗世との関わりを断って生きる修道士には理想世界だと言われている。だから作品の意図より、このタイトルに惹かれるというのも、長い中途半端音楽生活での習性で怖いのだが、リンキン・パークがなにを求めたかという余計なお世話で考えれば、あの岩に建つ光景から湧き立つパワーとか、エネルギーを想像させるキーヴィジュアルなんだと思う。また世界遺産という時代の超越は、音楽家にとってはまさに憧れ。リンキン自体が、実は、奇跡的な音楽分布バランスの上に成り立っている集団なので、しかし、そのバランス感覚は岩山の如く強固且つ普遍なものなんだという隠喩な自己主張なのかもしれない。ブラッド・デルソンもこれに関しては「メテオラが視覚的に訴えるものを音に」とインスパイアされたと言っている。13曲すべてがいいのだが、やはりラストの"Numb"は3枚めのシングルとしてヒットしたが、日ハム時代の新庄のテーマ曲にもなっていた(余談、ファンではないが彼はセンスがいい)。シングルの話になったが、このアルバムは全世界で2000万枚売れたそうだが、6枚のシングル・カットを出していて、まさにその商法規模はマイケル・ジャクソン並であるのに驚くし、こういう音楽が評価されるというのは無条件で嬉しい。

リンキンはよく言えばランチバッフェ、悪くいうとファミレスのお子様ランチ的な言い方をされるが、それは音楽的語彙が貧困な意見だし、どうしても領域を引きたい輩の非柔軟的な見解だとしか考えられない。もしバッハマーラーが同じ楽団で作曲をとしたという事実があったとしたら(絶対ないが)、それは感激するだろうけど、その楽譜を想定することはできない。いや、した人はいるかもしれないが、それは一笑に付されるか、認められないかである。だが、リンキンがごく自然にやっている音楽は例えが悪いがそんなこところに近い。ヘヴィメタとラップを一緒に演奏できたら面白いと、音楽が好きな輩なら思って当然で、だが、重要なのはそれを実現したことであり、時代によって言葉は変わるが、これはプログレッシヴなのである。


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