あび卯月☆ぶろぐ

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阿久根市長の恥

2009-12-29 22:22:31 | 歴史・人物
歴史にまつわるトンデモ説は多々ある。
例えば、日本とユダヤ人はもともと同じ民族だとする日ユ同祖論とか、キリストの墓は日本にあるとか、源義経は生き延びてチンギスハンになったとか。
これらは聞くからにトンデモとわかるから害は少ないが、近代のものになるとあの戦争はフリーメーソンが裏で操っていたとか、コミュンテルンが・・・とか、いかにもそれらしいものがあるから困る。
その一つが明治天皇は即位前に暗殺され、大室寅之祐という人物にすり返られたというものだ。

これを信じてしまった一人が阿久根市長の竹原信一だ。
竹原市長がはじめて世間を騒がせたのは市職員人件費を書いた張り紙を剥がした職員を解雇したときだったか。
このときは、賛否両論が渦巻いた。
公務員や自治労の風当たりが強くなる中で、特に反公務員の立場からは市長を支持する声が多く聞かれた。
私も、いくら市長の方針に反対だからと言って、張り紙を剥がすという行動に出るのはおかしい、解雇は厳しすぎるが、相当の処分があってしかるべきだと思い、市長の行動に一定の理解はしていた。

次の騒ぎがブログで
「高度医療のおかげで以前は自然に淘汰された機能障害を持ったのを生き残らせている。結果、養護施設に行く子供が増えてしまった」
と発言したとき。
これは多くの人が批判に回ったが、新自由主義者は手を叩いた。
このあたりで、私はこの人の考えに首を捻り始める。

そして、最新の話題が同じくブログに「天皇家はどこの馬の骨とも分からない家系」と記していたことだ。
こちらは少し以前の記述で、現在は右翼の攻撃を恐れてか削除されている。
記載は市議時代の2007年6月7日付で明治天皇は伊藤博文が手下とすり替えたとし、
「今の天皇家はまさしくどこの馬の骨とも分からない家系。昭和天皇が終戦時に国民を配慮した気配は全くない。ひたすら私財の保全にだけ心血を注いだ」
とある。

ここに来てやっと、この市長がどんな人物なのか理解できた。
モノゴトを深く考えずに感覚で行動してしまう人なのだと。
だから、トンデモ説も簡単に信じてしまう。
この人に『ムー』でも渡したら明日から「アメリカは宇宙人と取り引きしている」とか言い出すんじゃないか。

だいたい、明治天皇=大室寅之祐説を信じるなら、大室が南朝の末裔であるということも一緒に信じて欲しかった。
それなら、どこの馬の骨とも知れないとはいえない。
この人、トンデモ説を信じるにしても信じ方が中途半端だ。
それにしても気になるのはむしろ「昭和天皇が終戦時に国民を配慮した気配は全くない」という方。
全くないとは随分ないいぶりだ。
昭和天皇が終戦時にどれほど苦悩されたか、国民のことを考えておられたか当時の史料をあたればいくらでもわかる。

ここではその中の一つを掲載しよう。


私は世界の現状と国内の事情とを十分検討した結果、これ以上戦争を続けることは無理だと考える。
・・・陸海軍の将兵にとって武装の解除なり保障占領というようなことはまことに堪え
難いことで、その心持は私にはよくわかる。しかし自分はいかになろうとも、万民の生命を助けたい。
この上戦争を続けては結局我が邦がまったく焦土となり、万民にこれ以上苦悩を嘗めさせることは私としてじつに忍び難い。祖宗の霊にお応えできない。
和平の手段によるとしても素より先方のやり方に全幅の信頼をおき難いのは当然であるが、日本がまったく無くなるという結果にくらべて、少しでも種子が残りさえすればさらにまた復興という光明も考えられる。
今日まで戦場に在って陣没し、或は殉職して非命に斃れた者、またその遺族を思うときは悲嘆に堪えぬ次第である。また戦傷を負い戦災をこうむり、家業を失いたる者の生活に至りては私の深く心配する所である。
この際私としてなすべきことがあれば何でもいとわない。国民に呼びかけることがよければ私はいつでもマイクの前にも立つ。

(下村宏『終戦秘話』講談社 125-126頁より)



以上、昭和二十年八月十四日に開かれた御前会議での昭和天皇の発言だ。

自分の考えを好き勝手にブログに書くのは自由だが、書くならもう少し調べて書いた方がいい。
そうすれば、右翼から攻撃されることもなかったし、恥をかくこともなかった。