音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

バッハ (ヨハン・セバスティアン・バッハ)

2008-07-21 | アーティスト ハ行
ヨハン・セバスティアン・バッハとの出会いはいつも衝撃的だ。

私は幼稚園からずっとミッション系だったので、多分讚美歌の旋律は自分のベースになっているのだと思う。楽器としてピアノを始める前からの物である。だから彼の作品、特にカンカータなどは、空気や水の如く、ごく自然に吸収される。なぜか、どれも初めて聴いた気がしない。それは、小学校以降いつも彼の曲を聴いてそう思ってきた。

だが、それ以外の曲はすべて衝撃的な出会いをしている。「トッカータとフーガ」であり、「ブランデンブルグ協奏曲」であり、「パルティータ」である。特に「トッカータとフーガ」は小学校5年のときにチャペルのパイプオルガンが新しくなって、そのオルガンは日本にはふたつとない、大変なものだったらしく、当時有名な海外のパイプオルガン奏者という人が来て演奏をしてくれた。その曲がこれであったと記憶している。また、「ブランデンブルグ協奏曲」は、たまたま友人がオーディオを購入することになりつきあったが、スピーカーが中々決まらない。当時、出たてのCDプレーヤーで、ジャズもクラシックも聴きたいという欲張りだから、ジャンル別に針やスピーカーを変えていた当時の自分に比べると、なんとも贅沢な要望だ。そのときにオーディオショップで試聴用にかけたのがこの曲で、このときが初体験。すぐにこのCDプレーヤーとCDを買って帰ったのは友人でなく、私の方だった。

バッハは、一般に良く言われるように「終わりと始まり」である。中世の音楽を総括したのもバッハであり、新しい音楽の扉を開いたのもバッハである。音楽の父とも称され尊敬されているが、私はバッハこそ、クラシック音楽の導入門だと思っている。ここから入ればこのジャンルの音楽に裏切られることはないが、ショップによっては「古楽」扱いされ、所謂クラシック音楽と一線を引かれたりされているところもあり残念だ。

ヨハンのことは、称して大バッハと呼ばれるが、音楽一族バッハの家の代表であると同時に、クラシック音楽最盛期へ向けての先駆者であった。又、私の様に「始めにバッハありき」という音楽的潜在性とか言うべきを導入させられた例は結構多い筈である。

かのモーツァルトもバッハだけは特別視していたという。(映画 「アマデウス」でもそんな場面があるが、あの時にチェンバロで弾かれるバッハって、ウォルフの考える「バッハらしい旋律」というところの芸の細かさが素晴らしい、余談だが・・・) 私はモーツァルトではないが私の中では潜在的という意味で特別に存在であり、かつ、衝撃的なのであろう。



このブログで取り上げているバッハの楽曲
管弦楽組曲第3番
2つのヴァイオリンのための協奏曲
ブランデンブルグ協奏曲
ゴルトベルク変奏曲/曾根麻矢子



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