TSUNODAの経営・経済つれづれ草

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粉食文化で地元群馬県の各都市は街おこし

2009-05-05 07:56:59 | 地域産業
地元群馬県の各都市は粉食文化で街おこしを行っています。地元伊勢崎市は、「もんじゃ焼」を伊勢崎商工会議所青年部が中心になって各種イベントを行い街おこしをしています。

 太田市は焼きそばで、秋田県の横手市、静岡県の富士宮市と同様に街おこしをしていす。桐生市の人口当たりのうどん店数は全国有数ということで、1998年の桐生うどん会が発足し、カレーうどんを推奨メニューとしてピアールを図っています。

 藤岡市はラーメンの街として仕掛け、テレビにも取り上げられ話題になりましたが、今はその面影もありません。前橋市は「そばの街」として売り出しましたが、盛り上がりはありません。

 栃木県は佐野市の「佐野ラーメン」、宇都宮市の「餃子」と全国ブランドがあります。このちがいはどこにあるのかは、①市民を巻き込んだイベントの実施、②味を競う合う精鋭数十店舗の存在、③街おこしの中心団体の存在、の3つが揃う必要があると私は思います。

 かつて、地域街おこしを支援していた時に、大間々町でのうどんによる街おこしを支援したことがあります。この時は、大間々あきんど塾という団体が年2回の素人によるうどん打ちコンテストを行い、街おこしを行うというものでした。

 地元の麺メーカーの星野物産を巻き込んで、うどん作りの指導をしてもらったり、小平の里、大間々駅前ををイベント会場にしたりと市民を巻き込んだ活動になりかけていました。また、大間々あきんど塾のメンバーも若手商人が多く、大間々のSCさくらモールを作った人たちが中心の活発な団体でした。

 しかし、大間々町にこれといったうどん店がなかったのです。広域から人を呼べる老舗が数店舗存在したら、大間々町を「うどんの街」として街おこしができたのでないでしょうか。

 その時に私も、星野物産の技術指導者から「うどん打ち」を習いました。それから家でうどんを時々打っています。かつては、冬になると祖母が自宅でうどんを打って家族で食べたものです。祖母が作ったうどんを家族で食べたことを思い出しながら、うどんを打っています。下の写真は、私は打ったうどんです。


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